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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (122)      2020.vol.36 no.426



         鉛筆を握りて蝶の夢を見る         鬼房

                                   『幻 夢』(平成十六年刊)


  句集 「幻夢」 土塊抄に蝶と夢に纏わる句が三句並んだ中の、真ん中の句である。右に

 「初蝶の飛んで夢見る藪の中」 左に句集名となった 「眩しくも蝶の飛びたつ幻夢かな」 が

 ある。春にそして蝶へ向けた鬼房の弾む気持ちが伝わってくる。蝶は鬼房にとって生命を

 象徴する言葉のようだ。第一句集「名もなき日夜」虜愁記の章「滝口」の前書きがある句群

 に 「濛々と数万の蝶見つつ斃る」 がある。戦地で斃れゆく戦友とその上を乱舞する数万

 の蝶を目に焼き付けた鬼房にとって、蝶を見るたび死の向こう側或いは上方には必ず、

 漲る命を纏った蝶がいるようになったのではないか。22歳の経験が83歳の最晩年まで

 視覚の底辺を支えていたと思われる。筆者の師相原左義長は食事を早く取る習慣が晩年

 まで続いた。それは 「戦場ではいつ敵が来るか分からん、だから目の前の食料は食える

 時に食ってしまわねばいけない。」 とよく話していた。戦地を知らない者にとって、死の近さ

 は実感がないが壮絶であったことは言うまでもない。春が来た昂揚感の中で鉛筆を握り句

 作に勤しんでいるとき、ふと寝落ちした鬼房はやはり蝶の夢を見るのである。

  佐藤鬼房俳句集成第一巻、高橋睦郎氏の栞分にある 「俺が死んだら毛布にぐるぐる巻

 きにして縁の下に抛りこんでくれ、春になったら起き出してくっから」 に、鬼房の蝶を含む

 春への信頼が窺え、熱くなってくる。

                                    (松本 勇二「虎杖」「海原」)



  鉛筆を握りしめたまま、机に突っ伏して眠る少年が思い浮かんだ。その机上には、鉛筆

 で描いた蝶の絵があるのだろうか。眠っているのだと思ったのは「夢を見る」とあった為だ

 が、見ている「蝶の夢」とは何だろう。自分が蝶になって飛んでいる夢を見ているのだろう

 か。それとも、蝶がみている夢を見ているのかもしれない。そこまで考えて、この話はその

 まま荘子の「胡蝶の夢」であると気づいた。その説話を踏まえての一句だろう。しかし句に

 は、説話と異なる点がある。それは「鉛筆を握りて」という現実が詠まれていることである。

  掲句は、晩年の作をまとめ遺句集として刊行された『幻夢』に収録されている。少年だと

 思った姿は、晩年の鬼房の姿へと重なっていく。句集の前後を見てみよう。〈 初蝶の飛ん

 で夢見る藪の中 〉、そして句集の題ともなった 〈眩しくも蝶の飛びたつ幻夢かな 〉と並ぶ。

  鬼房は蝶の夢を見つつも、鉛筆を握りしめて、しっかりと現実を摑んで離さない。鉛筆で

 描くのは、俳句である。現実が夢なのでも、夢が現実なのでもない。どちらも自在に行き来

 すること、それが詩なのだと思う。夢の中からでも手を伸ばして、現実と切り結ぶ。最後ま

 で俳句作りへと向かい続けた、少年のように力強い、鬼房の姿勢そのものであるように感

 じる一句である。

                                         (千倉 由穂)