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 小熊座・月刊  


   2019 VOL.35  NO.410   俳句時評



      八年目の「震災詠」考 ⑷
            ―『釜石の風』照井翠の思索から①


                              武 良 竜 彦



 「あなたに俳句があってよかった。俳句にあなたがあってよかった」

  句集『龍宮』を上梓した後、照井翠の元にはたくさんの感謝の書状が寄せられたという。

 その中で照井がハッとさせられたのがこの詩のように書かれていた言葉だという。

  その後に続く文を照井翠エッセイ集『釜石の風』(コールサック社2019年3月11日)より

 以下に摘録する。

     ※

 「あなたに俳句があってよかった」の意味はよく分る。〈俳句の虚実〉があったからこ

 そ、極限状態の中でも、私は気がふれることなく、自分自身を何とか保つことができ

 た。実際、俳句の断片をメモや手帳に書きつけている時は、避難所での辛く重苦しい

 生活を忘れることができた。


     ※

  俳句を詠むという文学的行為とは、実体験をそのまま言葉にすることではない。非被災

 者が根本的に理解し損ねているのは、被災者が直面したのは「言葉を失うほどの過酷な

 災害現場」だったのであり、並みの精神ではそのとき言葉など思いもつかない状態だった

 ということだ。被災者たちの口からついて出たのは言葉ではなく、意味をなさない叫びだっ

 たのである。『龍宮』で「気の狂れし人笑ひゐる春の橋」と詠まれているように狂気に陥り慟

 哭する姿が活写されている。そんな状態の被災者に「励ましの句」を贈ろうなどということを

 思いつくような、合〈目的〉的な非文学的姿勢が、いかに場違いであるか解るはずだ。

  そんな「言葉を失った」情況の最中に、それでも何か表現しようとするところに、文学が文

 学である必須条件の、自己表出に向かう心的欲求の起点がある。その起点から言葉を立

 ち上げ得たものが、文学的表現者となり得るのだ。

  話は少し逸れるが、水俣病被害者の漁師村に足を踏み入れ、その地獄図のような有様

 を目の当たりにしたとき、一介の主婦だった石牟礼道子は言葉を失ったはずだ。そのとき

 言葉を失う体験をした石牟礼道子は、後年、書き言葉としての美しい内在律を与えた疑似

 的な「聞き語り」という文体を創造して、日本の近代化によって圧殺・棄民された漁師たち

 の豊かな風土と文化を描き切ったのである。望まない受苦と死という言葉の真空状態がそ

 こにあった。そこに言葉を与えなければならない、そんな情熱に駆られて、石牟礼道子は

 『苦海浄土』を書いたのである。

  照井翠も「震災詠」であることを目的として俳句を詠んだのではない。言葉の真空状態と

 いう過酷な生のただ中に、なんとか言葉を与えようという自己表出への思いだけが、彼女

 の「正気」を支えたのだ。

  照井翠の『龍宮』所収の俳句は、作者の直接的な心情吐露ではない。創作的〈表現の虚

 実〉という文学的な自己表出への心的欲求を自己の内部に奮い立たせて詠んだ俳句なの

 である。そうすることで彼女は凄絶な狂気を孕む惨状から、自己を立ち直らせたのだ。

 『龍宮』の俳句表現の内面的な強度が、同じような被災体験をした者たちの心を震わせる

 のだ。「あなたに俳句があってよかった」とは、その表現に立ち向かった困難と、それを乗

 り越えようとする意志の在処に、自分を重ねることができるからだ。

  先に引いた照井のエッセイは更にこう続く。

     ※

  一方、「俳句にあなたがあってよかった」とは、一体どういう意味だろう。 (略) 

 「俳句という詩にとって、照井翠という表現者がいたことは良かった」という意味なの

 だろうか。もしそうだとしたら、なんと有り難く勿体ないお言葉だろう。/私は加藤楸

 邨の俳句に深い感銘を受け、俳句表現の道に入ったのだが、その楸邨門の先輩の

 方から、「この『龍宮』は、二十一世紀の『野哭』だと思います」とのお言葉をいただい

 た時は、あまりの有り難さに涙が溢れた。 (略) これらのお言葉を糧に、今後の俳

 句創作に邁進していきたいし、なお一層〈俳句の虚実〉を見据えていきたいものと念

 じている。


     ※

  戦争末期の東京で空襲の恐怖におびえながら『火の記憶』という句集を上梓した加藤楸

 邨は、戦後すぐに句集『野哭』を上梓する。第一章の「流離抄」は、1945年5月から1946

 年7月までをおさめる。句集の冒頭の五句。

   一本の鶏頭燃えて戦終る

   富士の紺すでに八方露に伏す

   わが家なき露の大地ぞよこたはる

   かくかそけく羽蟻死にゆき人飢えき

   飢せまる日もかぎりなき帰燕かな

  一本の鶏頭の赤が無惨で悲惨な敗戦を象徴する。家も焼かれ、焼け野原となった東京

 から富士山が見えたか。羽蟻のような死者の姿と生き延びた者たちの飢え。そんな地獄

 図の光景の中でも燕は帰ってくる。

   死や霜の六尺の土あれば足る

   草蓬あまりにかろく骨置かる

   何がここにこの孤児を置く秋の風

   死にたしと言ひたりし手が葱刻む

  戦争も望まない受苦と死という言葉の真空状態を生む。楸邨の『野哭』も、その言葉の真

 空状態に文学者として言葉を与えようとして詠まれたという意味で、『龍宮』と文学的等価

 性を有する句集であると言えるだろう。

  近代化の象徴企業による大量無差別殺人・殺人未遂の被害地区で、言葉を失うような体

 験をして育った私は、青年初期に『苦海浄土』を刊行と同時に読み、「文学に石牟礼道子

 があってよかった」と心から思った。そんな私にも、「俳句に照井翠があってよかった」とい

 う資格はあるのではないだろうか。『龍宮』から数句を引く。

   双子なら同じ死顔桃の花

   卒業す泉下にはいと返事して

   流灯にいま生きてゐる息入るる

   寒昴たれも誰かのただひとり

   亡き娘らの真夜来て遊ぶ雛まつり

   朝顔の遙かなものへ捲かんとす


 (この項続く。照井翠の思索をもう少し深く追いたい)




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