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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (117)      2020.vol.36 no.421



         眼窩よりこぼれし金亀虫(こがねむし)の闇     鬼房

                                     『半跏坐』(平成元年刊)


  句集には、〈胃切除のため入院 十七句〉とあるうちのひとつである。肉体で編まれた句

 だ。カンフー映画には「見るんじゃない。感じるんだ」という台詞が出てくるが、文脈をこねく

 りまわすよりも、体当たりで「感じる」べき句である。一読、死と再生を私は「感じた」。

  始まりはグロテスク。「眼窩」とは目玉の収まっている窪み。しかも、コガネムシが「飛ん

 だ」のではなく「こぼれし」なのだ。しゃれこうべからコガネムシがポトンと落ちたよう。普段

 なら楽しい友達のような虫だが、病床から見れば、まるで自分から何かが抜け出て行った

 ような虚無感を呼ぶ。

  ここまでなら、「死の絶望感」で、句は終わってしまう。が、「闇」が最後に登場する。この

 描き方が実に不思議。「闇」だけを強調すれば、それはバッドエンドでしかない。しかし、

 「金亀虫の闇」と読み下すことでイメージが微かに緩み、闇が「終点」ではなく、コガネムシ

 がまだ進んでいる「道」という可能性となる。希望の余韻があるのだ。これこそが作者の見

 た「闇」=「死ではなく再生につながる世界」ではなかろうか。

  病床という背景を抜きにしても、見えてくるものがある。

  刺激的な単語が多いのに、不思議と安らいだ気持ちになる一句なのである。

                                     (西山ゆりこ「駒草」)



  眼からこぼれるものとは涙だろうかと一読思ったが、冒頭「眼窩」である。そこから零れ

 たのは「黄金虫の闇」、句跨りで、下へと重く広がってゆく感じがする。眼窩は頭蓋骨の眼

 球の窪みのことを言う。一瞬、落ち窪んだ目元から虫が零れる様を想像して恐ろしくなった

 が、句に戻るとそのような不気味さはない。それは「黄金虫の闇」のためだと思う。ころんと

 した光沢のある黄金虫の湛える闇には、飲み込まれてしまうような強大な闇ではなく、むし

 ろ静かな深みのようなものを感じる。それは長い歳月を生きてきた故にできる、目元の優

 しくも寂しい陰りに似ている。

  掲句は第九句集『半跏坐』の〈山藤の高きに咲けりいつかは死ぬ〉から始まる一連「胃切

 除のため入院 十七句」内の一句。年譜に昭和六十一年五月に入院、六月「胃3/4、膵

 臓1/2、脾臓除去」、八月退院とある。長く病床で過ごす間、鬼房の意識は自身の内側、

 臓器や器官へと宿ることがあったのではないだろうか。眼窩とは自身の内から見た視界。

 ゆるく起こしたベッドから見えるところに、黄金虫がとまっていた。頭を動かさず目だけで追

 っているので、その姿の細部は分からず、まるで小さな闇のようである。ともすれば、ふっ

 と飛んで下へとこぼれていったかのように視界から消えていったのだ。病床に伏しながら、

 自在であり、その目元にはきっと歳月の陰りに覆われてしまうことのない、力強い眼差しが

 あるのだと感じた。

                                             (千倉 由穂)