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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (91)      2018.vol.34 no.395



         死に場所のない藻がらみの俺は雑魚(ざこ)       鬼房

                                    『枯 峠』(平成十年刊)


  私は七十八歳。この作品に過ぎし日を回想。戦後の幼少年時代に畦道を歩くと、清冽な

 小川に藻草が勢いよく生え、水の流れに添うようにして揺れ、そこには魚が生息していた。

 大人たちは藻草を刈り、堰辺に天日干し。昔の村は厠が家の外にあり、乾いた藻でお尻を

 拭く習慣があった。それほど紙などのない物資不足で貧困生活であった。

  雑魚は子供たちが楽しみの一つとして小川で魚とりを行い、親たちの生活の一助になる

 ことを期待し、大人も子供も生きるということに強靱な精神力を持っていた。

  〈死に場所のない藻がらみの俺は雑魚(ざこ)〉は、戦中戦後において、鬼房先生の生きると

 いう緊張感と精神性が伝わってくる。鬼房先生にも生活の苦労が多かったのだろうか。そ

 の人生の一コマを正直に作品化。私には肉声を込めた作品であることを思わされる。

  人間は誰れしも生きる不安、喜怒哀楽、屈折などがあり、すべてが順調ではない。鬼房

 先生も人間的不安があったのかもしれない。しかし、風土を根底に歩き、心の温か味を大

 切に、東北の土の温もり、塩釜の潮風を肌で感じとり、正義感に富む俳人として慈しみを

 忘れない先生であった。紆余曲折に耐えられる先生だからこそ、この〈死に場所の〉句は、

 日常生活に据えた作品として高く評価したい。

  鬼房先生とは幾度もお会いしている。先生からのおハガキなどを大切に保存している。

 含蓄に富む先生であった。

                                 (舘岡 誠二「寒鮒」「海程」)



  「死に場所がない」この言葉を読んだ時、現代に生きる人々の心の叫びなのかと思った。

 どこにも自分の居場所を見つけられず、愛されたい、寂しいと言えない人々の、インターネ

 ット上には、死にたいという言葉があふれている。

  鬼房は、三十歳の父を亡くし、若くして哀しみを知り、生活の苦しさ貧しさの中で生きた。

 東京、そして戦場に行く事になるが、次々と戦友が亡くなっていく中、死は日常であり、今を

 生きるため俳句があった。結局戦争は他者の命の奪い合いであり、捕虜を経験し、帰還し

 た鬼房が感じた事は、生の実感より、自分のような小さな小さなちっぽけな者が、生き残っ

 たという強い罪悪感だったのではないか。まるで藻がらみの魚のように、生かされた。その

 意味を問い続け、いつ死んでもかまわない覚悟で戦後を生きた。そして哀しみが深く、罪

 悪感を背負い続けた人だからこそ弱者への深い愛情、優しさを俳句を通して感じることが

 できる。厳しい気候風土のみちのく塩竈に根を下ろし自分が一人で立っている場所、心の

 中こそ、死ぬ場所であると教えてくれる。鬼房の死後、東日本大震災が起こった。そして阪

 神大震災から二十三年目の年が明けた。深い哀しみをずっと背負いながら今を生きてい

 る人々がいる。

  塩竈という哀しみを知った町で亡くなった俳人の魂は、哀しみを知る人々とともに、常に

 そこに生き続けている。

                                              (船場こけし)





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