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 小熊座・月刊 
  


   2016 VOL.32  NO.369   俳句時評



      改めて問う「震災詠」問題(2)


                              武 良 竜 彦


  東日本大震災から五年経とうとしています。

  俳句界はもうすっかり「平常」に戻りつつあるようです。だが時が経ったからこそ、改めて

 「震災詠」に表れた課題をしっかり振り返っておくべきではないでしょうか。

  大震災が起こった年、『俳句』は五月号で140名の俳人による「励ましの一句」を掲載、

 『俳句界』も五月号で70名の俳人が三句ずつ「大震災を詠む」に作品を寄せました。 『俳

 壇』は六月号で16名の俳人の俳句五句とエッセイを掲載しました。その表現内容を分類

 整理すると、ある傾向が浮かびあがってきます。

 分類1 被災しても立ち上がる人間の生命力と自然の復活力を詠んだ俳句(四十七句)。

 分類2 被災者への祈り・絆を詠んだ俳句(三十九句)。

 分類3 被災者への励ましを詠んだ俳句(二十句)。

 分類4 客観写生で震災被害を詠んだ俳句(十句)。

 分類5 喪われた命、遺された命、自分の今ある命を詠んだ俳句(七句)。

 分類6 死者、被災犠牲への悲しみ、悼みを詠んだ俳句(六句)。

 分類7 自然災害の恐怖や人間の無力非力感、怒り、疑問を詠んだ俳句(六句)。

 分類8 震災体験を直接的に詠まずそこから独自の文学的主題を摑み出して詠んだ俳句

 (四句)。

 分類9 象徴的、暗示的表現で原発事故の表現に挑んだ俳句(一句)。

  分類1から3の多数派の合計が106句で全体の76%に当たります。この多数派に対し

 てやや少なめだったのが、分類4の十句と、分類5の七句、分類6の六句、分類7の六句

 でした。これらの俳句は多数派のような生命力賛歌、祈り・絆、励ましなどという流行り歌的

 熱情の表明に堕すことなく、客観写生で震災被害だけを詠もうとしたり、内省的に自分の

 今ある命を噛みしめるように詠んだり、悲しみを超えた悼み、恐怖・無力非力感・怒りなど

 を、どうにか俳句的表現にしようとしていました。

  そして極少数派が分類8震災体験を直接的に詠まずそこから独自の文学的主題を摑み

 出して詠んだ俳句(四句)と、分類9の象徴的、暗示的表現で原発事故を通常の意味文脈

 を排した暗喩表現で捉えようとした俳句(一句)でした。

  総合誌からの震災詠投稿の誘いに応じなかった俳人や、被災者のようにまだ俳句を詠

 めずにいた俳人や、震災詠はしないと決めていた俳人もいたでしょう。従ってこの分類をも

 って俳句界全体の傾向と断じるのは早計ですが、『俳句』以外の俳句総合誌の企画に投

 稿された俳句も、そしてその後の非被災者の作句の傾向も、分類1から7までの範疇内の

 類型句が多かったことは厳然たる事実です。戦争、大災害などに直面したとき、文学はそ

 の真価が問われ、作家性を支える表現の深度が曝け出されるものです。わたしたちはこ

 の分類結果から何を学ぶべきでしょうか。

  その様相が一変するのは、震災から月日が経ち、直接的に被災体験をした俳人たちの

 俳句が発表され始めてからでした。中には非被災体験俳人と同様の詠嘆的な内容の句を

 詠んだ俳人もいましたが、全体的傾向として彼らはそんな「甘さ」とは無縁で、背後に重い

 現実を滲ませる表現をしていました。

  そんな被災体験俳人の表現を含めても、まだ置き去りにされた文学的主題があるのでは

 ないでしょうか。

  俳句界の震災詠において、何が詠まれていないのか。何が詠まれる可能性があったの

 か。その答えは未だ出ていません。そのことを不問にして「平常」に戻ってしまっていいの

 かと、自問するべきではないのでしょうか。

  ここで表現内容、表現主題が極少数派の俳人の俳句を、改めて読み直し、震災詠の可

 能性を探ってみましょう。

  まず分類8の震災体験を直接的に詠まず、そこから独自の文学的主題を摑み出して詠

 んだ俳句(四句)。

   夕茜彼岸を前に冴返る               岸本尚毅

   空高くから雨つぶよあたたかし          小川軽舟

   雑木冷えて高うなりたる桜かな          依光陽子

   さへづりや光さしくる雨の芝            高柳克弘


  特に虚子の俳句精神の継承を自認する岸本氏は、関東大震災で沈黙した虚子の姿と重

 なります。但し虚子の沈黙の根拠は稀薄ですが岸本氏には明確な主張があります。岸本

 氏は情緒を排して存在の即物的質感を表現する俳人です。

   鶏頭の短く切りて置かれある            『鶏頭』 尚毅

   河骨にどすんと鯉の頭かな             『舜』   〃

   ぼろ市の大きな月を誰も見ず            『健啖』  〃

   うすうすとあやめの水に油かな           『感謝』  〃


  最新句集『小』では日常の些事を、主観を排して笑いを誘うほどの精密さで表現していま

 す。

   夏楽し蟻の頭を蟻が踏み              『小』  尚毅

   湯たんぽの重たく音もなかりけり          『小』   〃


  直接的な震災表現をしなかった岸本氏にこそ、あの大震災が私たちに何を齎したのかと

 いう文学的主題を、高度な象徴的具象表現で詠んだ句集を編んで欲しいと思います。

  小川氏の震災詠には他に、

   舟虫やはらわた抜けし家ばかり           軽舟

 があり、高柳氏の震災詠にも、

   瓦礫の石抛る瓦礫に当るのみ            克弘

   サンダルをさがすたましひ名取川           〃


 があり、この二人の表現には、慟哭詠嘆調ではない独自の文学的な表現意識と方法論を

 感じます。

  そして分類9の象徴的、暗示的表現で原発事故を通常の意味文脈を排した暗喩表現で

 捉えようとした俳句(一句)。

   暁鴉・睡魔・マイクロシーベルト            神野紗希

  「暁鴉」「睡魔」「マイクロシーベルト」と単語を並列して、その心象の衝突によって、あの震

 災のまだ言葉にならない、未来的主題に投網をかけようとしている意志を感じます。神野

 氏は普段から独特の感性のきらめく俳句を詠む俳人ですが、震災詠でも独自の表現に挑

 んでいました。そういう俳人が他にいなかったことは残念なことです。

  一例ですが、こんな俳人たちの表現方法に、震災の未だ詠まれざる文学的主題詠の可

 能性を見る思いがします。

  自己の文学的主題に空白を置かない表現方法に挑む、これらの俳人たちの未来に、真

 に現代俳句文学と呼べる地平が拓けてゆくことを祈るばかりです。





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