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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (128)      2021.vol.37 no.432



         冬ざれのわが指ほどの遠き帆船        鬼房

                              『名もなき日夜』(昭和二十六年刊)


  「冬ざれ」の季節であれば、目に映るすべてが鉛色のような景だろうか。この句を詠んだ

 場所は定かではないが、詠まれたのが昭和十三年であることを考えれば、その冬ざれっ

 ぷりは相当なものだろう。

  掲句は鬼房が十九歳頃の作品と思われる。当時鬼房は東京の日本電気の本社で臨時

 工として働いていたが、住まいを台東区から文京区へ、そして今の港区芝辺りから神田へ

 移したりと、落ち着かない日々を過ごしていた。秋には仕事を辞め故郷へ戻り、水産会社

 に就職したというから、東京では一年ほど暮らしていたことになる。「句と評論」が廃刊とな

 るなど、思うように行かない人生と向き合いながらも、詩歌に対しては真摯に向き合ってい

 た。

  鬼房は今、海の前にいる。目の覚めるようなブルーではなく、空との境がわからないほど

 昏く寂れた海の前に。そこに浮かぶ帆船は、東京という大海へと渡った自分と重なって見

 える。その指先ほどの大きさでしかない帆船は、まるで行き先を見失ったかのように漂っ

 ている。「冬ざれ」という季語は、目の前に広がる景だけではなく、鬼房自身の心の中の状

 態でもあるのだろう。

  しかし、沖に出ている帆船は鬼房の希望であり、抱いている夢でもある。冬ざれの中、遠

 き帆船の白さだけは輝いているのだ。

                                 (大木 雪香『海光』『青垣』)



  物思う時、自分を見つめ直したい時、人は一人で小高い所に行き、遠くを眺めたくなるの

 ではないだろうか。

  春風や闘志抱きて丘に立つ高浜 虚子

  掲句を読んだ時私は人口に膾灸されているこの句を思い浮かべた。師の正岡子規が亡

 くなって俳句から遠ざかっていた虚子が俳壇に戻ることを決めた時の句である。もちろん

 掲句はそこまでストレートな詠み方ではない。だが胸底の静かな闘志が私には伝わってく

 るのである。

  昭和十三年鬼房十九歳の作。この前年鬼房は上京、日本電気本社の臨時工として働い

 たが失意のうちに九月に帰郷している。そして冬、鬼房は自分自身を見つめ直すために

 海のよく見える一森山へ向かったのではないか。〈 職むなしく夜景に追はれ寝まるかな 〉

 〈 金借りて冬本郷の坂くだる 〉等の忸怩たる思いを胸に故郷の海を見つめる十九歳の鬼

 房。視線の先には鈍色になった冬の海が広がり、遠くに帆船があった。「わが指ほどの」

 小さな帆船、これが失意の鬼房には「希望」に見えたのではないか。「希望」であり、鬼房

 にとっての「詩」であり「俳句」に見えたのではないか。

  塩竈の地に腰を落ち着け、好きな詩や俳句と向き合っていくと腹を決める契機となった

 のがこの句であると思うのは私の深読みだろうか。

  十七年後、三十六歳になった鬼房は同じ塩竈の冬の海を

   馬の目に雪ふり湾をひたぬらす

 と詠んでいる。

                                             (丸山みづほ)