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 小熊座・月刊 
  


   2014 VOL.30  NO.352   俳句時評



         清明な世界 『桂信子文集』

                              
渡 辺 誠一郎


   その眼光は、鋭さとともに、慈愛のような温かみを湛えているように思えた。これは、は

  じめて桂信子に会った時の印象である。この時、東京で開催された、何かの祝賀会場で

  正木ゆう子に促されるままにツーショットで写真に納まった記憶がある。一つの時代を生

  き抜いてきた、風格を感じさせる凛とした立ち姿が忘れられない。会ったのは、 この時が

  一度だけだ。

   この度、『桂信子文集』(ふらんす堂)が刊行された。 六百頁を超える大冊である。

   漱石の『草枕』や『三四郎』などの装幀を思わせる雰囲気を放ち、決して派手ではない

  が、思わず手に取りたくな るような、美しい造本(君嶋真理子装幀)に仕上がっている。

  二〇〇七年に刊行された『桂信子全句集』とあわせて、 俳人桂信子の人生、俳句の軌

  跡、あるいは戦後俳句を知るには貴重な資料で、われわれにはうれしい一冊だ。

   桂信子は、大正三年(一九一四)の生まれである。

   桂は、新興俳句で知られた日野草城のもとで俳句を学び、 硬質で透明な確かな作品

  世界を作り上げたことで知られる。 さらに、生身から湧き出たような、艶やかで静かに抑

  制された、女性俳句の世界をわれわれに見せてくれた。


    寒月光背後見ずとも貨車通る

    窓の雪女体にて湯をあふれしむ

    ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜

    ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき

    冬瀧の真上日のあと月通る

    雪たのしわれにたてがみあればなほ

    草の根の蛇の眠りにとどきけり



   桂信子と俳句との出会いについて、文集を開くと、次のような文章に目が留まる。

   「私が俳句に入ったきっかけになったのが『日本文学全集』の俳句の巻です。ずらりと

  並んでいる先生方の写真のなかで山口誓子と日野草城と島村元はじめの三人がものす

  ごくハンサムやったから、この先生、ええなあと思った(笑)。」

   肉声が聞こえてきそうだ。当時、女学校の二年生であった。今の女子高生がタレントに

  思いを寄せる心情と何ら変わりない。晩年の桂信子の世界を思い浮かべるとその落差

  に驚くが、その人となりを知る楽しいエピソードの一つであるといえる。

   その直後、大阪の百貨店の書籍売り場で、草城主宰の俳誌「旗艦」を手にし、はじめて

  投句をする。一九三九年のことであった。その時の草城の選は、〈梅林を額明るく過ぎに

  けり〉であった。

   この句を前にすると、全句集の最後に載っている、最晩年の〈冬真昼わが影不意に生

  まれけり〉と対の陽・陰画の世界をイメージさせる。ここで、桂の生は、大きな輪を描くよう

  に一つに繋がったように思える。

   桂は、草城の俳句の印象を、「西洋的な明るさに目の覚める思いがした」とその魅力を

  述べている。

   文集は宇多喜代子の手による編集であるが、日野草城の俳句鑑賞と昭和初期から戦

  後十年の句業について書かれたものから始まる。この文集自体が草城論集ともなってい

  るといえる。また、山口誓子、西東三鬼、中村苑子、細見綾子、安住敦などの名だたる俳

  人との交友や作品鑑賞の文章が載る。

   さらに、「わが来し方」や「信濃紀行―わが幻の城始末記」などの随想。そして、飯田龍

  太との対談や黒田杏子によるインタビューで知られる『証言・昭和の俳句』などが収録さ

  れている。

   最後の章は、「散文集『草花集』より」。特にこの中に収録された「『激浪』ノート」が書か

  れたのは、三十一歳の時である。山口誓子の俳句を丹念に読み解き、その行く末を探ろ

  うとしたものだ。同時に誓子の作品鑑賞を綴ることで、自らの俳句世界を飛躍させる足掛

  かりとしたことだ。 桂自身は、モノでとらえる俳句を志向するなどの影響を受け、句風が

  変わったと述べている。

   草城や誓子などの俳句に関する文章の他で、特に印象に残った随想に、「信濃紀行―

  わが幻の城始末記―」(『俳句』昭和 55 年6月)がある。これは、信州の宮田にあったと

  される、桂の祖先が築いた中世の城址を尋ね歩いたことを綴ったものだ。巻末の宇多喜

  代子の文章によると、後日談があって、桂が亡くなる二日前に、その城跡の記録が明ら

  かになったという。これを機に、宮田村と交流が始まり、身内のなかった桂の位牌が祖先

  の菩提寺に安置されることになったという。宇多は、「かの一文が繫いだ縁だと思うと、文

  章侮るなかれの感しきりである」と感慨を深くしている。宇多の努力もさながら、ドラマチッ

  クな話である。

   さらに、随想で目にとまったのは、飯島晴子が亡くなった直後の話。ある日上京し帰阪

  してみると、ホテルの部屋に、漆黒の蝶が突然現れたのをみて、飯島晴子の霊魂が最後

  のお別れに来たと確信するのだ。桂は霊魂については特別な思いを持っている。俳句世

  界に向き合うときも同じようだ。作句の心について次のように述べている。

   「俳句を作る時の心を、私はいつも不思議に思う。それは「句を作る」のではなくして、

  遠い祖先の霊魂がよびかけてくるような気がするからである。私の心の内側にかくれてい

  る私自身も知らない今までねむっていたものが、ある日、俳句のよびかけに、はっと目を

  覚まして、私の中から出て行くのだ。」(『草花集』)

   それゆえ、先の「信濃紀行」に見るような、出自へ強く気持ちが向かうのかも知れない。

   桂信子は俳句については、表現は平明ではあるが、一本の筋の通った骨のある世界

  を築いたことで知られる。今回の文集を手にすると、俳句と同じように、文章の平明さと

  明晰さ、そして密度の濃さが印象深い。これは芯の太さの中に熱い血潮が音も立てず流

  れているような、桂信子自身の資質からくるものだろうと思える。

   「俳句は、四十年つきあっても、今もって不可解である。その不可解なものの実体を、

  つかもうと思うばかりに、句を作りつづけているのではないかという気がする。俳句はな

  かなか、やさしく私に語りかけてくれないし、時にするりと私の手を離れて、どこかへ行っ

  てしまいそうになる。」

   今回の『桂信子文集』を機に、改めて桂信子の世界を紐解きたくなるのは私だけではな

  いだろう。





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