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 小熊座・月刊 
  


   2015 VOL.31  NO.366   俳句時評



      ポスト造型論についての覚書3


                              宇 井 十 間


               1

  しばらく日本語とは無縁の生活を送っていると、いざ日本語で何かを書くということがとて

 も不思議なことに思えてくる。わりとすらすら書けるのはいいのだが、見落としてしまう視点

 や論点があまりにも多く、日本語という制度そのものが一つの隠蔽ないし権力なのではな

 いかと思われてくる。日本人が日本語で俳句を書くということに、どれほどの意味があるの

 だろうか。

  むろん歴史的にみて近代以降の俳句は日本語という国語の成立と時間的にパラレルで

 あったのだろうが、私がいま感じている違和感はそのような文学史的な事実とは別のもの

 である。それどころか、文学史的な常識は種々の違和を意識から消し去ることで成立して

 いる面がある。私が求めているのはそれとは反対に、安易な近代性批判とは相容れない

 何かである。日本語が国語であろうとなかろうと、そこに生活している人々の意識のありよ

 うがそれに規定されているのは事実であり、またいまある俳句は明治期に勃興した言語運

 動とは大きくかけ離れた何かである。私にとって文学史的な日本語批判は、むしろそれ自

 体が日本語という現象そのものでさえある。

               2

  俳句の外に出るということは、日本語の外にでるということとかなり密接につながってい

 る。少なくとも、私の場合はそう感じられる。むろん私は日本語で俳句を作っており、それ

 以外の言葉で作るつもりもない。しかし、生理的にはいつも日本語の外にいて俳句を書き

 評論を書いている。

    雷来んとする一峰の静かなり         大峯あきら

  大峯あきらには、他の俳人にはない巨視的な視点があるが、それだけではなく、むしろ

 知的で洗練された構成力に大きな特徴がある。「静かなり」という結句が生まれる背後にど

 れだけの思惟が横たわっているか考えてみるがよい。スケールが大きいだけなら誰にでも

 書けるのかもしれないが、それを洗練させていく緻密な知性は簡単には生まれない。むろ

 んそれは長所であるだけではない。理知の精密さは同時にある種の不自由さないし文体

 的な硬さと表裏をなしている。大峯あきらの俳句には、例えば前回指摘したような兜太の

 異様な身体感覚を発見することは稀である。比較のために、兜太の盟友であった阿部完

 市に次のような句がある。

    たすけてほしいのです洋梨くるりくるり    阿部 完市

  完市の場合、俳句の外へ出ようとする運動はその独特の韻律感覚に現れている。つね

 に読者の意表をつくアベカン調は、ある意味で大峯あきらの知的で構成的な文体とは対極

 にある。それは、簡単にいえば純粋な外部性そのものを表示しているとも言えるだろう。し

 かし実を言うと私は、この二つの文体の間に本質的な違いを見出さない。方法こそ違え、

 両者はどちらも読み手が期待する日常性のたがとそのある種の制度性を、別々の仕方で

 挑発している。あるいは、前回の時評に即していうなら、俳句における第一の誕生をめざし

 て書かれていると言ってもいいだろう。さらにまた別の見方をすれば、大峯あきらの俳句は

 物語でもなく、写生によるのでもなく、あるいは完市のように謡う文体によるのでもなく、考

 えるという方法によって俳句を作るという可能性を開いたといえる。

  私は以前に、阿部完市の句について、戦後俳句の印象主義的な表現運動とは対極にあ

 り、いわば俳句におけるフォービズムの一形態であるかのように論じたことがある。同じ分

 類に従うなら、大峯あきらの句は総じて印象主義的な明晰さをその主たる特徴とするとい

 えなくもない。しかし、もっと重要なことは、どちらも日本語という制度を別々の形で破壊しよ

 うとする意思を内包しているようにみえるという点である。

    帰り来て吉野の雷に座りをり         大峯あきら


  主語は何か。むろん作者としては自分が座ったと言いたかったのであろうが、「雷」という

 超自然的な言葉がそのような常識的な読みを相対化してしまう。雷「に」座りをりと書くとこ

 ろが大峯あきららしい表現であろう。この句の「雷」の延長に先述の「静かなり」や「神々の

 たたかひし野に鍬始」の句がある。ドイツから帰国後の作とされる。

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  大峯あきらの俳句は総じて晩年に大きな可能性を感じさせるものが多いが、それは前述

 の吉野の句あたりがその出発点になっているのであろう。このあたりから、個々の俳句が

 単なる描写であることを止めて、一つの世界観となりはじめたといえる。一つの世界観が

 言葉になるためには、幾重にも重なる思考の積み重ねが必要である。俳句の外にでると

 いうことは、それとは別個の世界観になるということである。その方法が一つではないとい

 うことを大峯あきらの俳句は示している。別のいい方をするなら、大峯あきらの場合、自然

 という言葉がもつ意味は他の大多数の俳人のそれとは大きく違っている。凡百の俳人がす

 るように安易にそれを日常化するのではなく、自然が同時に歴史的存在であることを感じ

 させる工夫がなされている。その実像ははるかに理知的で挑発的である。

    月はいま地球の裏か磯遊び         大峯あきら

  おそらく大峯あきらの俳句は俳壇的には有季定型と目されているのだろうが、そういった

 からといって彼の俳句の本質がわかる訳ではない。彼が達成した文体の俳句史的な意味

 と比べれば、そのような観念的な分類など実にどうでもいいことなのである。





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