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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (145)    2022.vol.38 no.449



         極北へ一歩思惟像たらんとす

                                鬼房

                      『名もなき日夜』(昭和二十六年刊)


  「文芸の極北はハイネの言つたやうに古代の石人と変りはない。たとひ微笑は含ん

 でゐても、いつも唯冷然として静かである」と芥川が言ったように(『文芸的な、余

 りに文芸的な』)、「極北」とは地理学的な概念ではなく、物事の極限、そこに達す

 ればそれまでとは全く異なる事態が生ずると思われる境地を指すことがある。

  掲句はまさしくそのような思惟の極北を詠っていると考えてよい。したがって「極

 北へ一歩」は北へ歩みを進める人間の姿を描いていると捉える必要はない。机に向か

 っていようと、暖炉の前にいようと、思考の歩を進めんとして思惟に深く没入する

 ときは、石の如く身動きが取れなくなってしまうもので、それも一種の思惟像である

 が、この句は全体として飽くまで心象を述べていると読むべきだろう。

  「思惟像となる」ではなく「思惟像たらんとす」としたことで、今まさに考えを進

 めているところであることが表現されている。このまま考えを突き詰めてゆけば、何

 か決定的な事態が生じてしまうかもしれない。その先にあるものは肥沃な大地で

 はなく、氷に閉ざされた世界かもしれない。そこで自分はついに氷像となってしま

 うかもしれない。それでもなお、極北を目指さないわけにはゆかないのである。思

 考を徹底するとはいかなることであるかを、この句は端的に物語っている。

                         (三村 凌霄「銀化・群青」)



  掲句は昭和23年、鬼房が29歳の時の作。この句を含め、句集「名もなき日夜」

 の三割ほどが無季句である。鬼房の新興俳句への傾倒ぶりが窺い知れる。

  昭和21年にインドネシアのスンバワ島から復員した鬼房は「天狼」俳句会や同人

 誌「雷光」に参加、六林男、三鬼らと親交を深めた。雷光同人年刊句集「夜盗派」の

 集中、「僕は一番どん尻でもいい、玄人の栄誉を担ひたい。…この気負った精神が

 僕の一切の痛痕を支へてくれてゐる」とあり、この気負った精神が掲句の根底にあ

 る。

  掲句、そして同年に作った〈切株があり愚直の斧があり〉の句。どちらも自己を思

 惟像や斧に投影しているが、〈切株〉の句が木を伐り続ける愚直さを淡々と表現して

 いるのに対して、掲句には高揚感がある。俳人として俳句に立ち向かう気概を彷彿

 とさせる。

  掲句を見て、思い出したことがある。古い話だが、元職場に新聞記者、歴史家の徳

 富蘇峰の書生だったという上司がいて、蘇峰に関する書物や写真等を風呂敷に包

 み、持って来て見せてくれたことがあった。その中に蘇峰揮毫の書、満目に青山あり

 ーがあった。

  しかし、鬼房は詩友達と別れ、「極北」の地、東北へと拠点を定める。それは柵か

 も知れず、産土への愛着かも知れない。いずれにしろ、この東北の地に足をつけ、

 俳句の極限に取り組んでいくという強い覚悟であり、決意であった。

                                (坂下 遊馬)