小 熊 座 俳誌 小熊座
高野ムツオ 佐藤鬼房 俳誌・小熊座 句集銀河星雲  小熊座行事 お知らせ リンク TOPへ戻る
 

 小熊座・月刊


   2020 VOL.36  NO.418   俳句時評



      九年目の震災詠考 1 
                 
二つのコラム記事から

                              武 良 竜 彦



  東日本大震災から九年目の春である。

  「小熊座」購読の大多数の方が読んでいる記事だと思うが、2019年12月24日と25日

 の、朝日新聞の連載コラム記事を二つ、その全文を転載する。このシリーズにはその報道

 の主旨が次のように書き添えられている。

 《大震災や原発事故に詩歌の言葉で向き合う人たちがいる。その営みを追った。(赤田康

 和)》

     ※

  (てんでんこ)言葉で向き合う : 1

  ■わずか十七音。背後にある沈黙の力で

  東日本大震災が起きたとき、宮城県多賀城市の俳人、高野ムツオ(72)はJR仙台駅の

 地下にいた。激しい揺れが収まり、駅近くで働く娘と一緒に帰ろうと思ったが、連絡がとれ

 ない。午後5時半ごろ、徒歩で一人、自宅に向かった。みんな不安そうに歩いていた。

  〈 膨れ這い捲れ攫えり大津波 〉 〈 触角のきらめく少女地震の夜 〉 〈 地震の闇百足と

 なりて歩むべし 〉

  「こんな状況だからこそ」 と、歩きながら句を作った。津波の巨大な力を恐ろしげな動詞

 で表し、懸命に歩く少女をアリに、自身をムカデに見立てた。人間は無力。愛おしさを込め

 た。

  死は四年前に覚悟していた。咽頭がんが見つかり、「五年以内の生存率は30%」と告げ

 られた。がんを切除し、腸の一部を切り取って咽頭に貼り付ける11時間に及ぶ大手術を

 受けた。

  〈 癌もわが細胞であり冬の星 〉

  震災の日、家に着いたのは5時間後。停電していた。車のカーナビに映る津波の映像を

 何度も見た。震災の苦しみや悲しみはあまりにも大きすぎた。それでも「自分は俳句しか

 能が無い」と書き続けた。

  〈 鬼哭とは人が泣くこと夜の梅 〉

  亡霊が泣く姿に生者が泣く姿を重ねた。「俳句にはわずか十七音しかない。だからこそ、

 背後に無限の沈黙がある。その沈黙の力で向き合える。」 震災と病の句を収めた句集

 「萬の翅」は蛇笏賞、読売文学賞、兵庫県の小野市詩歌文学賞と異例のトリプル受賞とな

 った。

  震災後、宮城県七ケ浜町で津波で倒れた桜が花を咲かせていた。枯れかけているのに

 死者を悼んでくれているのか。こんな句を詠んだ。

  〈 みちのくの今年の桜すべて供花 〉

     ※

  (てんでんこ)言葉で向き合う : 2

  ■色を奪った原発事故。怒りも叙情も凝縮

  東日本が巨大地震や津波に襲われた2011年春。余震が続き、原発事故の収束も見え

 ない日々が続いた。福島県須賀川市の永瀬十悟(66)は自宅で寝袋にくるまり、妻を起こ

 さないよう懐中電灯を頼りに手帳に俳句をつづった。

  〈 牛虻よ牛の泪を知つてゐるか 〉

  〈 被曝量不明の庭の五加木摘む 〉

  原発20キロ圏内の警戒区域では牛や豚が取り残され、政府は殺処分を決めた。「原発

 は負の面がある。皆が分かっていながら事故を防げなかった」。自身も福島工業高等専門

 学校を卒業し、医療製品会社で放射線も扱った。「知識を持つ理系の技術屋」なのに想像

 力が足りなかった自身への怒りも大きかった。

  その年の五月末、50句を角川俳句賞に応募。自らを 「田舎の無名の俳人」というが、

 「一つの詩の世界に完全に昇華している」などと選考委員の俳人・長谷川櫂らが称賛し、

 629作品から賞に選ばれた。

  翌十二年、俳句仲間に頼まれ、仮設住宅の入居者のための俳句教室を開いた。参加者

 は野に咲いたコスモスなどの花に「こんなに色とりどりで美しいとは」と目を輝かせた。原発

 事故が景色から色を奪い、モノトーンに変えていたのだと感じた。

  「怒りにどうにか区切りをつけたい」と句作を続け、昨秋には句集「三日月湖」を出した。

  〈 鴨引くや十万年は三日月湖 〉

  〈 それからの幾世氷の神殿F 〉

  原発周辺の無人となった地域を「三日月湖」に、凍土壁に覆われた原発を「氷の神殿」に

 たとえた。怒りや絶望、叙情も凝縮させた作品群は、現代俳句協会賞に選ばれた。

  「時事の出来事を俳句に詠むべきでないという人もいるが、その時代、その状況を詠め

 なければ文学ではない。この不条理を言葉にしたい。今回を最後の原発事故にするため

 にも」

     ※

  高野ムツオ氏と永瀬十悟氏に長時間の取材と、現地ルポを行って、この記事を書いた

 朝日新聞社の記者、赤田康和氏は、永瀬十悟氏に聞いたところによると、来歴に文学の

 素養がある人だということであった。

  引用されている句は本人たちの推薦ではなく、赤田記者が自分で選出したものだという。

 その的確な選も含めて、記事の書かれた方にも、要を得た切れ味を感じる。

  高野ムツオ氏が俳句で震災に立ち向かった姿勢を「俳句にはわずか十七音しかない。

 だからこそ、背後に無限の沈黙がある。その沈黙の力で向き合える」という言葉に象徴さ

 せている。

  永瀬十悟氏の姿勢には、凍土壁に覆われた原発を「氷の神殿」にたとえ、怒りや絶望、

 叙情も凝縮させ「その時代、その状況を詠めなければ文学ではない。この不条理を言葉

 にしたい」という言葉で象徴させている。

  無限の沈黙を背負う短詩形文学という自覚。

  不条理にこそ言葉を与えようという意志。


  この二人の俳人だけではなく、現代俳句が震災体験から得たこと、その表現論的原点に

 立ち返って、今と明日を詠むこと。そのことを、新聞記者という報道に携わる人の慧眼で、

 改めて浮き彫りにしてくれた好企画の文章だった。

  この赤田記者のような、俳句における震災詠の総括文を、多くの俳人自身にこそ書いて

 欲しいと願うばかりだ。

  俳句界は未だそれを成し得ていないのではないか。




                                        パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
                            copyright(C) kogumaza All rights reserved