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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (138)    2022.vol.38 no.442



         身のどこか蝕進むらし雪催       鬼房

                         『半跏座』(平成元年刊)


  佐藤鬼房の句には、日本の北国やみちのくという概念にとどまらない、欧米文学

 (特にロシア文学)に通じる北方的な詩情がある。

  鬼房の年譜には若い時代にロシア文学を濫読したと記されている。〈ソーニヤの燈

 地の涯に吾がまなぶたに〉〈除夜いまだ「静かなるドン」読みすすむ〉等はロシア文

 学の直接的な影響を感じさせる。一方、日本のロシア文学受容の歴史を考えると、鬼

 房の生まれる二年前の1917年にロシア革命があり、世界初の社会主義政権が樹立

 している。文学と思想(社会性)はもとより不可分だが、鬼房や兜太たちが生きた時

 代には特にその傾向が強かったと思う。

  さて、掲句は「雪催」以外にはさしたる北方性は無いようだが、「蝕」という身体

 的・精神的な危機の感触を大自然の現象へ同化させてゆく手法が何ともロシア文学

 的だと私は思う。キリスト教の中でもロシア正教会には理念より根源的な感性や身体

 性を重んじる傾向がある。年譜によると当時の鬼房は胃切除という大病を体験した。

 「蝕」は自身を蝕む病巣ともいえよう。同時に「蝕」は昭和から平成へとうつりゆく

 日本、冷戦体制が崩壊してゆく世界の軋みをどこか体現しているようにも感じられ

 るのだ。

                           (田中 亜美「海原」)



  この句は第九句集「半跏坐」中の「坤」に収録されている。鬼房は昭和61年に胃

 の四分の三、膵臓の二分の一と脾臓を摘出する大手術を受けている。「身のどこか

 蝕進む」は、自身の悪性腫瘍が身体を蝕んでいるのを自覚していたと思う。また死を

 意識していたのか、 雪催の季語がそう思わせる。鬼房はそれまでも昭和37年に胆

 嚢切除を受け、また糖尿病の持病もあったようだ。波郷が「俳句は境涯を詠うもの」

 と主張して以降、病気や貧困などの人生の逆境を見つめる境涯俳句が確立した感が

 ある。鬼房が、度重なる病苦がありながら境涯俳句の型にはまらず、自分に添うよ

 うな言葉で表現しているのは、自在な言葉の使い手であった鬼房の卓越したところだ

 と思う。鬼房は、この過酷な身体の状況の中、瑞々しい身体感覚の句を詠み続け、

 この句集は第五回詩歌文学館賞を受賞した。鬼房は、社会性俳句以来のテーマであ

 る貧困を、この時期、病苦の肉体的な悲惨さに置き換えようとしていたように思う。

 鬼房の句は作者の内側を正直に誠実に表出したものだ。それゆえ社会がどう変わっ

 て行こうが、句が作者自身から遊離することがないのだ。

                                (平山 北舟)