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 小熊座・月刊


   2023 VOL.39  NO.454   俳句時評


     俳人の晩年、最期の俳句 三橋敏雄(3)
        「その人に肖ている―」

                         渡 辺 誠一郎


  生前三橋敏雄とは、何度か会っている。佐藤鬼房が、1990年、第五回詩歌文学

 館賞を受賞したときがはじめてであった。カメラを持参した私は二人の親しげにして

 いる様子を写真に収めた。三橋氏はこの時、パイプを片時も離さなかったのを思い

 出す。

  その後印象に残っているのは、宮城県涌谷俳句大会の講演の選者に招かれた時

 だ。句会の前には、聖武天皇の時代、奈良の大仏建立に必要な金が算出したこと

 で知られる黄金山神社に鬼房らと一緒に詣でた時だ。その姿には、どこか飄然とし

 た空気をまとっているように思われた。遠山陽子は、三橋氏の世界を「ダンディズ

 ム」の言葉に、「したたか」(『評伝 三橋敏雄』)を形容して捉えていたが、確か

 に飄然たるダンディズム風であった。

  ところで、三橋の俳句といえば、誰もが語るのは、その早熟性と戦争を詠んだ俳

 句である。それは、十八歳の時に書いた「戦争」と題したいわゆる戦火想望俳句。

 この俳句は同人誌「風」の終刊号に、五十七句が掲載された。これを読んだ山口誓

 子は瞠目する。 


    射ち来たる弾道見えずとも低し 

    そらを撃ち野砲砲身あとずさる


  三橋はこれらの句を作るにあたって、誓子の文体をまねたとされる。誓子は三橋

 の俳句を目の当たりにし、「自分は無季俳句は作らないけれども、作るとしたらこう

 いう句を作るだろう」と述べた。三橋は後に、これらの句が、「想像の世界」である

 と批判されたことに対して、これから兵隊に取られる身にあって、行くべき戦場を想

 像して詠んでなぜだめなのか、戦場に行ってからでは間に合わないと反論している。

 まさに戦時下の重苦しい空気の中から生まれた、切実な俳句であったのだ。

  戦後になっても、〈戦争と畳の上の団扇かな〉や〈昭和衰へ馬の音する夕かな〉に

 見るように、戦争や時代と向き合う姿勢を崩すことはなかった。

  もし三橋が生きていたら、現在世界中を震撼させている、ウクライナへのロシアの

 侵略についてどう思うだろうか。三橋は晩年、次の句を詠んでいる。


    あやまちはくりかへします秋の暮        敏雄


  まさに人類は愚策を繰り返し、戦争という妖怪を今だに捨てきれない。地上から戦

 禍は絶えない。我々日本人にとっても、戦争の影を完全に払拭できずにいる。今度

 のウクライナへのロシアの侵攻を契機に、国民の間での議論がないままに、軍備費

 は瞬く間に増強される事態になっている。人間の歴史を見れば、「あやまち」は幾度

 も訪れる。三橋の句は、直截なメッセージの世界ではない。人類の愚かさへの悲哀

 と内省の深さが込められている。そしてなによりも諧謔味が滲んでいる。そこがこの

 句の「面白さ」である。戦時下を生きた世代の実感に裏付けられている。それゆえ納

 得ができるのだ。直截的に肉声を際立たせる金子兜太の世界とは違うのは、言葉

 に余裕があることだ。肉声とは異なる「俳の言葉」そのものに昇華されている。そこ

 に生まれる屈折感とアイロニーこそ三橋の真骨頂である。

  かつて高柳重信は、三橋の特異な世界について、次のように述べていた。

  「その昔、三橋敏雄が渡辺白泉と西東三鬼を師と仰いだのは周知のことであり、

 当然その影響も大きかったと言うべきであろうが、しかし、今の彼は、いちばん三

 橋敏雄その人に肖ているようである。それは、伝統とか前衛とかいう単純な色分け

 の通用しない世界であり、もっとも典型的な俳句の一様式を見せているのである。」

 (「俳句研究」昭和52年11月号)と。

  三橋の句業を改めてみるにつけ、高柳のいう「その人に肖ている」との指摘は、も

 ちろん晩年になっても変わることはなかった。それは「大人の俳句」そのものであっ

 た。三橋は若かりし頃、新興俳句の世界に惹かれたが、やがて離れていく。この当

 時の新興俳句について三橋は、「どこか幼いんだなあ。純粋な面もあるけど、大人

 が読むに堪えない」と述懐している。それゆえ、すぐれた俳句は、「最終的には大人

 が読むに堪えるか」(『証言・昭和の俳句下』)が求められるとの認識を明らかにし

 ているのだ。その意味では、三橋の世界は、初めから、大人の世界、ある種老成し

 た魅力をもっていた。さらに渡辺白泉らと古俳諧の研究の成果、その味が加わり、

 俳句に熟成度が増していったのだ。

  三橋の晩年の俳句を見ると、言葉と幻想の度合が熟成していったのがよくわか

 る。次の最晩年の俳句。


    キュート亀鳴いたる事実誰に告げむ


  三橋なら、亀が鳴いたのを一人知っていたのかもしれない。「キュート」と「事

 実」の言葉には確信がある。それゆえ幻想はますます深まり、現実が幻想に転化しそ

 うですらある。


    被爆地の夜夜をひとだま弱り絶ゆ


  被爆地において、「ひとだま」も弱ってなくなってしまう。戦後という言葉が絶え

 るように「ひとだま」も役割を終えて消滅する。当時の悲惨な現実すらも人の記憶か

 ら消えてなくなるという認識なのだろう。それゆえここに、新たな「戦前」が登場す

 ることを予知しているかのようだ。今ウクライナの戦争にあって、ロシアの大統領

 は核を口にし始めた。そうなれば、新たな被爆地も悪夢の中からよみがえって来る

 ことになる。


    山に金太郎野に金次郎予は昼寝


  色紙に認められていたこの句は、亡くなる二週間前に行われた「面」の句会におい

 て、特選者(福田葉子ら〉に配られた(『評伝 三橋敏雄』)。三橋にとっての最後

 の句会となった。それゆえ、絶筆である。

  「金太郎」は足柄山の金太郎で、金次郎とは二宮尊徳である。いずれも小田原ゆ

 かりの人物だが、金太郎は伝説で実在はしない。遠山によると、平成11年の「面」

 の句会には、〈山に金太郎野に金次郎われは昼寝〉を出句していたらしい。いずれ

 にせよ、金太郎と金次郎を横目に、最後は「予は昼寝」である。すなわち、するりと

 この世から背を向けるかのように、三橋は我々の前から消えるかのようだ。そして、

 作品だけが残されるとした自負の様なものすら伝わってくるのである。




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