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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (57)      2015.vol.31 no.361



         死が見えて死後が見えざる黴の夜         鬼房

                                   鳥 食』(昭和五十二年刊)


  わが師金子兜太と同年生まれであったことが今回分かり一層の親近感を抱いた。一度

 だけ東北のとある会場で鬼房氏の姿を拝見した。お付の方に支えられながら入場されてい

 たがその迫力は尋常ではなかった。鈴木六林男氏も三橋敏雄氏もお元気なお姿を拝見し

 たことがある。どちらも経験が顔に現れ深い深い表情をされていた。しかしながら、その凄

 味や迫力においては今でも鬼房氏に勝る俳人を見たことがない。鬼気迫るとはまさにこの

 ことであった。

  そんな鬼房氏の眼光から見えた死はどのような映像であったろうか。四、五日当該句を

 反芻していてふっと「早死にの父の船歌夕桜」(『地楡』)の、父上の姿ではなかろうかと思

 い至った。生涯最初に死を痛烈に意識するのはやはり身内の死であろう。鬼房氏も父の

 死をもって死というものを克明に脳裏に刻んだのではなかろうか。黴の夜という鬱蒼とした

 湿度の中で父の死に顔を思い出し、死が見えたと書いた。死後は誰にも見えないと思われ

 るが鬼房氏であればひょっとしたら見えたのではなかったか。そう思える風貌であった。し

 かしここでは、敢えて見えないと書いた。それにより句に奥行が生じ深みを増しているので

 ある。

  当該句発表時の鬼房氏と現在の筆者の年齢が近しい。筆者には死後は全く見えない。

 が、その死後の世界にみんなが待っていることは間違いないと思っている。

                                   (松本 勇二「海程」「吟遊」)




  命の一大事を詠んでこそ俳句だという言う人と、そんな大げさは重苦しい、軽い気分を言

 葉のレトリックにのせるのが俳句という人もいる。日本人は、千年に一度の大災害を経験

 して何万という死を目にしたとしても、もう四年も経てば震災詠でもないだろう、ましてや電

 気を惜しみなく使っている東京人にとって「フクシマ」を思う句は偽善と、大方は言う。

  さて掲句は、「死」「死後」「黴」「夜」、すべてが重たい。鬼房は、その病弱から絶えず死と

 対峙していたような人生を送っていたわけで、死は見えていた。だが、死後は見えないとこ

 の句では言っている。「…見えて…見えざる…」というレトリックのうちに句があるが、本当

 は死後を見ている。彼の死後は「黴の夜」に存在するのだ。病弱ゆえに身近だった死を超

 えて、「コンチクショウ」と生きる力を求めているのが鬼房俳句。死んでしまえば人間なんて

 何ぼのものとはいえ、その人なりに何かが形で残る。万人には美しくないかもしれないが、

 彼にはそういう死後があるという、生きた証しとしての黴。

  饒舌な説明とは切り離された世界が鬼房の俳句であり、黴などと気持ちはよくないが、そ

 の詩的「幻想」は、作品である。同じ『鳥食』にある、「吐瀉のたび身内をミカドアゲハ過ぐ」

 は、己が肉体の衰弱を、「幻想」の蝶に託して、美しい生と死の表裏を描いている。清潔で

 無菌、明るい暮らしに浸っているわれわれは、時に鬼房の「幻想」に慄然とし、襟を正すと

 きが必要だ。今なお世界は、死で溢れているのだから。

                                              (瀬古 篤丸)






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