小 熊 座 2018/12   №403  特別作品
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      2018/12    №403   特別作品



        露けし          田 中 麻 衣


    鰯雲上総と安房の国境

    天空の城の入口蔦紅葉

    観音の爪先にある秋湿り

    雨ざらしの賽銭箱や昼の虫

    いぬぐすと教えられたる落葉かな

    石段の窪みに虫の声潜む

    垂直に切り立つ崖や末枯るる

    木の実降る足もとばかり見て登る

    出口また入口となる実葛

    太平洋足下に曼珠沙華倒る

    釣り餌ありますとなんでも屋天高し

    鐵鏡の祀られてをり新松子

    愁思かな高足蟹の脚九本

    露草の岸に座りて海平ら

    雁渡し大漁旗を煽りをり

    露けしや笊に盛らるる白眼張

    ひやひやと鮫の眼の透き通る

    行く秋や海に捨てらる魚の粗

    秋天を鳶一群の占有す

    鳴き砂を鳴かせてをりしひややかに



        麻 衣          中 村   春


    冬薔薇マリアカラスの苦笑ひ

    オークルの山肌あらは秋の風

    短夜の人工肺と透析と

    月光を待つ獅子(しいさあ)と赤瓦

    初ぼたる亀甲墓の向かうより

    かなかなかな常世の国のはづれかな

    空蟬の軽みに震え幼の手

    バラックにシークァサーの香り満つ

    出稼ぎの祖父の遺せし麻衣

    あふりかまひまひ鉄条網を上り詰め

    あかつきの露とくとくとトーチカ

    敗戦日碧を切りゆく小型船

    水鏡にゴマジオアタマ雁の声

    秋日和檻の孔雀の糞りにけり

    秋の日の都電ゴーゴー雑司ヶ谷

    飛行船しばし映りて秋の水

    沖津波電照菊の光り出す

    月明のインクラインの和船かな

    徽音堂へ銀杏落葉を踏んで行く

    一期一会やクスクスを食ぶ秋の夜



        噴 水          髙 橋 彩 子


    ほんとうは死後の心配山椒魚

    蟬時雨毬藻のような母がいる

    油虫汝が地球を看取るのか

    水飯にすこしさざ波立ちており

    キーボードのキーがひしゃげる暑さかな

    噴水の疲れ切ったる高さあり

    一筋の風を待ちたる心太

    夏星に近づく梯子掛けており

    明日生きるために水飲む水を打つ

    盆唄の細き合の手亡者なり

    男湯を女湯に替え虫の闇

    妹は少し意地悪赤のまま

    みちのくの秋空にある轍かな

    鶏頭のざっくり剪れば血の匂い

    先生の先生元気月夜茸

    鼻すでに獣のごとし茸山

    猪はなめとこ山の主なりし

    足長き巫女の摺り足冷まじや

    鮭のぼる町はいっとき充電す

    字名は地獄沢なり水澄める



        秋気満つ          志 摩 陽 子


    江の島の賑はひ余所に燕去る

    鳶の舞ふ色なき風の城ヶ島

    夕日差す軒端に秋のなごり蝶

    尼寺へ続く人波紅葉晴

    耐へ切れぬ痛みあるかに石榴裂け

    箒目をつけて庭掃く寒露かな

    花野行く人の歩みのゆつくりと

    音のなき風の流れに萩こぼれ

    糶終へし三崎に鵙の声猛る

    夕暮れを待たぬ雨音秋寒し

    濡れ縁に夫と語らふ柿日和

    頸椎を走る激痛冷まじや

    火恋し一人痛みに耐へる夜半

    秋気満つ三浦台地に陽のあふれ

    雁渡し雲一つなきふるさとは

    新蕎麦や祖母の生地の小諸宿

    山粧ふ洩れ日ゆたかな中山道

    単線の車窓に続く豊の秋

    結界より枝を伸ばして狂ひ咲き

    健やかな夫の寝息や十三夜



        萱葺きの家(とある翁の聞書)     大久保 和 子


    畦を出ていつしか月が照らす道

    野良仕事常に裸足といふきのふ

    足らねば飯は食ふなと釜取り上ぐ

    小作農に敗戦といふ青い空

    手間ひとつ惜しまぬ百姓秋桜

    長男の黙稲を刈り稲を扱く

    稲を刈る前の夜なべや俵編む

    萱葺きの家のらんぷや残る虫

    電気柵越ゆるイノシシ蕎麦の花

    おてんとさんが呉れたと南瓜抱へ来る


   テレビの美術番組で油彩画家向井潤吉が描いた「郷愁日本の民家」( 平成八年発行) が

  紹介された。消えてゆく古民家の絵と文が当時の風土と風景をあたたかな目線で捉えている。

  昭和三十六年には七ヶ宿町横川の民家も描いている。この本を卆寿を迎えた知人に見せた

  ところ、活き活きと当時のくらしを語ってくれた。

   昭和三十年代の集落は七十戸ほど。萱葺きの葺き替えは年に三戸ずつと決められていた。

  農作業が人手と牛に頼るしかなかった時代、繁忙な農作業の合間を縫っての作業は契約講

  という互助組織を総動員。大きな家には延四百五十人もの人手を要した。毎年稲刈りが終わ

  った十二月一日から一週間を「萱刈り」と決め、その後すぐ稲扱き籾摺りの作業に入り、葺き

  替えは翌年の彼岸の頃。二、三十年に一度の葺き替えは、その間のごみや煤を吸い込んだ

  屋根を剥がすと全身真っ黒になり、干した大根の葉を入れた湯で洗い流した。終われば「ふ

  ぎごもり」という直会(なおらい) のひとときを皆で楽しんだそうだ。

   杉皮(すんかわ) 煙出し(けむだし) 縄通し(なわとおし)さしぐち(調理した油揚げ、蒟蒻、

  芋などを串刺にした昼のおかず) など、初めて聞く言葉が飛び出し、賑やかな萱葺きの様子

  が鮮やかに想像された。お互いを気にし、気にされていた時代が確かにあった。   (和子)