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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (132)      2021.vol.37 no.436



         おもひ閉ぢをれば梅雨ぬれ夕雀        鬼房

                                   『朝の日』 (昭和五十五年刊)


  梅雨の夕暮れ、朝から雨が降ったりやんだりして、空はどんよりと暗い。雨脚が弱まったとこ

 ろをみはからって、地面に何か啄みにきた雀たち。それもつかの間、また雨が強くなってすぐ

 に濡れてしまう。葉の生い茂った木の枝に戻って、雨を凌ぐだろうか。

  まずは、こんな場面を思い浮かべるのだが、加えてこの句から不思議な雰囲気を受け取る

 のは、「おもひ閉ぢをれば」の主体がぼかされているからだろう。

  夕雀の「おもひ」であると読むのは無理がありそうなので、雀を見ている人の「おもひ」というこ

 とになるが、読み手もこの句の風景の中に紛れ込んで、一緒に物思いをしているかのような錯

 覚を覚える。

  思いを閉じるというのも、一風変わった表現である。「おもひ」に対して、開いたり閉じたりとは

 普通言わない。しかし、「思いを断つ」というほどの強い意志とは違うのだろう。まぶたを閉じる

 ように、ある思いを一時的にシャットアウトしている状態なのだと思う。

  その状態でいたところ、長梅雨の雨に濡れている雀が目に入った。 閉め出した「おもひ」の

 内容を一言で言い表すのは難しいが、それを象徴するような「夕雀」なのである。なんと可哀相

 で愛おしい存在か。

  閉じた「おもひ」はまたすぐに溢れてきそうである。

                                            (鶴岡 加苗)




  おもひ閉ぢる。鬼房はどんなおもひを閉ぢようとしたのだろう。それは雨にぬれた夕べの雀の

 ようにしっとりとふくらんでいたのだろうか?おもひ閉じをればと何度もくり返しながら、自分がま

 るで梅雨に濡れそぼった雀のように思えてくる。しかも閉ぢたおもひで胸はしっとりとふくらんで

 いるのだ。夕方のぬれ雀……

  私が初めて写真の鬼房像にふれたのは、まだ小熊座にも入会していない若い日、仙台文学

 館の特別展だったような気がする。何も知らない私に、その大きなパネルの鬼房像は衝撃的

 だった。

  いくつも内臓を失った体は、ぴったりと骨と皮がついているように細く、その目はひたと私を見

 つめているようで正直少し怖かった。もう一度どんなおもひがあったのだろうと思う。いたみし馬

 車、馬の目にふる雪、そして、雨に濡れそぼった夕雀にも鬼房のまなざしは淋しくも優しい。

  私はこの世で逢えなかった分、福島に金子兜太を訊ねた時の鬼房を想像する。褞袍姿で河

 の白鳥を見ている二人はきっと、二匹の熊のようだったにちがいない。

                                            (草野志津久)