小 熊 座 2022/5   №444 小熊座の好句
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    2022/5 №444 小熊座の好句  高野ムツオ


    冬ふかく老ゆるほかなく老いにける      八島 岳洋

  身につまされるような句である。長寿は誰もが持つ願望だが、何の憂いもなく

 無病息災に長い老後を過ごせるのは限られた一部の人のみで、あとはほとん

 ど幻想に近いだろう。たとえ肉体的に健康であってもさまざまな困苦を抱えなが

 ら生きるというのが、いわゆる余生の一般的なあり方といえようか。まして俳句

 に関わるもの、自らの老いと対峙対抗することなくして、詩魔の袖先にさえ触れ

 ることはできないと自戒するものだ。この句には自らの命の行方を言葉によって

 摑みとろうとする執念と迫力がある。形容詞、動詞、助動詞など本来は多様を

 控えるべき用言の畳かけが、効果を生んでいる。俳句表現にセオリーはないの

 だ。

  日本は近年、未曾有の長寿社会を迎えている。長寿は人類史が始まって以来

 の、人間の素朴なかつ切実な願望でもあった。さまざまな奇遇を得て長寿を得

 たエピソードは世界各地に掃いて捨てるほどある。中で最も知られているのは

 秦の始皇帝の逸話だろう。国内各地、それも、あれほど広い秦の辺境に至るま

 で、不老不死の薬を探せとの布告を出した。東方に妙薬があると聞き、徐福と

 いう方士を日本にまで遣わせた。中国を出航した徐福は黒潮に乗って和歌山

 県新宮にたどり着いた。そこで「天台烏薬」という妙薬を手に入れたが、それが

 届く前に始皇帝は四十九歳で亡くなってしまうのである。水銀を含んだ薬を呑ん

 でいたともいう。しかし、始皇帝は現世を超えて死後も生きて、その世界に君臨

 しようと画策していた。兵馬俑がそれである。我欲のため、多くの民衆の犠牲の

 上、作られた死後の世界だ。その世界のみ、二千二百年後の今も残されている。

  日本では「古事記」の垂仁天皇が田道間守を不老不死の力を持つ「非時香果」

 (ときじくのがくのこのみ)を探しに常世の国に遣わせた話が有名である。田道

 間守は艱難辛苦の末、十年かかって、この実を見つけ帰国したが、天皇はすで

 に亡くなっていた。非時香果とは橘あるいは蜜柑のことと言われている。このエ

 ピソードを唱歌にしたのが「田道間守の歌」で、私も幼い頃聞いた記憶がある。

 すっかり忘れていたが、数年前、明日香野の橘寺を案内してくれた宇多喜代子

 さんが、本堂で二番まで全部歌ってくれた。

    飛んで逃げ這って逃げよと野焼きかな      森田 倫子

  どこにも実体が描かれていないが、雉子などの野鳥や野鼠など小動物の姿

 が鮮明に見えてくる。この句でも動詞の畳かけが、逃げる生き物の躍動を伝え

 ている。

    韮刻む怒れる大地に居るのみと          須藤  結

    牛の眼に潮あふれて野梅散る           植木 國夫

    鳥帰る何もできぬが腹が減る           𠮷野 秀彦

    白梅の連なり天へ折れ曲がる           松岡 百恵


  これらの句も用言の多用が句の世界を深めている。先例として有名なのは

 鬼房の師渡辺白泉の句である。〈赤く青く黄いろく黒く戦死せり〉〈堤燈を遠く

 もちゆきてもて帰る〉。他にもある。付け加えておくが、俳句の基本はもちろん

 芭蕉の〈荒海や佐渡によこたふ天の河〉のように動詞など用言は一つに限り、

 あとは名詞で構成した方が格調を生む。名詞だけで構成する方法もある。七

 五調は漢詩の世界と深い繋がりがある。それを踏まえた上で用言の多用にも

 チャレンジしたい。





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