小 熊 座 2018/12   №403 小熊座の好句
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    2018/12   №403 小熊座の好句  高野ムツオ



    
その上はもう宇宙だよ赤蜻蛉        武良 竜彦

  俳句では上五に、よく「それ」や「これ」という指示語を用いる。散文ではルール違反

 である。俳諧連歌であった頃の名残かもしれないが、下五から上五へ行き戻り読む

 という俳句特有のリズムによって、散文では考えられない効果を発揮する。掲句では

 赤蜻蛉の、そのすぐ上の広がりであることは容易に判断できよう。強調の効果も生ん

 でいる。宇宙とは、地球の彼方に広がる天体のことではなくて、眼前からすでに始ま

 っているのだという発見がここにはある。白川静の『字統』に拠れば、宇宙の語は「荘

 子」に「日月に旁ひて宇宙を挟む」とあり、「淮南子」に「往古来今、之を宙と謂ひ、四

 方上下、之を宇と謂ふ」とみえ、時間と空間をいう語であるそうだ。つまり、「宇」は空

 間、「宙」は時間、宇宙とは時空すべてのことなのだ。それが赤蜻蛉の翅に上に乗っ

 ている。

    月光に水を抱きし山毛欅の森        布田三保子

  山毛欅の幹に耳や聴診器を当てると樹体を流れる水音が聞こえるという話が広ま

 ったことがあった。しかし、どうやら、それは風で幹が擦れる音や幹そのものが振動

 する音であるらしい。夢が萎んだ気持ちにもなるが、少しほっとした気持ちにもなる。

 そんな血潮のように水が流れる木を人間がこれまで数限りなく切り倒してきたと想像

 したくはなかったからだ。それでも改めて草木悉皆成仏という言葉を思い浮かべた。

 この句からは、水を蓄えた一本一本の山毛欅が見え、さらにその木々が形作る大き

 な山が見えてくる。しかも、それは月の光を浴びながら鎮座する大仏の姿に二重写し

 となってくる。

    葛の原首出している開墾碑          佐竹 伸一

  かつて田畑であった場所がいつのまにか、もとの葛原に戻ってしまった。山形の松

 ケ岡開墾場は、明治維新の廃藩置県ののち旧庄内藩の藩士たちが養蚕によって日

 本の近代化を進め、庄内の再建を行うべく開墾した場所だという。本陣や大きな蚕室

 などが残っているようだ。しかし、ここは数少ない成功例の一つで、失敗に終わった

 開墾は数え切れないだろう。一時は成功し村落を成したにもかかわらず、その後の

 時代の波に取り残され、やむを得ず子孫が四散してしまったところもあろう。この句

 の生まれた場所もそうしたところだったに違いない。残っているのは開墾の記念に立

 てられた石碑のみ。「首出している」が開墾に精魂をこめた人々の姿や生き様まで伝

 える。風に吹かれる葛の葉に古歌や浄瑠璃などの「うらみの葛の葉」を重ねてしまっ

 ては落ちが付き過ぎということになるか。

    己が身の闇より斧やいぼむしり        丸山みづほ

  まず思い浮かんだのは、なぜか般若の面である。「般若」はもともと智慧を意味する

 仏語。それが面の名前になったのは、般若坊という名の僧侶が最初に面を彫ったか

 らだとか、『源氏物語』の葵の上にとりついた六条御息所の生霊が、般若経を読んだ

 ら退散したからだとの説がある。般若はまだ中成り、つまり、鬼に化する途中の顔で

 その完成形ではない。三段階あって、般若になる前を生成りと呼ぶ。角が出掛かった

 ばかりで、形相もまだ若い女性を連想させる。般若の次が本成り、真蛇とも呼ぶ。憎

 悪のあまり蛇と化した顔だ。口は耳まで裂け、牙が長く、髪の毛もほとんどなくなる。

  般若は女性の面ではあるが、憎悪、妬み、恨みなど、本来、男女の区別ない人間

 の心の闇の象徴であろう。この句は、鎌をかざした蟷螂を見たとき、ふと、人間の、

 その殺気だった心が生んだ斧を連想したのだ。斧は武器だが、蟷螂の場合は、身を

 守る場合と食べ物を得る場合にのみかざされる。人間の斧は、物欲や色欲など人間

 のみの根源の闇からかざされる。

    太陽の雫ぞ陸奥の唐辛子            高橋 彩子

  唐辛子の原産はアメリカ大陸。ヨーロッパを経てアジアにそして、日本に伝わった。

 十六世紀頃であるらしい。胡椒の代用品として広まったとのことだ。南蛮胡椒の名称

 はそれゆえ付いた。イタリアでは唐辛子が魔除けの象徴となっている。形状が男根

 や鹿の角の形に似ているとのことだが、唐辛子の辛さに込められた生命力が尊ばれ

 たのであろう。ここでは太陽の光の雫と捉えた。それもみちのくの唐辛子。軒先に干

 されてある姿からの発想だが、一つ一つがそのまま陸奥の国の形になって反り返っ

 ている。

    ロヒンギャの声なき声か鷹渡る         高和 文子

  ロヒンギャの差別、迫害の問題は複雑で根が深いと聞く。「ロヒンギャ」という呼称一

 つを巡ってさえ深刻な議論がある。国という制度の根本にも関わる問題だ。難民迫害

 の悲劇は今も続き、その上空を国など不要の鷹が渡っていく。

    終活のゲバラ全集捨て冬へ           小野 郁巴

  キューバの革命家ゲバラ、戦後日本を訪れたこともある。『ゲバラ選集』の第一巻

 は昭和四十三年に青木書店から出ている。青春の熱い血潮が踊った、その本も処

 分する年齢を迎えた。「終活」という言葉が時代を映し出している。「冬へ」の決意に

 気力がこもる。





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