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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (40)      2014.vol.30 no.344



         もし泣くとすれば火男頬かむり          鬼房

                                   潮 海』(昭和五十八年刊)


  『潮海』(昭和五十八年刊)に収録された一句であると云う。今からおよそ三十年前、鬼

 房六十四才。昭和六十年
「小熊座」創刊主宰と略歴にあるので、この句はそれに先んじる

 こと二年前に成立している。現代の俳人一〇一〜金
子兜太編・新書館二〇〇四年刊の佐

 藤鬼房の頁、代表句
十五選(武田伸一執筆)はいずれも鬼房の土着の魂の宿る句群が並

 び迫力満点である。

   切株があり愚直の斧があり

   鳥帰る無辺の光追ひながら

   半迦坐の内なる吾や五月闇

   やませ来るいたちのやうにしなやかに

  さて、〝火男の句〞の面白さは意味そのものを幾重にもガードしていることにある。しか

 もそのことを他者に気取
られてはならぬのだ。そう、何があっても男は泣けないのである。

 しかし、もし
泣くとすれば火男の面をつけ道化の姿となって頬かむりを施し、涙は絶対に他

 人にみせてはい
けないのだ。男は泣かぬと云う意志は必要かも知れない。が、泣くと云う

 清々しい行為は人間をもっと強くする。

                        (わたなべ柊  「豈」 「祭演」 「球」 同人)



  人は誰も世間体という仮面を被り、社会の中に存在する。
しかし、それを上回る強い悲し

 みや苦しみに出くわしたと
き、不意に零す涙がすべてのわだかまりを解き、自分さえも忘

 れていた素顔を取り戻すことがあるのはなぜだろう。

  ひょっとことは里神楽の道化役のことだが、滑稽な面の下には隠しきれないほどの哀切

 な思いがあったに違いな
い。他人には涙を見せてはならない、余計な心配をかけてはなら

 ない。これ見よがしに顔面に涙を描く西洋のピエロとは大違いだ。そして笑われるのではな

 く、笑わせるため
に踊り続けるのだ。人生の一瞬であっても主役として演じ続けるのだ。だ

 が、もし泣くとすればと婉曲的な表現を
とっても、彼が泣くことは決してないであろう。自嘲と

 も
思える喩えは、泣く暇さえなく必死に生きてきた彼自身の誇り、弱者として共に今日まで

 生きた意地そのものなので
ある。

  味気ない毎日もよく噛み締めれば甘味が出てくるだろう。米粒ほどのささやかな幸せに

 気づかないのは私たちだが、一粒の塩辛い涙の結晶がそれを引き立てることもあるのだ。

  本作は『潮海(しほうみ)』の中の一句。昭和五十七年「藻塩火」の章に収録、鬼房六三

 歳の作。後記もなお感慨
深い。「句集名とした『潮海』は、私の塩辛い精神風土のようなも

 のと理解して戴ければ有難い。私はその鹹さに弱
者の思いが重なったとき、何がしかの句

 が生れるようである。」 

                                              
(佐藤 成之)




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