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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (88)      2018.vol.34 no.392



         目を落とすとは死ぬことぞ雪兎          鬼房

                                  『愛痛きまで』(平成十三年刊)


  「目を落とすとは死ぬことぞ」とは何と重たい言い振りだろう。目を落とすというのが 「落

 命」の意味で用いられるのは東北などいくつかの地方にあって更に一部の地域に分布して

 いる方言らしいが、なるほど納得のいく言葉である。ならば逆に、生きているということは、

 何かを見つめる、あるいは見つづけるということだろう。しっかりとした意志をもった眼差し

 こそが生きていることの証。今在るこの世界から目を逸らしてはならない。そんなメッセー

 ジがこの言葉、この句から強く感じられる。

  この上五中七の断定は、重いのと同時にエネルギーに満ちている。そしてそれに続く下

 五に置かれたのは「雪兎」。見事な言葉の選択である。盆の上の雪で作られた可愛らし

 い兎、耳は楪葉、目は南天の実だろう。体の色の白と目の色の赤のコントラストの鮮やか

 さ。その目に着目したい。雪で作られた可愛らしい兎なのにこの目は生きている。いやこの

 句の中では、そのように感じられるのだ。

  どうやら雪兎は確かな存在感を示しながらも、この句の中では「目を落とすとは死ぬこと

 ぞ」という言葉のエネルギーを引き立たせるのに一役買っているようである。これらの言葉

 の選択と感性鋭い構成に支えられて、己の人生、体験してきた「世界」の認識を俳句と言う

 表現形式にねじ込んでゆく力がこの句の魅力なのである。

                        (竹内宗一郎「天為」同人・「街」同人編集長)



  この句は、死期の近さを感じつつ、我が身と雪兎とを重ねられての作だと理解している。

 その時の師の思いに寄り添った鑑賞をすべきとは思うが、二年近く前に長年連れ添った妻

 を失ったこともあり、私の身に引き寄せての鑑賞となることをお許し願いたい。

  妻が逝ったのは、大寒の雪の晴間。病室の窓から、冬の光が降り注ぐ昼過ぎだった。苦

 しく切ない呼吸が止まり、開かれていた薄目が閉じた。その瞬間の光景を、今も鮮明に覚

 えている。

  雪兎は、目には南天の赤い実を、耳には南天や笹やユズリハの葉をつけ兎の形にした

 小さな雪の塊。この単なる雪の塊を、雪兎足らしめているのは、緑の葉の長い耳というより

 は赤い実の目玉であることに異論はないと思う。

  目を落すとは死ぬこと。当たり前すぎて、これだけなら単なる説明に過ぎないが、下五に

 「雪兎」を置くことで、詩情を醸す上五・中七へと見事に変貌させている。赤い目を失う時、

 雪兎は単なる雪の塊となり、やがてそれすらもこの世から消し去ってしまう。雪兎の赤い目

 が剥落しゆく映像は、人が目を落とす瞬間の光景をよび起こさずにはおかない。また、こ

 の上五・中七があることで雪兎の存在が際立ち、やさしく清らかな雪兎を、命の儚さの表象

 足らしめているとも言えるのではないか。

                                              (佐竹 伸一)





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