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 小熊座・月刊

俳句時評

2026.vol.42 no.492

「『これは俳句だ』と認める」ことの倫理

樫本 由貴

四月は出会いと別れの季節、とはよく言うが近刊の俳句総合誌には共同体にまつわるトピックスが多かった。『俳句』二月号の特集「句会が全て」にエッセイ「ぼくらは句会に何を捧げるべきか」を寄せた「澤」の木内縉太は、句会に参加する個人個人は、俳句を読む際の「鑑賞批判の言語の領土拡大」を目指し、「ほんの少しだけ新しい鑑賞批判の言語を、絶えず共同体に捧げ」るべきだという。「領土拡大」という言葉の使用には慎重になりたいが、言葉が共同体の中の価値観を硬直させる道具に成り下がることを拒否しようとする木内の問題意識には共感する。対照的に、隣の頁では平野皓大が「他者と関わる」と題し、「孤独の中で、凛然と言葉を磨きあげることも必要」としつつ、句会というローカルな共同体の中で癒し、癒され、他者のために丹念に言葉を織り上げることを「尊い営み」と述懐している。この違いは、木内はイデアとしての、平野は個別具体の句会を語っているために起きているに過ぎない。句会に身をおく個人の中で、この二つが同時に起きることこそが、句会が重要なゆえんである。当たり前だが、句会が共同的な創作の場である以上、時にごく個人的な記憶や経験が不可避的に開示されうる。そうなれば、句会では、それへの共苦とケアが実践される。重要なのは、この実践は、いま・ここと将来の共同体のために、提出された句と共同体に、練磨した新しい「鑑賞批判」の言葉を捧げる形で行われることもありうる、ということだ。句会で使用される言葉は、創作の高みに上るためのものか、慰撫のためのものか、二者択一のものではないことを、二つのエッセイの読み手は正しく了解せねばならない。

木内がエッセイ上でいうところの、句会を超えた「俳句全体」に言葉を放ちつづけているのが、外山一機であろう。二〇二五年の三月、外山は筆者の依頼に応えて原爆文学研究会の企画「「震災詩歌を読む」を読む 加島正浩著『終わっていない、逃れられない 〈当事者たち〉の震災俳句と短歌を読む』合評会」に登壇した。一年越しとなったが、二月末に刊行した『原爆文学研究』第二四号には、この会の記録を収録した。外山は、高野ムツオの震災俳句の読み方と句作の際の信念、そして照井翠の『龍宮』が刊行当時から、震災を多くの人間が理解できる言葉に表現しなおしたものとされてきたことの二つを、「じゃないほうの言葉」という言葉を用いて、震災俳句の言説の中に位置付けなおしていく。東日本大震災から十五年経ち、震災を語った言葉を読む枠組みが、読み手とその背後にある社会の変化とともに練磨されるものであることが実感できる内容である。

さて、『俳壇』三月号の特集「類似類想句をどう考える」に寄稿した髙柳克弘は、現代の若手は選択肢の多さゆえに創作の指針を失い、手近な価値観に依拠してしまうのではないかと、若手の創作を憂う。これと似たような問題意識を持っているのが『俳句四季』三月号の浅川芳直の「俳壇ランドスケープ」だった。浅川は、昨年一二月の『小熊座』の若手座談会で筆者が高野主宰を「こちら側の審美に合わせてくれる主宰」ではないと考えていると述べる箇所を引き、これを「「表現技術が優れていれば選ぶ」ことで保障される自由とは異なる、もう一つ深い次元での制約と自由」と言うが、筆者にはそんな大それたものではないという意識もあり、困惑する。

結社や句会に対して「指針」や「価値観」を問う行為、つまり、共同体の強度を問題化することは共同体への奉仕でもある。結社や句会にその根幹を問うのは、強い言葉でいえば、構成員の義務ではないか。自らが所属する共同体は「そんなこと言うな/聞くな」という狭量なものではないと、確かめつづけるべきであり、木内の言う「ほんの少しだけ新しい鑑賞批判の言語を、絶えず共同体に捧げ」る行為は批評だけでなく、実作でも実行されるべきである。

高浜虚子は三九年七月、中村草田男の〈金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り〉を「ホトトギス」の巻頭に置いた。この出来事が、時勢的にも「ホトトギス」の当時の理念としても、周囲の困惑を招いたことは翌八月の「ホトトギス」上の雑詠句評会が示している。京極紀陽はこの句を「先生がお採りになつたといふ事は、作者自身にとつても非常に大きな驚きであり悦びであつた」と草田男から聞いた一方、松本たかしは「真の実感から生れた句であつたらきつと先生に判つて頂ける」と草田男が言っていた旨を話している。次に引く富安風生の当惑は率直なものだ。

草田男君がいつも言つて居るのは、俳句といふものは季題、即ち自然と、作者の心の中に湧き立つてゐるものとがどちらからどちらへ働きかけて行く、といふ事なく、双方が双方から働きよつて来て、ぴたりと一点に出つ喰はした瞬間、――瞬発といふかーーそこに生れる特殊の詩だと、大体斯ういふのである。その説はよくわかる、その通りだと思ふ。ところが氏の作品を見ると、さういふ主張がどう具現されてゐるといふのか解し難いと考へられるやうなものが屡々あると思って居たことは僕も漾人と同感であつた。

恐ろしいのは虚子で、「或る一つの新しい境地を拓き得た為に、俄にそれのみが俳句であつて他は悉く取り残されたものであると考へるものが往々にしてあるが其は甚だ危険な考である」「くれぐれも百川が俳諧の海に朝するものであることを牢記せねばならぬ」と言う。虚子は若手に対し、新境地を見せる草田男の俳句のみを俳句であると思うのは愚かであると言うばかりか、草田男句も含めて、書かれる俳句は、それが〝俳句〟である限り全て「俳諧の海」に注がれる――奉仕するのだと、こういうのである。

虚子が草田男の句を認めることで虚子が掌握する〝俳句〟の領土を拡大させる様は、時局も含めて、現時点から見ればいかにも帝国主義的であることは言を俟たない。しかし、のちに赤城さかえが激賞する〈壮行や深雪に犬のみ腰をおとし〉を詠んだほかならぬ草田男がこの時期に虚子に賭けたのは何か、新たな価値づけの可能性を感じている。だが一方で、現俳壇に薄いベールのように被さる、作者やその周囲がそれを「俳句だ」と言えば問答無用でそれを俳句だとする考え方は、虚子のような帝国主義の領土拡大にどう抗するのか、筆者にはまだ妙案が浮かんでいない。

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