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  小熊座・月刊


   鬼房の秀作を読む (148)    2023.vol.39 no.452



         糸電話ほどの小さな春を待つ

                              鬼房

                        『愛痛きまで』(平成十三年刊)


  最晩年の第十一句集『愛痛きまで』(平成十三年刊)に収録。みちのくの風土性や

 社会性を弱者の視点から詠むという、重くシリアスな鬼房俳句では、異色ではある。

  糸電話は二つの紙コップを絹糸で結んで作るが、子供でも容易に作れる。通常の

 声は空気を振動させて届くが、糸電話は糸の振動で届き、双方が話すことは出来

 ず、一人ずつ交互に話す。〈糸電話古人の秋につながりぬ 摂津幸彦〉の様に、澄ん

 だ秋の大気が似合う糸電話だが、掲載句では、厳冬のまだ凛とした大気。

  悴む手で握る紙コップの中のぬくもりが、寒さで赤くはれた耳たぶに優しく、少し

 くぐもるような声は暖かく、心を和ませ、待春の気持ちを育む。

  小さなという措辞は、文字通りささやかではあるが、心底からの叫びでもあろう。

 永年多くの疾患に苦しみ、且つ傘寿を前に急速な体の衰えを身に沁みて感じていた

 鬼房だからこそ、厳しい冬を乗り越えた後の、暖かな春への渇望は、殊の外強かっ

 た。最晩年を安らかにありたいと望んでいたからであろう。

  が、どことなく明るい「軽み」も窺える。

  道端にひっそりと咲く菫のように目立たず、しかし逞しく生きたいと解される〈菫

 ほどな小さき人に生れたし 夏目漱石〉ともどこか通じる句でもある。

                        (広渡 敬雄「沖」「塔の会」)



  春を待つには何とささやかな句かと思う。だが無理もない。この句は平成十三年、

 鬼房の亡くなる前年の作である。同じ『愛痛きまで』の集中に〈腐蝕せる胃の腑が凍

 ゆ夕日影〉〈喘鳴の亡母かわれか雪の果〉の句が所収されている。

  前年九月から心臓や肺機能異調のため二ヵ月、この年も七月に十日間の入院をし

 ている。若い頃から胆嚢や脾臓など種々の病に悩まされてきた鬼房の身体が悲鳴を

 あげていたのだろう。つい弱気になる自分を叱る〈泣虫の鬼房は死ね冬の波〉などと

 いう句も見える。

  行きつ戻りつの体調ながら少しばかり気分の良い時に掲句は生まれたのであろう。

 鬼房には二人の曽孫がいた。このことは没後編まれた句集『幻夢』の〈由衣誕まれ高

 祖となるは淋しかり〉の前書にある。この二人の曽孫が糸電話で遊んでいたのだろ

 う。糸電話は言わば電話の原点。既に世の中に普及し始めていた携帯電話に比べ

 たら実にシンプルでささやかなものだ。曽孫たちの玩具の糸電話。この位の小さな春

 なら今の体調でも待てるのではないかと鬼房は思った。家庭の幸せの原点も糸電話

 で遊ぶ曽孫のいる景に凝縮されているとも感じていたのではないだろうか。

  一方で俳人鬼房としては少しでも体力を取り戻し、俳句の世界を生きたいとも思っ

 ていた。それが妄想だとわかっていても春がくれば俳句の土塊を解したいと願ってい

 たのだ。〈妄想を懐いて明日も春を待つ〉〈土塊を解きほぐしては春を待つ〉句集

 『幻夢』のこの二句が胸に迫ってくる。

                               (丸山みづほ)