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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (96)      2018.vol.34 no.400



         混沌と生き痩畑を耕せリ           鬼房

                                    『幻 夢』(平成十六年刊)


  掲句は鬼房の得意とする表現法で、例えば〈成熟が死か麦秋の瀬音して〉とほぼ同じ展

 開を見せる。特に上五「混沌と」はいかにも彼らしい。〈切株があり愚直の斧があり〉等、鬼

 房句にはごつごつした漢語を唐突に裁ち入れる迫力があった。「混沌」「愚直」は俳句でさ

 ほど用いられない熟語で、江戸俳諧風にいえば俳言(和歌で詠まれない漢語や俗語)に近

 い。彼は、季感や詩情に包まれ、癒やされる程度の人生を詠みたい俳人ではなく、むしろ

 季感や定型と対峙するように自身の生を、その泥臭い格闘や解決しようのないもつれを刻

 もうとし、「混沌」「愚直」等を俳句に持ちこむ文士だった。

  人生をきれいに結論付け、分かった風に生きるのではなく、「混沌と生き」ながら意地の

 ように「痩畑を耕せり」、という。「混沌に生き」であれば、混沌たる生き様を静かに受け入

 れ、その中で痩畑を耕す観があるが、「混沌と生き」は混沌であることを打ち出す姿勢が濃

 厚で、「痩畑」から離れず、こだわるかのように耕す人物の、意地にも似た矜持が感じられ

 る。

  鬼房は「海程」昭和四十三年三月号で次のような一節を書きつけている。「私には悟達な

 んて、一生あり得ない」「そうたやすく時代に即して泳いでたまるものか」……生きることに

 安易な答えを見出さず、人間が人間でしかないことに留まり、身悶えしながら「混沌」を肯

 定する姿勢。それは哀しみとすれすれの矜持であり、掲句にもその雰囲気は濃厚だ。

                                       (青木 亮人「参」)



  皆さんは「()()飯」(注1)「シダミ餅」(注2)という食べ物を御存知だろうか。これらは

 三陸地方の粗末な食の歴史を代表する食べ物であり、今では死語となっていよう。鬼房俳

 句を語る時、避けて通れない時代背景として、東北の三陸地方のたどって来たヤマセによ

 る冷害との戦いの歴史がある。鬼房の生まれた、岩手県岩泉町も又海と山とに挟まれた、

 狭い田畑を耕す暮しであったはずだ。更に数年毎に発生する大冷害はしばしば深刻な饑

 饉をもたらした。この飢えの記憶は代々受け継がれるらしく、鬼房の生きた時代が少しは

 豊かになりつつあったとしても、その作品に最後まで影響を与え続けたのである。肉体的

 な飢えの体験は精神的飢えに連っているのだ。

  この「飢えの記憶」こそ鬼房俳句の源流をなす。「混沌と生き」も「痩せ畑」も、作者のハン

 グリー精神の投影と見てよい。

  ところで同じ岩手出身の宮澤賢治は、法華経に帰依していたことから、当時の農民の困

 窮を仏教的見地から救済しようと試みたのだった。彼等と共に耕し共に冷害と戦おうとする

 ものだった。「グスコーブドリの伝記」に童話の形で表現されている。では鬼房はどうか、単

 なる文人趣味の俳句ではない、重く力強く底辺に生きる人間を表現している。

  東北に鬼房あり、と俳句界から一目置かれるに至った。後継者を育て、痩せ畑だった畑

 は今や十分豊かになったのである。

  注1 布の子飯…凶作の折、昆布や若布を刻み、わずかの米に混ぜて量を増やした飯

  注2 シダミ餅…渋抜きをした団粟の粉を主にした餅。あまり風味は良くないが腹の足し

            になる。

                                          (阿部 菁女)






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