小 熊 座 2017/4   №383 小熊座の好句
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     2017/4   №383 小熊座の好句  高野ムツオ



    鏡餅その奥の闇知らぬ闇        越髙飛驒男

  鏡餅が現在の姿形になったのは室町時代辺りからだが、原型は飛鳥時代にすでに

 あったと奥村彪生の『日本料理とは何か』で知った。『風土記』の豊後の国の説話に

 餅を的にして矢を放ったところ白い鳥と化して飛んでいったとの記述がある。鏡餅は

 名前通り鏡を模したものである。鏡の原点は水鏡だが、古代人は水鏡に自分の姿が

 映ることを恐れた。魂が映ると感じたからだ。同様に神も鏡に宿るのである。稲作文

 化到来以後、そこに宿るのは稲魂つまり、稲の神であり、鏡餅を作り、割り、それを

焼いて食べるのはその神の魂を分かち合うこととなった。新しい年の豊作を神に念じ、

 その加護に約束された未来を生きたいとの願いがこもっている。しかし、掲句では、

 その未来の時間は闇、しかも、見知らぬ闇であるという。闇は原初そのものだから、

 決して不吉なイメージだけを持つものではないが、私などには今を生きる一人一人が

 迎えようとしている時代の闇でもあると読めてしまうのだ。

    眼裏は戦争の闇桜咲く          上野まさい

  この「戦争の闇」は、果たして過去の闇だろうか。

    寒鯉の眼に幻の桜散る          増田 陽一

  鯉は生命力の強い魚で、齢は七十に達する場合もある。記録では二百年以上とい

 うのもあるようだ。濡れ新聞紙などの中でも長時間生き続ける。滝を登ると竜に変身

 するという、いわゆる登竜門は、この生命力から生まれた話だろう。その鯉が寒中の

 池の底で、竜さながらに、ひそかに春を待っているというのが掲句である。時折鰓が

 動くだけだが、まばたきもせずじっと見開かれている目に映っているのは幻の桜が散

 る姿だという。それは何十年何百年生きてきた鯉が、その年その年に出会ったすべ

 ての桜であろう。時間の彼方に重層するがゆえに幻影となったのだ、その桜を見つ

 めながら、今年もまた新しい桜を待つのである。

    春光は奥の鱗や河口まで          𠮷野 秀彦

  陸奥を意味する「奥」であろう。「奥の高野」という言葉もある。「みちのくの高野」と

 いう意味の松島雄島を指す言葉だ。春光はみちのくを輝かす鱗。その光が潮に乗っ

 て無数の漣となり、河口に押し寄せてくる。まるで蝶の翅がきらめきながら寄せてくる

 ようではないか。津波以後の再生のイメージもこもる。

    亡者はや病むことはなし雪解川      武良 竜彦

  こういう悼み方もある。雪解川が蘇りのパワーを存分に伝えてくる。

    赤子あかく泣く白梅はしろく泣く      さがあとり

  白梅のしろい声が、産まれ得ずして命が絶えた子の泣き声と聞こえてくるのは私ば

 かりではないだろう。

    紅絹裏に顔をうずめて浮寝鳥       沢木 美子

  鳥の羽の骨は薄く軽い。その間に張り巡らされた血管とそこに透く血は、まさしく紅

 絹裏そのもの。

    春寒の板碑に在はす観世音        太田サチコ

    何をするつもりだつたか春一番           布田三保子





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