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   鬼房の秀作を読む (147)    2022.vol.38 no.451



         葡萄樹下奔馬のごとき洩れ日あり

                              鬼房

                          『鳥食』(昭和五十二年刊)


  この葡萄樹には棚が作られているのか否かは分からない。しかし、透けた格子天井

 のようにきちんと棚が作られていると見るよりは、一定間隔を空けて葡萄樹達と最低

 限の支え棒が立っていると見たい。葡萄樹達が、太い蔓のような枝を縦横無尽に差し

 伸べ、互いに絡み合い、支え合っていると見た方が、「奔馬」という語とは良く調和

 するように思う。「奔馬」の降って来る上方に、棚などの計画的な区割りは似合わな

 いからだ。

  「奔馬のごとき」という形容は「洩れ日」に掛かるが、葡萄樹の奔放に伸びる

 枝々、広い葉の連なり、豊かに艶やかな果実の有り様をも暗示しているように思う。

 葡萄の豊かな実りから更に生ずるが如く、木洩れ日は降り注ぐ。

  「洩れ日あり」からは、軽い驚きが感じられる。豊かであればあるほど仄昏い葡萄

 樹下を行く作者は、或る一樹から降る洩れ日を発見したのだろう。葡萄樹の律動する

 昏さの中で、葉や実の色に僅かに染まるかのような、生き生きと強い洩れ日であっ

 たか。

  強いといっても、秋の陽であるから夏のそれのように容赦なく硬質な訳ではない。

 馬が走る時、その全身の筋肉が調和して滑らかに艶やかに動く。この陽光も、そのよ

 うな調和を以て、葡萄樹の豊かさを突き抜け、疾駆するごとく作者の眼前に現れた。

                        (竹岡 一郎「天為」「街」)



  鬼房が「馬」を句の中に用いた俳句でまず思い付くのは、

    縄とびの寒暮いたみし馬車通る     「夜の崖」

 である。この句の「馬」は、整然と重さある物を運ぶ静かなる「馬」である。そして

 聞こゆるは、空を刻む縄とびの音と、「馬」が地に残す足音。肌に感ずるはただただ

 夕暮の寒さ。聴覚と触覚の二つの感覚が交差する。

    馬の目に雪ふり湾をひたぬらす      「海溝」

 は、深淵で静謐なる「馬」の目を凝視した視覚が鋭敏に感じられる。「馬」の目に凝

 集される単色の世界。

  掲句はいかなる感覚が先導しているのか。

 現実に見えるのは葡萄樹下の濃き暗がりの色とそこに存する洩れ日の空間。洩れ日

 が帯びるのは鬼房が、「奔馬」を想起した一瞬間であったと思う。そのとき洩れ日は

 光を纏い何色にも属さぬ色となる。

  「奔馬」の語彙の引力に樹下の光景が集約される。「馬車」と「目」の馬は動じぬ

 静かなる「馬」。「馬車」の「馬」を静かと捉えるのは寒暮の時節において極めて感

 ずる静かさで、葡萄樹下において光を伴い現出する「奔馬」は、樹下を揺さぶる動を

 も伴う。

  一度だけ「馬」を間近に接した事がある。森林乗馬で森を巡った。「馬」は背にい

 る人間を瞬時に見極めるとも聞いた。

  「奔馬」と表しながら「洩れ日」と正しく対峙した作者の深さを感ずる一句であ

 る。

                               (関根 かな)