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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (137)    2022.vol.38 no.441



         ただに寒し征夷拠点の藪椿       鬼房

                         『何處へ』(昭和五十九年刊)


  上五の「ただに寒し」、この呟きのような一言に籠められた万感の思いに注目した

 い。個人の詠嘆や感傷を超越したところ、時代や風土、東北の土地がまとう荒々し

 さや華麗な自然の様相などが複合的に迫ってくる。この深みや広がりは、シンプルな

 発語、一句のはじまりの響きの強さと切れの効果によるものだ。「寒し」は季語とい

 うより、思いに重点の置かれた一語として受け止めたい。

  中七の「征夷拠点」は、歴史的な時間性を収縮して形象し、風土が空間的にも時間

 的にも有機的な働きを持たせるよう、一句の強固な土台の役割を担っている。また、

 上五の一語がただならぬ思いの塊として迫り来るのは、ここに鬼房自身の戦争体験

 を重ね見るということがあるのかもしれない。

  そして、下五の「藪椿」。寒さに加えて、生花として生きとし生けるものの存在の

 儚さ、作者の漏らす生々しい肉声の具体化といったニュアンスを帯びながら、一句全

 体を象徴的に支配している。「寒し」との季違いを、展望の春とする狙いが全く無い

 とも言い切れないが、「寒し」と同様に、季語というより、物を思いに傾けて捉えた

 ほうが深みが増すだろう。椿は首が落ちることを連想するとして、武士が忌み嫌っ

 た反面、華やかな潔さがあって、蝦夷の陰翳に清廉な意思を咲かせているようにも

 感じられる。

                         (曾根  毅「LOTUS」)



  小熊座で何年もお世話になっているのに、いまだに多賀城は訪れたことがない。言

 わば私の憧れの地である。

  多賀城は奈良・平安時代に陸奥国の国府が置かれ、古代東北の政治・文化・軍事

 の中心地であったという。ここを拠点に大和朝廷は蝦夷討伐の軍を組織し送り出し

 た。しかし討伐という淡々とした記述は蝦夷にとっては大変心外なものであろう。彼

 らにとっては侵略以外の何物でもない。英雄阿弖流為の話など読めば、虐げられた

 民の無念さを思わずにはいられない。

  さて、掲句に戻ろう。「ただに寒し」との出だしから胸に迫ってくるのは、鬼房の

 蝦夷の裔としてのひりひりするような自覚である。侵略の拠点に立ち、皮膚感覚で祖

 霊に共振している。そしてその眼前に咲いているのは色鮮やかな藪椿である。可憐

 な椿であるが、今目に映る赤は命の色であり血の色でもある。蕭々とした景色の中

 でひときわ鬼房の心に染みたことであろう。

  陸奥の山河、そして厳しい風土が鍛え上げた鬼房の棄民の裔としての誇り、そして

 大地に足を踏ん張って生きていく覚悟・・・にある或る種のリリシズムを、北国に根

 を持たない私は羨ましく思う。そして俳句の系譜の末端に繋がる者として、お会いす

 ることがなかった鬼房に切なく憧れるのである。

                               (布田三保子)