小 熊 座 2016/8   №375 小熊座の好句
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     2016/8  №375 小熊座の好句  高野ムツオ



    垣なき蔓薔薇モハメド・アリ死せり      津高里永子


  今年の6月3日、モハメド・アリが亡くなった。74歳であった。現役時代に受けた頭

 部へのダメージの影響でパーキンソン病を患い、長い間闘病生活を送っていた。19

 96年のアトランタ五輪開幕式に最終点火者として姿を現し、小刻みに震える手でトー

 チを掲げ、聖火台を灯したテレビ映像は未だ鮮明である。

  「蝶のように舞い、蜂のように刺す」とアピールし、それまでのヘビー級ボクシングの

 スタイルを一気に変え同世界王座を三度も奪取したのは鮮烈だったが、人種差別と

 闘い、戦争反対を貫いた生き方は感動的であった。黒人であるがゆえレストランへの

 入店を拒否され、ローマ五輪の金メダルを川へ投げ捨てたことや、ベトナム戦争への

 徴兵を「ベトコンは俺をニガーとは呼ばなかった」と公言して拒絶したエピソードは有

 名だ。

  傲慢なまで自分を信じ、華麗そのもののボクシングを貫き、いかなる時も信念を曲

 げず人間を愛し続けたアリ。その姿は確かに、あらゆる垣根を越え目前へ溢れだし

 てくる蔓薔薇の姿に重なってくる。アリの生き方そのものが未来に向かって人はどう

 あるべきか指し示しているようにも感じられる句である。「想像力のない奴に、翼は持

 てない」 これもアリの言葉だ。


    モハメド・アリの拳や梅雨の星        瀬古 篤丸


  そのアリの拳に焦点を充てたのが、この句である。
チャンピオンベルトを手にした

 時や、徴兵を拒否した時でもいいが、やはり、アトランタ五輪での震える拳を想像した

 い。開幕式は7月19日、梅雨真っ最中。アトランタの空にも星が覗いていたかもしれ

 ない。


    何処からも見える塔あり花疲れ        越髙飛驒男

    スカイツリー燭台として敗戦忌         横田 悦子



  塔は軍事的な目的でも作られたが、やはり宗教的な意味合いが強い。サンスクリッ

 トの「ストゥーバ」が語源と言われている。仏舎利を安置する建物や死者の供養のた

 めの板も卒塔婆。同根である。東京スカイツリーもまた卒塔婆の一種と、つい僻み眼

 には映ってしまう。たぶん、この二句の発想もそこに由来するだろう。前句は隅田川

 辺の情景。快楽ののちの鬱屈が塔を意識させる。後句の燭台もまた祭壇のそれ。ス

 カイツリーが祈りの塔となっている。


    老いゆくかそれとも花火見にゆくか      上野まさい


  〈大花火何といつてもこの世佳し 桂信子〉を思い出す。開き直りぶりが楽しい。老

 いてなおたくましい精神こそ俳諧にふさわしい。


    杉山に杉の大樹のなくて梅雨          益永 孝元


  杉は日本固有種。もともとは自生で、屋久島の縄文杉は三千年の樹齢を誇る。杉

 は生長が早いため建築資材として植林が推し進められてきた。特に戦後、戦時中の

 乱伐による荒廃を復旧し、木材の需要に応えるため、国が積極的に造林を奨励して

 きたのだ。木材価格は高騰し、杉を植えることは貯金するよりも価値を生み出すと言

 われて造林ブームとなった。植樹された杉はみな資材に可能な太さになると次々切り

 倒され、新しく植え替えられた。しかし、昭和50年代からは安い外材が輸入され、国

 産材の価格は急落する。あとには厖大な人工林と借金が残った。その、同じような背

 丈を並べた杉が、揃って梅雨に入ったというのが掲句である。いかにもたくましそうだ

 が、植林の杉の生命力は貧弱。東日本大地震の津波では、その潮水を浴び、あっと

 いう間に枯れた。枯れた杉の姿でどこまで津波が到来したか判断できた。大樹のな

 い杉は杉の悲しみの姿に私には見えてくる。杉花粉はもしかすると杉の怨念なのか

 もしれない。



    夕方の老女ばかりの蓮見舟         おとはすみ子


  何か都合があって夕方になったのだろう。昔なじみ同士の蓮見である。楽しそうだ

 が、どこか妖しげでもある。極楽巡りのようにも見えるが、もう戻って来ることができな

 いような怖さもどこかに潜む。西東三鬼の〈緑陰に三人の老婆わらへりき〉に通ずる

 世界。


    滴りやはるか彼方は相馬の空        草野志津久


  〈はるか彼方は相馬の空〉は「新相馬節」の一節。〈相馬恋しやなつかしや〉と続く。

 無論、原発事故避難民の思い。
山の滴りが悲しみを誘う。





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