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 小熊座・月刊


   2020 VOL.36  NO.425   俳句時評



      75年目の夏に

                           渡 辺 誠一郎



  今年は戦後75年目にあたる。

  この夏、戦争について特集を組んだ俳句の総合誌は、「俳句界」のみであった。「俳句」

 8月号の特集は、「今こそ身につけたい!俳諧味の極意」であり、「俳壇」は「夏の俳句合

 わせ十二番」であった。

  戦争といえば、俳句史を振り返ると、かつては、「戦場俳句」、「戦火想望俳句」、そして

 「社会性俳句」などが論じられた時代があった。それを思うと、もはや戦争は遠い出来事の

 ようだ。しかし一方現実を見ると、各地に紛争は絶えず、わが国の周辺国などの動静をみ

 るまでもなく、地上から戦争のきな臭さは完全に消えたわけではない。

  「俳句界」の特集は、「戦争と貧困〜現代社会を詠む」と戦争と貧困を並列で扱う。「戦争

 を詠む」には、星野椿、角谷昌子、田中亜美、生駒大祐が、「貧困を詠む」では筑紫磐井、

 谷口慎也、照井翠、関悦史らが、八句の俳句とともに短文を寄せている。編集部は、「か

 つての戦争から現在の状況まで広くとらえ、『社会』を考える特集とした。」と書く。戦争と貧

 困を並列に論じる中から何が見えてくるのだろうかと思いページを捲った。

  「戦争」の項で筆を執ったメンバーを見ると、星野椿が昭和五(1930)年生まれの戦前、

 戦中派である。その他は戦後生まれ。このメンバーが示すように、もはや戦争の体験を語

 る世代が、絶対的に少なくなってきた現実がある。

    夏草や戦さで焼かれ叔母の家          椿 

    虚子に従き疎開決意す春の宵          〃 

    帰省する焦土と化した上野駅           〃 

  この星野椿の句は、いわゆる銃後の体験を詠んでいる。あまり深刻さはないものの、戦

 時下、そして戦後の日常の光景から確かな実感が伝わる。椿は、祖父虚子とともに小諸

 に疎開し、敗戦を迎えている。移り住んだ家は、林檎畑の中の農具小屋の隅であったとい

 う。「疎開」と題した文章には、小諸での不便な生活や冬の厳しい様子を綴っている。東京

 に戻りやっと青春が始まったとも。虚子は小諸で〈山国の蝶を荒しと思はずや〉〈爛々と昼

 の星見え菌生え〉を詠むが、椿はこの俳句について、「戦の遺したものです。芸術は滅びな

 いという事を学びました。」と結ぶ。そういえば、文学報国会俳句支部長であった虚子が、

 戦後になって、「俳句はこの戦争に何の影響も受けませんでした」との言葉を残した。私に

 はこの言葉を聞くたびに、昭和十五年に治安維持法の違反の嫌疑で検挙された渡辺白泉

 の〈銃後といふ不思議な町を丘で見た〉の俳句などを並列に差し出し、これらの言葉を等

 価にして、あの戦争を捉えないとその本質に迫れないように思う。

  角谷昌子は、海外派遣の仕事で訪れたアウシュビッツや韓国の独立記念館などでの痛

 切な体験を書く。さらに日本の終戦記念日は、アジア各国にとっては独立の記念日であり

 「被害者と加害者は容易に入れ替わることを痛感した」とも。

    ゲルニカの馬いななくや八月来          昌子

    すすき原昭和の銃声曳きゐたる          〃

  同じ様に田中亜美は、ドイツのポツダム宣言の舞台となった宮殿を訪れたことを書く。そ

 こでは、各国首脳の部屋の趣向、特にスターリンの部屋が、暗赤色に装われているその

 美しさに目がとまったという。その部屋を調えるために丁寧に作業した職人を思う。戦争の

 日々は、必ずしも武器との戦いのみではなく、変わらぬ日常を誠実に営む多くの人々によ

 って支えられていることを見逃さない。最後に戦争を「少しでも回避する方法をささやかで

 も考えたい。」と。

    西日射す旗の並びし円卓よ          亜美

    永久に訳せぬ一語夏燕              〃

  角谷や田中の視点は、平和の時代になって、国々を自由に往来できるようになって、初

 めて実際に見えて来た戦争の二面だ。

  生駒大祐は1987年生まれの三〇代。生駒は平和の中にいて、戦争を意識して生きて

 こなかったという。周りの人間に戦争を知っているのは一人もいないので、戦争という出来

 事は、「捏造でないのだろうか。」とまで述べる。また、差別、人権のこともよくわからないと

 も。生駒はさらに、「明日「戦争がはじまった」と言われれば、僕はとても驚く。/だが「昨日

 からとっくに戦争はじまっていた」と言われれば、僕は深く納得する。/そんな毎日を僕は

 生きている。」と。

  戦争に対するこれらの言葉に正直驚く。私とは遠いところに住む人間のようにも思えた

 が、最後の「そんな毎日を僕は生きている。」の一言に、なぜか不思議な実感が伝わる。

 私の世代は、親が戦争の時代に生きたこともあって、戦争の話をよく耳にする機会が多か

 った。戦争世代の話を、実体験を意識して聞くようにした。戦地での自慢話も少なからずあ

 った。戦場での飢えが極まる中で、人肉を食べた話も直接聞いた。軍艦での戦いは、人の

 肉がバラバラに飛び散り、甲板上は人の血と油で歩けなくなったとの話も聞いた。少なくと

 も300万人が犠牲になった重い現実を無視できないところで生きて来たようなところがあ

 る。

  それを思うと生駒の戦争に対する距離の遠さが気になる。戦争は常に個から遠いところ

 で起こり、知らぬ間に個に襲い掛かるのは歴史をみればわかる。戦争を「私」の次元とは

 違うところにあると幻想したくなるが、ただ生駒の「仙草」と題した俳句には魅かれた。

    忘れればもうそこになし仙草も          大祐

    気づくまで地面ありけり蟻地獄           〃

    七月を経て八月の水に咲く              〃

  これらが「戦争詠」なのかどうかはよく分からないが、戦争詠と思えなくもない。一句とし

 ては、どこか現代のわれわれが抱える不安な心象を捉えているようで、様々な想像を膨

 らませてくれる。この句に、先の生駒の文章を重ねると、さらに一層不思議な気持ちにさ

 せられる。

  角谷や田中とは違う位相に、生駒は立っているようにも思える。それが、最も戦争と遠い

 ところではなく、戦争と背中合わせの、危ういところにいるような気がする。次回はこのこと

 も含めて、特集にある「貧困」について考えてみたい。




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