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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (63)      2015.vol.31 no.367



         鶯やわれのみならず藪ごのみ       鬼房

                                   『半跏坐』(平成元年刊)


  佐藤鬼房の俳小屋「泉洞書房」の写真を初めて見た時の衝撃が忘れられない。

  狭小な空間の天上近くまで積み上げられた膨大な数の本。その中に埋もれるようにして

 デコラ張の一人用こたつ、使い古された感満載の座椅子、傍らに電気ポット。ベニヤとトタ

 ンで出来たこの小屋は夏暑く冬寒く、決して「快適」ではなかっただろう。だがこの「泉洞書

 房」にはどこかほっこりとしたあたたかみがあり、写真からは不思議な安心感が立ちのぼ

 っていた。

  春夏にかけ華々しく野山を飛び回っていた鶯が、藪の中で「チッチッ」と鳴き始める 「立

 冬」頃。この時期は日照時間もいよいよ短くなり、人々の心も閉ざされがちになる。一方で

 〈心消し心灯して冬籠〉の夜半の句の様に、暖かい季節に浮わついていた心をいったん消

 して、心に新たに冬の灯りをともし、知識の吸収や思索にふけるのには最もふさわしい時

 期を迎える。

  藪の中で鶯は尖った小枝で体を傷つけそうでもある。しかし鬼房はそこに奇妙な安堵感

 を見出す。書斎と呼ぶにはあまりに粗末だが、愛着のあるこのプレハブに籠り、日々、真

 理の探究に勤しむ自分と、冬の鶯とがまさしく同化した瞬間である。そしてこの安心感はや

 がて〈帰りなん春曙の胎内へ〉とつながっていくのだろう。

                                       (成田 一子「滝」)



  日々を病気と戦った佐藤鬼房の句を、私の非力な鑑賞でいいものか、はじめは戸惑っ

 た。鬼房にもっと重い強いメッセージがあったのではないか。非力を詫びながら……。

  この句は鬼房が胃や膵臓の切除の手術を受け、しかも「小熊座」の主宰になる前後の句

 と思われる。一大決心を強いられた時期であろう。それにしても明るい句である。力仕事さ

 え出来そうな人の句に読めてしまう。戦地からボロボロの体で帰還し、生活の責任を薄い

 両肩に担い、続く病気。大きく燃え上がるばかりの俳句への情熱。そんな辛苦を乗り越え

 た頃の句であろうか。はじめてお会いした鬼房先生は両脇を支えてもらって句会の場に姿

 を現した。

  その鬼房の句が文字通りこんなに明るいとなれば、やはり「俳句を栄養」にして生きてい

 たという話は本当なのだ。

  鶯が啼いている。ひとりではない。鶯を楽しむ気を許せる人がそばにいる。しかも藪を好

 む気どらない人らしい。近所の藪かもしれない。久し振りの散策で句を作る喜び。日光浴も

 楽しむ鬼房が見えるようだ。

  健康人より健康的な明るいこの句を作った鬼房は繰り返しになるが病気と戦い続け希望

 という春を待つ強い師だったことを、私は忘れてはいない。

                                          (中鉢 陽子)





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