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 小熊座・月刊


   特集「佐藤鬼房集成 第一巻 全句集」 ①



      日常の中の神秘

                           栗 木 京 子 (「塔」)



   かまきりの貧しき天衣ひろげたり 『名もなき日夜』

   じやがいもの花に言魂ねむりけり     『地楡』

   馬の目に雪ふり湾をひたぬらす      『海溝』

   鳥帰る無辺の光追ひながら        『瀬頭』


  かまきり、じゃがいもの花、馬の目、空をゆく鳥。目の前の素朴なものが詠まれているが

 いずれの句も中七から下五に至るにつれて句の情景が大きく広がってくる。

  一句目は「貧しき天衣」が眼目。威嚇するべく前肢を持ち上げたかまきりはまるで天衣

 (天女の羽衣か、あるいは菩薩像のまとう薄物の布かもしれない)を広げたようだ、と捉え

 ている。「貧しき」があることでかまきりへの慈しみが伝わってくる。二句目は「言魂ねむり

 けり」に新鮮な発見がある。「草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると、

 造化の神秘が段々分つて来るやうな気がする」という正岡子規の文章を思い出す。子規

 は草花の裡に神の営為を感受したわけだが、鬼房氏もじゃがいもの花の奥に言霊の神秘

 を見つけている。白あるいは淡紫色のじゃがいもの花の愛らしさと「ねむりけり」がやさしく

 呼応していることも、この句の魅力と言えよう。三句目の「馬の目に雪ふり」は、馬の目に

 雪の降る情景が映っているということでもあり、馬の目を雪が濡らしているということでもあ

 るのだろう。馬の視野から湾全体へと拡大される世界がまことにダイナミック。そして「ひた

 ぬらす」の「ひた」の一途さが心に残る。四句目は「鳥帰る」と上五で切れたあと「無辺の光

 追ひながら」と余韻を込めて句を収めた構成がすばらしいと思う。「追ひながら」によって、

 どこまでもいつまでも光を追って飛ぶ鳥の姿が読者の前にありありと見えてくるのである。

  こうした句の他に、晩年の句に詠まれた生や老や死の境地にもとても惹かれるものがあ

 る。

   死に至るわが道草の車前草(おほばこ)よ      『枯峠』

   (さき)の世は時守ならむ退屈な    『愛痛きまで』

   老いたればここは地の果アルジェリア  『幻夢』


  一句目はキルケゴールの著書『死に至る病』を下敷きにしつつ、人生とは誕生から死に

 至るまでの道草だ、と言っているように思われる。何と大らかな道草であろうか。踏まれて

 も強く繁る車前草が、さり気なく人生観を表している。二句目は前世の自分は時守(宮中で

 漏刻を守り、時刻を報ずることを司った職)であったという想像が楽しい。時間という目に

 見えないものを管理する役目は神聖な印象を与えるが、それを揺さぶるように下五を「退

 屈な」と結んだところが見事である。ユーモア精神が生きている。三句目も思わずクスッと

 笑った作品。中七までの少々深刻な心情を反転させて「アルジェリア」を持ってきたのが冴

 えている。歌謡曲「カスバの女」を口ずさみたくなる。軽妙で、しかも深い。達観の句境と言

 えよう。





      鬼房の穴

                        小 島 ゆかり (「コスモス」)


  本書の全体については、先に新聞紙上(毎日新聞「今週の本棚」)に書く機会があったの

 で、ここでは、気になる作品について、好き勝手に書いてみたいと思う。

   ここに穴あり春塵のマンホール     『瀬頭』

  「ここに穴あり」って、それはどこだ、と言いたくなる。そしてすぐさま、どこでもいいのだ、

 ここなのだ、と思う。この句が頭に浮かぶと、必ず一緒に思い出される句がある。〈野を穴

 と思い跳ぶ春純老人〉(永田耕衣)。句集『悪霊』所収の、昭和37年作。なんとも変てこな

 作品である。そして、俳人は春になると穴が気になるのだなあと思う。

  どちらもどうにも忘れられない、好きな作品。

  しかし両者には、はっきりとしたちがいがある。「野を穴と思い跳ぶ春」という混沌とした

 飛躍に遊ぶ耕衣の句は、「純老人」(奇妙な造語である)へ転換することで、どこか幽遠な

 気分を誘われる。短歌なら、春が主体で、「純老人」は春の比喩となりそうなところ、俳句

 はちがうだろう。やはり一度切れて、限りなく作者に近い人物像としての「純老人」を想起さ

 せる。まことに飄然たるおもしろさ。

  ところが、鬼房の句はまず、「ここに穴あり」と穴の存在をぐっとクローズアップさせてのち

 春塵の街にはマンホールがあるのだ、と言う。初句から第二句への句跨がりと、第二句の

 句割れが、切れを生かして絶妙の呼吸をもたらす。七十歳代の自在な句境にほれぼれし

 ながら、しかしなお春塵のの地に立つ俳人の姿を思う。鬼房の穴は、漠たる観念の穴では

 なく、もっと人間くさいなつかしい穴。たとえば「春塵のマンホール」なのである。

   何一つ忘れはしない吾亦紅       『枯峠』

  このたびの全句集で、はじめて知った作品。折々に口語を生かした句が混じる鬼房の作

 品群のなかでも、これほど順直な口語表現はあまりないように思う。暗紅色のつつましい

 秋の花「吾亦紅」。その花の名は「吾もまた紅」である。

  〈よるべなき俺は何物牡丹の木〉(『地楡』)〈宵闇のいかなる吾か歩き出す〉(『何處へ』)

 など、みずからの正体を問い続けてきた鬼房にして、この句には、生身(なまみ)のふとこ

 ろからふと洩れ出た呟きのような魅力がある。秀句ではないのかもしれない。まして代表

 句ではないだろう。が、多く骨格の太い力ある鬼房の作品群のなかに、切ない感傷を湛え

 たこんな句のあることが、とても尊く思われる。そんな発見が、全句集を読むよろこびのひ

 とつ。

   猫下りて次第にくらくなる冬木 『名もなき日夜』

   陽があれば濡れ大寒の青墓石      『海溝』

   冬の蝶完璧に飛び毀れたり      『半跏坐』

   いつ舌を出すのか蜥蜴緑なす      『幻夢』


  読むほどに鬼房のレッテルから遠ざかり、読むたびに新しい出会いがある。





      語の選択の現場で

                         
  永 田 和 宏 (「塔」) 


  俳句にせよ、短歌にせよ、われわれ短詩型に関わっているものにとって、一語の択びが

 絶対的な意味を持っていることは、改めて言うまでもない。限りない可能性のなかでどの

 語を択ぶか。択ばれた一語が作者の全人格の表出に関わることも、短詩型においては

 避けがたいことである。

  一方、一語を択ぶということは、それ以外の可能性を、すべて断念するということでもあ

 る。俳句、短歌のように一語の占める意味が限りなく大きい詩型にあっては、〈択ばれなか

 った語〉への思いを、常に傍らに抱えておくことも、また大切なことであろうと私は思ってい

 る。

   切株があり愚直の斧があり   『名もなき白夜』

  誰もが認める鬼房の代表句である。この句の緊密さは読み返すほどに実感され、驚くば

 かりだ。動く言葉が一語もない。なかでも「愚直」。読者をして、この斧を表現するのに「愚

 直」以外はないような気にもさせる。

  この一句、切株に斧が打ち込まれて放置されているというだけでは、景は景でしかない。

 そこに「愚直の」という一語を得ることによって、樹を切り倒すその一つの役割だけを愚直

 に果たす存在としての斧が立ち顕われてくる。そして、斧はすなわち鬼房という存在以外

 のものではなくなるのである。私はこの一句を読むとき、できあがった句としてではなく、

 「愚直の」という一語を得た時の鬼房その人の心躍りを、共時的に感じながら読んできた。

 言ってみれば、句が誕生する現場に拉致してくれる句なのである。

  (ほと)()る麦尊けれ青山河      『地楡』

  これも鬼房の代表句。鬼房自身が、「この句をもって私の俳句の命脈がたとえ尽きたとし

 ても悔いはない」とまで言っている、自らも認める代表句であろう。

  ところがこの句は私には、先の句のように、ストンとこちらの心に落ちてこない。句を共有

 するという心躍りが希薄なのである。なぜか。もちろん誰もが言及するように、「古事記」の

 大気都比売神(おほげつひめのかみ)須佐之男命(すさのをのみこと)を下敷きにしてい

 ることに間違いはないが、結句「青山河」がどうしても、私にしっくりこない。

  「青山河」とは何であろうか。「青」に映像的ロマンチシズムを感じさせるこの語は、地に

 張り付いた男としての鬼房の語彙として、どこまで内部に深く根を張っているだろうか。俳

 句については素人だが、結句の「青山河」は、鬼房によって引き寄せられた句というよりは

 「置かれた句」という感じが否めないのである。私の読んだ範囲の鑑賞でも、結句のこの一

 語について言及しているものはなかった。

  これをもって鬼房の代表句を否定するというのでは決してなく、代表句と言えども、自分

 の感覚のなかでどのように動かしがたい選択として感じとることができるかと、常に自戒し

 つつ鑑賞してゆきたいという私のささやかな願望に他ならない。でき得れば、一語の選択

 の現場に立ち会う臨場感を常に感じたいものである。





      年譜と代表句

                        
藤 原 龍一郎 (「豈」「里」)


  まず、読み応えがあるのは、高野ムツオ氏編纂による17ページにわたる「佐藤鬼房年

 譜」。生年の大正八年から、没年の平成十四年超えて、没後の句碑の建立もカバーされ

 ている。何よりの特徴は、昭和十年に16歳で作句を開始してから、没年まで、年譜記述の

 最後に、それぞれの年の代表句を一句ずつ引用してあること。

   草市のゆきずりの人みな白く

   千賀の秋の金色の洋ひとり航く

   むささびの夜がたりの父わが胸に

   金借りて冬本郷の坂くだる


  昭和十年16歳から、昭和十三年19歳までの、一年ごとの作品。どの句も十代の若者

 が作ったとは思えないほど大人びている。一方で青春期特有の孤独な感覚もたたえてい

 る。一句目の「白く」や二句目の「金色」と色彩語が感覚の若々しさを証ている。一方で三

 句目の「夜がたり」や四句目の「坂くだる」には、孤立感孤絶感が滲みだしているように思

 える。四句目の本郷という地名も、樋口一葉や石川啄木の住まいの場所をも連想させて、

 初句の「金借りて」と響き合っている。

   会ひ別れ霙の闇の跫音追ふ

   夏病みの狼となり夜を尿る


  中国戦線に出征中の昭和十六年と、終戦後に病院戦で帰国した後の昭和二十一年の

 作品。一句目は戦地での鈴木六林男との出会いと別れを詠った知られた句だが、この句

 をつくった鬼房が22歳と知ると、改めて襟を正さざるをえない。昭和二十一年28歳、病ん

 で復員、職に就き、この年に結婚もしているのだが、掲出の句からは、抜身の匕首のよう

 な凄みが伝わってくる。

  昭和二十三年の「切株があり愚直の斧があり」、二十六年の「いねし子に虹立つも吾悲

 壮なり」、二十七年の「縄とびの寒暮いたみし馬車通る」、二十九年の「齢来て娶るや寒き

 夜の崖」といった初期の鬼房の代表句が並んでいる昭和二十年代。年譜の具体的な記述

 とその年の代表句を並べて読むことで俳人佐藤鬼房の像が立体的に把握できる。

  もちろん、この『佐藤鬼房俳句集成』第一巻には、鬼房のすべての句集が集大成されて

 いるので、年譜で興味を持った時期の作品を、その期間の句集を照合し、精読することが

 できる。

  年立つて耳順ぞ何に殉ずべき

  還暦となった昭和五十四年の作品。

  自祝の句であり、言挙げの思いもこもった秀句である。この句は昭和五十五年刊行の第

 六句集『朝の日』に収録されている。この句集の時期は俳人としても充実した時期である。

 こうして『朝の日』を改めて精読してみようとの思いがわきあがる。句集の再評価のきっか

 けができることも、この俳句集成の効用ではないか。続巻の評論篇、随想篇を読むと、さ

 らに立体的な鬼房像が感受できるはずである。





      失われた青春の断想〜『瀬頭』の三句を読む

                      
松 平 盟 子 (「プチ☆モンド」) 


  長く短歌に関わって来た。だから短歌の読みには慣れている。しかし、俳人による俳句

 の読みはもしかしたら少し違うのかもしれないといつも思う。ということで、俳句のプロでは

 ない無邪気な読者としてこれを書いている。

  佐藤鬼房の句に宿る詩魂の強靭さ、その強靭さの底を貫く鮮烈な生命感、さらに人間的

 な奥深さを滲ませる句の力については私などが今さら書く立場にはない。ただ、このたび

 全句集を読む機会を得て、目がおのずと吸引され心に響く句の多いことにあらためて気付

 かされた。

  たとえば十冊目の『瀬頭』(平成4)。年譜を確認すると73歳でまとめられた三年間の作

 品とわかる。つまり昭和終焉を見届け、平成という号を日本人が受け止めた最初期の三

 年間の句なのだった。

   かなしみの(いぶ)るときあり春夕べ 

   おろかゆゑおのれを愛す桐の花 

   雛罌粟やむかしは涙噴きいでし
  

  右の三句は全句集の440ページから441ページに至る、いわば接近した場所に置かれ

 ている。春から初夏への時の移ろいの中で詠まれたといっていいのだろう。

  一句目の「かなしみの燻るとき」に見る「燻る」には胸をふさぐばかりの哀愁があふれて

 いる。それがどんな「とき」であるかはわからぬまでも、「春夕べ」と続けば靉靆として切な

 い哀感が託されているのを察してしまう。

  二句目の「おろかゆゑおのれを愛す」には自らの愚かさを嘆きながら愛おしむアンビバ

 レンツな感情がたゆたう。そして淡い紫の「桐の花」はこの感情をまことにうまく投影してい

 ると驚く。繊細な情緒はまるで青年期のものだ。

  三句目の「雛罌粟」は薄い花弁をもつカラフルなポピーのこと。かすかな風にも細い茎は

 揺れ、フリルのような花弁は踊る。そんな光景を眺めるだけで「むかしは涙噴きいでし」だ

 ったと追想するのだ。そうだ、昔の自分は感情のあふれるままに涙が噴き出したものだっ

 た。

  70代という世代を、若い頃の私なら一通りの人生を経て分別も十分にわきまえた人たち

 のものと漠然と考えていただろう。けれども今はそんな理想的な年齢の取り方などないと

 わかっている。鬼房もまた七十代を迎え、抱え込んだ人生の重さを嚙み締めながら、ふと

 自らの若き日へと心導かれることはなかったか。そのように想像すると、右の三句は格別

 な読みを促すように思う。

  大正八年生まれの鬼房にとって、多感な青春期は軍国主義が日本を覆い人々を戦争へ

 といやおうなく引きずり込んだ時代に重なっていた。輝かしい青春などなかったも同然の鬼

 房世代の青年たちが長い昭和を懸命に生き、平成も二年目に踏み込んだとき、心のうち

 にせり上がる何かを詠み残したいと思いはしなかったか。柔らかく甘やかで切なく愛おしい

 なにかを。大事な忘れ形見のような句を。先の三句を私はそんなふうに読んでみたくなる

 のだ。




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