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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (144)    2022.vol.38 no.448



         少年にこぼれ落ちさう揚雲雀

                                鬼房

                         『潮 海』(昭和五十八年刊)


  「こぼれ落ちさう」の口語の響きがいかにも明るいが、やや危なげな瞬間が切り取

 られているようにも思う。

  〈うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば〉と大伴家持も歌

 ったように、揚雲雀には人の心を憂いに誘う何かが、いにしえの頃からあるようだ。

 「幼年」と「青年」のはざまの、揺れ動きやすき「少年」の頭上を今、雲雀がホバリ

 ングしている。

  甲高く澄んだ声で鳴きながら忙しなく羽を動かすその様は、春の陽光のなかにどこ

 か焦燥感に似た感情を呼び覚ます。もし世界に「空気」が存在せず「真空」の状態だ

 ったら、羽も鉛の球も同じ速度で落下するという。少年と雲雀の間には今、空気を介

 した絶妙な均衡がある。羽をばたつかせながら滞空する雲雀を見あげる少年は、幼児

 でも大人でもない目で、いまにもこぼれ落ちそうな自分の内面を凝視している。いず

 れ落下するものが、春空にとどまる間の切なき愉楽の時間。

  この少年と雲雀の関係を通して、私たちもまた、自身のおぼつかさなさを顧みるこ

 ととなる。壮年、老年となり日常を平穏に送っているように見えても、何かのはずみ

 で落ちてしまう瞬間もあるかもしれない。そんな危うき時間は、誰の前にもひそかに

 横たわっているのではないだろうか。この少年と雲雀の一句は、まぶしくて、怖い。

                           (成田 一子「滝」)



  何とも軽やかで柔らかく透明感のある一句。鬼房の雲雀の句といえば、「ひばり野

 に父なる額うちわられ」(昭和四十四年作)が有名。こちらは鬼房らしく重厚で陰影

 と自虐を帯びる。平易な言葉や表記を使っていることは同じだが、実に対照的な印象

 だ。「s」「k」の響きがもたらす効果に加え、「落ちさう」なのではなく、「こぼ

 れ落ちさう」であることが揚雲雀の明るさを保っているように思う。「落雲雀」で

 はなく、「こぼれる揚雲雀」を想ってみる。天へ昇る鳥は軽やかさ故にこぼれ

 落ち、少年を誘ってまた高みを目指す。高みへの道行に少年は選ばれるのだ。

  掲句を詠んだ当時、鬼房は退職を目前にした六十四歳だから、自虐といえば自虐

 だが、その胸の内に少年同様の志や夢があるからこそ、揚雲雀がこぼれそうに見え

 た。根底にある、成熟を良しとしない気概が詠ませた句と言えるかもしれない。

  『潮海』(昭和五十八年刊行)では掲句の前に「ひばり揚がる墓銘の彫りの深きよ

 り」とある。墓銘は、鬼房にとっては、世の中に深く刻まれてきた先人の俳句表現そ

 のものを指すものだろう。それを起点に飛翔する姿を躍動的に力強く詠む。続く掲

 句には、その誘いを求める少年のような作者の姿が見えてくる。前の句との詠み方

 の違いは自嘲あるいは、照れだったのではないかと想像する。

                               (松岡 百恵)