小 熊 座
TOPへ戻る  INDEXへ戻る


 
  

 





 第六回 佐藤鬼房全国俳句大会シンポジウム


           
 鬼房俳句とみちのく   
 

                               平成25年3月24日
                                於 塩竈市ふれあいエスプ塩竈

 本シンポジウムは、第六回佐藤鬼房顕彰全国俳句大会において実施された。




                
パネラー  田中亜美、神野紗希、矢本大雪、関根かな

               司  会   大場鬼奴多


                     

 司会・大場鬼奴多

  シンポジウムを始めたいと思いますが、先程の小学生の俳句を伺いまして、大人がこ

 れ
から『鬼房俳句とみちのく』を、語ってどうなるという気もするのですが、ここは気を取

 り直して、取り組んでゆきたいと思います。小熊座の大場鬼奴多と申します。どうぞ宜し

 くお願いいたします。

  お手元の封筒の中に、今日のシンポジウムのパネリストの皆さんからすでに「みちの

 く」をテーマにした佐藤鬼房の句を、三句ずつ挙げていただいております。その資料を

 見ていただきながら進めたいと思います。なお、五番目に書いてあります宇井十間です

 が、彼も小熊座の同人なんですが、今アメリカに在住しておりますが、どうしても仕事の

 都合がつかないということで、残念ながら欠席ということになりました。

  それでは、田中亜美さんから簡単な自己紹介も含めてお話しいただきたいと思いま

 す。
田中さん宜しくお願いします。

 田中亜美

  こんにちは、田中亜美と申します。『海程』の同人です。鬼房先生と大変仲が良かった

 金
子兜太のところで修行を重ねております。これから鬼房先生のことについては色々と

 皆さ
んとお話していきますが、ちょうど昨日『海程』では句会がありました。金子兜太、

 九十
……今、三歳、今年四歳になりますが、鬼房先生と同年でございます。元気いっ

 ぱいの金
子兜太から、「鬼房によろしく、塩竈によろしく」というメッセージを抱えて、本

 日、ここ
へ参りました。どうぞ宜しくお願い致します。

 神野紗希

  神野紗希です。宜しくお願いします。私は高校時代に俳句を始めまして、特にどこに

 所
属しているわけではないので、肩書きはなく自由にやっているんですけれども、鬼房

 との
出会いは、この鬼房顕彰俳句大会です。毎年こういう形で掘り下げて、何度も鬼房

 に出
会っているという気持ちです。大学院で新興俳句や前衛俳句の研究を中心にやっ

 ておりま
すので、そういう意味でも、ここで鬼房に会えてみなさんと語り合えるのは運命

 かなと
思っております。今日は特に「みちのく」という、ど真ん中のテーマというか、私は

 愛媛
出身ですので、逆に「みちのく」という言葉に飲まれそうに今なっておりますけれど

 も、
それをしっかり見つめてお話できればと思ってます。宜しくお願い致します。

 矢本大雪

  弘前から、昨年参加させていただいたのに、また懲りずに、この高い所に登らせても

 らい
ました。小熊座の、落ちこぼれの矢本大雪でございます。私も俳句歴は長くありま

 せん。
それでも恰幅の良さからでしょうか、こういう所に登らせてもらえるのは。皆さんも

 あま
りダイエットなどしないでたくさん食べないといけないということでしょうか。実はです

 ね、去年の暮れに、腰痛から足を痛めまして、松の内の間は、全然歩けない状態で、

 今も整
形外科に通っている状態なので、今日いろんな失態がありましたら全部腰のせ

 いだと思っ
てお許し下さい。宜しくお願い致します。

 関根かな

  こんにちは、小熊座同人の関根かなです。俳句を始めましたのは十代の終わりで、

 何年
経過したかは申し上げられないんですが、鬼房先生と触れるきっかけとなったの

 は、以前
もお話ししたんですが、河北新報紙上の河北俳壇の選者でいらっしゃった頃

 に投句を始めまして、何句かご選句いただいて、佐藤鬼房の存在を知るに至りました。

 結社などには所
属せずに、1 人で投句を続けていたのですが、結局鬼房亡き後に小

 熊座に入会いたしま
して、一度もお会いすることはなく現在に至ります。今回のテーマ

 である『鬼房とみちの
く』という文字を見た時、言葉を失ってしまうくらい難解なテーマだ

 なと感じましたが、
なんとか私なりの、鬼房のみちのく観というのを皆さまにお伝えでき

 ればと思います。本
日は宜しくお願い致します。

 大場

  ありがとうございました。私は現在東京に住んでおりますが、栃木の生まれでござい

 ま
す。昨日仙台に入りましてテレビを観てましたら、NHKでアテルイのドラマを放送して

 いました。矢本さんが出てるんじゃないかと思ったくらい、みちのくを代表する矢本大雪

 さんです。それで、関根かなさんもこちら仙台にいらっしゃると。紹介がありましたけれ

 ど神野紗希さんは愛媛のみかん山の麓で育ったと。田中亜美さんは、北海道の出身で

 今は
東京に住んでいらっしゃいます。お手元の資料で、それぞれ三句いただいている

 んです
が、田中さんと矢本大雪さんの句が重なりまして、この句から取り上げてみたい

 と思うんですが、〈地吹雪や王国はわが胸の中に〉というふうに字余りで読んでよろし

 いんでしょうか。これは『半跏坐』という句集に収められております。それでは、まず田中

 さんから
この句について触れていただけますか。

 田中

  すみません、実は私は北海道の出身という訳ではなく、東京の生まれです。それで北

 海
道に住んでたこともあって今は神奈川っていうちょっと中途半端なところに住んでま

 す。
関東と北海道に住んでいたということは、みちのくはちょっと飛び越えてしまいまし

 た。
申し訳ありません。今回の「みちのく」は非常に難しいテーマだったんですが、みち

 の
くの人そのものといってよい矢本さんと同じ〈地吹雪や王国はわが胸の中に〉とい

 う句を選んでいて、ああなるほどなと納得しました。北海道に住んでいたことを振り返っ

 てみても、地吹雪っていうのは本当に、吹雪なんですよね。吹雪は吹雪でも、視界を奪

 うような、目の前の視界を奪うような大変な吹雪です。最近は北海道でも遭難事故があ

 りましたけれども、本当に地吹雪がきてしまうと、たった百メートル二百メートル先も行

 き着けないんですよね。そのくらい方向感覚が無くなってしまう。この句では、〈地吹雪〉

 のあとに〈や〉と切ってまして、そして〈王国はわが胸の中に〉といっています。そうした中

 で
何が自分の場所か、ちょっとかっこいい言い方をすると「トポス」とかそういうことにな

 るのかもしれません。自分の本当の居場所っ
ていうのはどこかっていうと、それはわが

 胸
の中にあるのだ、というこだわりがこの〈王国〉という言葉に出ているのではないかな

 と
思います。このあとの議論で「蝦夷(えみし)」とか「アテルイ」とかそういった話も出てく

 るかと思うんですが、エゾって言ったりエミシって言ったりするときには、中央政府の王

 下に属さないという響きがありますよね。中央には属さずに、自分たちで切り拓いてい

 っ
たという響きです。あえて〈王国〉って言ったのは、個人のプライドもあるし、それから

 一種の反骨精神みたいなものもこめられていると思いました。蝦夷(えぞ)にゆかりあ

 る
者としても非常に好きな句でございます。

 大場

  東京はまさに桜が満開になりまして、本当に春のうららだという感じだったんですが、

 矢本さんに電話しまして、「矢本さんそちらはどうですか」とお聞きしたところ、「一昨

 は真っ白で何も見えなかった」と。まさに
この地吹雪を体感されたままに今日お見えに

 なったのかと思いますが、大雪さん、いかがですか。

 矢本

  今年は、というよりもこの雪の季節は外に出れなかったものですから、地吹雪には遭

 わ
ずに済んだ、というよりも、初めのうちは弟にですね、整形外科まで車で送っていっ

 ても
らってたんです。でも弟も途中で飽きてきまして、「もう行かなくていいんだろう」と勝

 手に決めましてですね、私が1人で雪の中を自転車を引っ張って、乗ってじゃなくて自

 転
車につかまって、歩いて通いました。で、この〈地吹雪や王国はわが胸の中に〉

 いう句に言及しますとですね、地吹雪の時っていうのはこの姿勢が大切なんですね。つ

 まり、もう背筋をまっすぐ立てて胸を張って歩けるような状態じゃないわけです。今、青

 森県でも、地吹雪を売り出して、観光にしようという所もありますけれども、とても前かが

 みで、しかも胸を地面に向けてですね、下にしているというこの姿勢が、多分、この句は

 大切なんだろうなとひとつには思います。その屈んだ姿勢のままでいるけれども実は王

 国がわが胸の中にあるんだろうなと。あるんだよ、とまでは言ってないんですけれども、

 この〈に〉で止めてるところが怪しいですよね。〈に〉が無くても句は通用するわけです。

 〈王国はわが胸の中〉でいいわけですけれども、なぜ〈に〉をつけたんだろうかというと、

 ここにやっぱり鬼房のこだわりがあったんだろうなと思います。勝手に読んでいいよと、

 私は〈王国はわが胸の中に〉って書いてるけれども、あるともないとも言ってないところ

 が実に鬼房らしいなという気がするんですね。もうひとつには、この王国っていうのが何

 を指すかということで、少し長くなっちゃいますけれども、例えばね、蝦夷(えみし)の国

 であるというような具体的なそういう王国ととることだってできますし、俳句の王国、俳句

 の体系、私の俳句は私の胸の中にあるんだ、というふうに取ることもできます。で、鬼

 房の句が非常にすごいなと思っているのはですね、一つの句でも多分読む人によって

 表情が相当違うんだろうなと思うんです。だから私のが正解でもないですし、田中亜美

 さんも取っていらっしゃいますけれども、亜美さんのが正解で、こう読まなきゃならない

 んだということはなくて、鬼房の作品は、皆がそれぞれ好きなように読んでもらえればい

 いわけです。忘れちゃならないのは、この鬼房というのはなかなか只者じゃない。私は

 会わなかったので、なんでも好きな事を言えるんですけれども、今日のためにですね、

 勉強のためにもう一度小熊座を読み返してみまして、そうすると参考になったのが浪山

 克彦さんの『優鬼』という題名の連載で、鬼房さんの言語録みたいなものですね、それ

 がものすごく勉強になったんです。そこにこういっぱい矛盾があったりとかしながら、鬼

 房さんは皆にヒントになるような言葉を言ってるんです。それをまともに聞いてしまうと、

 皆、多分混乱してしまうと思うんですよね。ここに一つだけありますけれども、例えば、

 「最近は気分だけの句はとらない。土俗だ」と。土俗です、風土性があるっていうことと

 かでしょうね。少々下手でもとるよ、と言ってるけれども、浪山さんが「そう言いつつも東

 北の風土を対象にした句には言葉がきつかったり、こんなこと観光俳句にまかせてお

 けばいいんだよ、というふうに鬼房さんは言った」というんですよね。ここら辺が一番鬼

 房さんの特徴じゃないかなと思うんです。矛盾があるけれども、それは我々にとっての

 矛盾かもしれないけども、鬼房の中では全然矛盾じゃない、というところですね。ですか

 ら、この〈王国はわが胸の中に〉と言ってる王国はいろんな意味でとれますけれども、こ

 れが「わが王国は胸の中に」じゃないんですよ。そこも面白いところです。「わが王国は

 胸の中に」であれば全然意味は変わってくるんですけれども「王国はわが胸の中に」と

 いうふうに言っているところがすごく面白いと思うんですね。だから、この〈王国〉は何だ

 ろうとすごく魅力的に光ってくると思うんです。あの、長くなりますので、また、この句に

 ついては後でまたちょっと言いますけれども、他の人に回します。

 大場

  ありがとうございます。松山の方では雪は降ったりもするんでしょうけど、私自身も地

 吹雪の、大雪さんの言ったような経験は全く無いんですが、神野さんは雪は……。

 神野

  もちろんないですよね、はい。あの、ぱらぱらくらいで本当に積もることもないので、そ

 もそも地吹雪というのは言葉の上、映
像の上でしか知りません。で、今、矢本さんおっ

 しゃってああなるほどと思ったのは、姿
勢が前かがみっていうことですよね。この姿

 で胸を抱く、胸の中にあるここを抱く。こ
の中に何かがある、というような、何かここがあ

 ったかい、ここにあるっていうね、心臓
がそのまま王国の証のような感覚が、説明し

 いただいて、体で私も少しわかるような気
がして、それはやっぱり俳句の中に鬼房が紛

 れ込んでいるからだと思いました。この句もそうですし、私が三句の最後に引いている

 句も胸の句ですね。〈霜夜なり胸の火のわが?蝦夷〉 これも少し構造、詠んでいる

 内容が似ていますね。結局、鬼房の俳句を読んでいると不思議だったのは、みちのくに

 住んでいながら、なんて言うんでしょう、みちのくの素材をただ詠むだけじゃなくて、やっ

 ぱりその血肉にしているっていうか、単なる素材じゃなくて、鬼房にとってみちのくってい

 うのは育ってきてそこで自分が育まれていった、細胞のひとつひとつにみちのくが入っ

 ている。なので外にみちのくがあって、取り巻いているみちのくではなくて、自分の血肉

 になっている、細胞に紛れ込んでるみちのくというような感じがしました。「俳句の風土

 性に触れて」っていう、今回のみちのくのことを考えるのに、鬼房の考えが非常に端的

 に出ていて、さっきも田中さんと「あ、これだよね、これだよね」っていう話をしてたんで

 すが。鬼房って、風土っていうのは単なる特殊化して方言を俳句の中に取り入れたりだ

 とか、「みちのく」っていう言葉をただ俳句に詠んだりとかするものは、どうも風土、風土

 というけどそれは風土じゃないんじゃないか、というようなことをその文章で言ってます。

 じゃあ何が風土なのかというふうに切り返す時に、ちょっと読みますと「つまり私にとっ

 て風土というのは、人間の生成する地盤のあらゆるものを指したい。従って、精神風土

 もまた私の風土に当然入ってくる」。また別のところに行くと、俳句の場合は歴史的地

 盤を含む風土というのはどうしても、歴史とか時間を短い俳句ではなかなか詠めない

 ので、そういうものが押しやられてしまって、自然的地盤としての、つまり単純な風土、

 一般的に風土と思われている風土のみがどうしても注目されがちなんだけれども、鬼

 房、「私はもっと歴史的人間的地盤の絡み合う風土が詠われていいと思う」ということを

 言ってます。で、その文章の最後の締めくくりで、「私の心の中には常に山河が棲んで

 いる。私は私の風土を綴っていこう」というふうに締めています。この一言と、この〈王国

 はわが胸の中に〉それから〈霜夜なり胸の火のわが?蝦夷〉という言葉が、俳句の言葉

 がすごく響き合っているなと思いました。つまり、鬼房のみちのくっていうのは、鬼房が

 「みちのく」という言葉、もしくは「王国」とか、そういう言葉を口にする時にそれはみちの

 くの人のみちのくではなくて、あくまで鬼房のみちのくなんだっていうことですかね。なん

 ていうか、その非常に、一人の胸の中にあるものだと。もちろん
それが共有できるこ

 とはあるんですけれど
も、やはり〈わが胸の中〉とか、あえて言いたくなるほどに個人の

 ものであるんだという
ことをここで伝えたいというか、表現したいという気持ちがこういう

 〈王国〉の句や〈?蝦夷〉の句に出ているのかなというふうに今
お話を伺っていて思いま

 した。

 大場

  今の神野さんの話すごく分かりやすいと思いました。鬼房にとっての風土というのは

 詩
そのものだったということなのでしょう。そういうことですかね。かなさんは、鬼房先生

 とは実際にお会いになったりとか、句会にお出でになったりとかされてますよね。

 関根

  残念ながら私はお会いしたこともお話したこともないのですが、先ほどもちょっとお話

 
させていただきましたが、河北新報という地元紙の俳壇コーナーで選者をされた時に、

 投
句を始めたのがきっかけで、佐藤鬼房という存在を知るに至りました。ですから、実

 は声
を聞いたこともないですし、お会いしたこともない、ただその著作であるとか、残さ

 れた
句から鬼房とみちのくをはかりしれたらと思いました。

 大場

  みちのく以外の者からすると、例えば「みちのく」というその言葉の響きからして、最

 に芭蕉がやっぱり西行を求めてみちのくに
入って、巡ってるわけですけれども、かなさ

 ん自身のみちのくの捉え方、自分の句の中にも意識するものってあるんですか。

 関根

  実はですね、私自身、みちのくに長く暮らしておりますが、実はあまりみちのくという

 地を意識して句を作ってこなかった現実が
あります。ただし、東日本大震災があって、

 震災後はかなりみちのくを意識するようになりました。ただ、あまりやはり深い意識が

 今
のところは目覚めないのは、このみちのくの地もわりと私転々としてまして、矢本さん

 お
住まいの青森にも住んでたことありますし、福島にも住んでいたことがあります……

 また
実は出生地は東京で、各地を転々としているので私自身にみちのくが定着して

 いないとい
うのがあるのかなとも思います。句にあまりみちのくを描出できない、みちの

 くを描出し
きれてないというところでこのテーマは本当に私にとってはすごい難解な困難

 なテーマで
した。私のみちのく観がぼやけているというか揺らいでいることを改めて認

 識したという
か、私自身のみちのく観の再認識から始まったという感じです。

 大場

  ありがとうございます。神野さんがお取りになっている句で、〈地吹雪〉の句とはちょっ

 と離れますけれども。最初の句ですね。

 神野

  そうですね。

 大場

  〈青年へ愛なき冬木日曇る〉 昭和二十七年ぐらいの句ですけれども、これはどうい

 う……。

 神野

  はい。これは今さっきちょっと、紹介したように、鬼房にとってみちのくとか風土って

 うものは、単に素材というよりも、何かそ
の人間の姿勢みたいなものに深く関わってい

 るものであり、そういうふうな形で俳句に表れるものこそ多分素晴らしいみちのくの俳

 句、もしくは素晴らしい自分の俳句だと、いうふうに思ってらしたんじゃないかなという気

 がしています。ということでいうと
〈青年へ愛なき冬木日曇る〉という、非常に若い時の

 句なんですが、これやっぱり、愛媛の人間からすると、東北のみちのくの地に来た時に

 本当に日差しの量が違うんですよね。東京くらいまでは多少燦々としているんですが、

 こちらに来て、晴れているはずなのに、日の量が少ない。で、また曇ると本当に何かが

 起こるようなというか、何も起こらないようなというか、閉じ込められたような、なんだか

 すごく不思議な気持ちになりまして。おそらく愛媛で育ったら、〈日曇る〉という、この下

 五、下四になってますけど、ここの〈日曇る〉とは続けられないんじゃないかなという気

 がして。ここに特に「みちのく」という言葉やそれを示す言葉はないんですが、〈日曇る〉

 という把握ですね、ここにみちのくで育った、みちのくで生きている人の芯みたいなもの

 根っこみたいなものが見えるなと思いました。結局〈青年へ愛なき冬木〉っていうところ

 はちょっとロマンチックというか、ロマン溢れるフレーズなんですけど、最後〈日曇る〉の

 ところで、すごくどんよりとしたもの、混沌みたいなものがここにあって、それこそみちの

 くは底知れぬ国で、底知れぬってことは混沌っていうことに繋がってくるんだと思うんで

 すが、何か、はっきりと明るい、暗いと言えない、闇とも言えないが何かこう曇り空の曇

 りの日の中に蠢いている何かみたいなものをしっかり捉えていて、単なるロマン主義に

 とどまらない重みのある句だなと思ってこの句を選ばせていただきました。

 大場

  はい。今日は欠席の宇井十間からメールが届きまして、今の話に絡むところがある

 んで
ちょっと御披露しますと、「私は『鬼房とみちのく』というテーマそのものには、さほど

 の可能性を見ていない」。彼らしいですね。「佐藤鬼房がみちのく出身の俳人であること

 を、
称揚する、褒め称える人たちは、では仮に彼が大阪や四国の出身であったなら、

 その作品を
読もうとはしないのだろうか。しかし、読者の側のそのような意図や思い入

 れとは別に、
鬼房本人にとっては、「みちのく」という語彙はそれなりの意味を持ってい

 たようであ
る。そこには彼なりの体感された運命のようなものが感じられたのであろう。

 みちのくを
文字通りの東北地方と解釈し、その地理性、風土性を強調し過ぎてしまうと

 鬼房俳句は
逆に痩せてしまう」という言い方をしているんですが、大雪さん、この十間さ

 んの言い方、
どうでしょう。

 矢本

  いや、正しいと思います。というのはですね、鬼房が「みちのく」という言葉を使った

 はどの辺りからか、ご存知ですか。一番最
初に「みちのく」という言葉を使ってるのは、

 第九句集『半跏坐』ですね。神田秀夫さんが第八句集の跋文の中で、実は書いてるん

 です
よね。

 大場

  書いてますね。

 矢本

  ええ。その時までは「みちのく」という言葉は一切使ってないんです。鬼房は。で、不思

 議なもんで、この跋文の載った第八句集の
次の句集、第九句集『半跏坐』のあたりから

 「みちのく」という言葉は、全句集の中で九回使ってます。で、この「みちのく」という言葉

 を使っても、鬼房の中には、我々が一般
的に俳句の風土性として念頭に置いてる感傷

 性とか情緒性みたいなものは、鬼房の句の中にはあまり見えてこないんですよね。こ

 のみ
ちのくに鬼房がどっぷりと浸っているかというと、そうでもない。意外と突き放して、

 
〈桜にもみちのく日和ありにけり〉 という『幻夢』 これは鬼房が亡くなってからの句

 集で
すけれども、『幻夢』にみちのくの句が二つ、〈みちのくに生まれて老いて萩を愛

 づ〉
で、『半跏坐』の中にこのみちのくの句がありまして、〈みちのくの海がゆさぶる初

 景色〉
 非常に突き放している句ですよね。なんで鬼房のこういう句を風土性などという

 言葉で片付けられるんだろう、と思うくらい。僕はだからこの「みちのく」というテーマで鬼

 房を語る時に、でもこれ風土性と絡めたって少しも面白くないな、と思ったんです。鬼房

 は全部すごい句。読んでいっても風土性なんていうのは感じられないんですよね。普遍

 性は感じられますけれども。この「みちのく」という言葉を使ってる句が九句、その他に

 例えば、いっぱいあるんですけどもね、「北」という言葉を使ったりしてるのもあるんです

 けれども、「北」できちんと本当に北方の「北」というふうにして使っているのが二十三句

 あ
とは北上川とかそういうふうに使っているんですけどもね、この「北」でも、特に感傷で

 はないんですよね。例えば『霜の聲』の中にあります〈海霧纏う〉、海の霧ですね、〈海

 霧
纏う北限の我が椨の木よ〉
という句とかですね。〈北へ海流涙一粒一粒生み〉

 れなんかは意外と少しは気持ちが入っているなというふうな、というか、自分でも泣いて

 るのかなという感じもしますけれども、ただし我々は騙されちゃいけないのは鬼房さんて

 いうのはそんな人じゃありませんから。例えばね、私が一番すごいなと思うのは、鬼房

 の句を読んでるとこの人の句は例えば、柳生流であったりとか、北辰一刀流だとか、そ

 ういうふうにみんなに勉強させるための体系を作って剣道を伝えていくのじゃなくて、宮

 本武蔵の句だろうなと思っちゃうわけです、印象として。つまりすごいなっていうのはす

 ぐ分かるんです。どうすごいのかと言うと、鬼房は例えば自分の剣を論理的に、体系的

 に伝えることっていうのは多分できないんじゃないか。もう傑物ですよ。達人です。です

 から我々は結局鬼房の言葉を自分なりに翻訳して、解釈してしまってますけど、それは

 多分違うんでしょうね。鬼房の中では全部自分で分かってますから、きちんとした言葉

 で説明もできてると思うんでしょうけれども、実は宮本武蔵が我々にものを教えている

 みたいなもんで、それも剣の事でですね、教えてるようなもんで、ちょっと違うんだろうな

 というふうに思うんです。ですからこの「みちのく」というときにも、鬼房がそれまで全然

 意識してなかったのに神田秀夫さんが「みちのくの鬼房だ」と言うと、すぐ「みちのく」とい

 う句を作ってみるというようなところなんかがものすごく面白いですね。そういう意味で僕

 は鬼房の句にはかなわないと言ったらものすごく失礼なことでありますけど、勉強はう

 んとしますけれども真似することはできないんだろうなと。青森県に寺山修司という先輩

 がいますけども、あの人の句だったら真似はできるんだと思うんですけれども、頭でき

 ちんとこう計算して作ってますから。鬼房の句はここで、胸の内で、心で作りますから、

 ちょっとついていけない。ついていけないっていうのは嫌いだとか駄目だとかっていうん

 じゃなくてですよ。我々がそんな作り方を真似してみようと思ったってできないっていうこ

 とです。やっぱり鬼房でないとできないんだろうなと思ってます。「みちのく」だけじゃなく

 て、他のことも。また私ばかりがしゃべってしまいますんで、ちょっとマイクを移します。

 大場

  神田秀夫の跋文、手元の鬼房全句集の中にあるので、短い文章ですけども、読んで

 みま
す。「跋 本物のみちのく」という表題なんですが、「湿度は低く、風さえ澄む。思い

 や
る人の心がまだ生きている。情に厚いみちのくの懐かしさ。そこに生まれてそこに生

 き、
働いて老いた作者が今本物のみちのくを思いを込めて描き詠う。鍛え抜かれた俳

 筆を駆っ
て自由自在に縦横に、それがこの句集の特色だ」。大雪さんが調べてくれたこ

 の「みちの
く」という言葉を使った九句のうちの、代表的な句だと思いますが、田中亜美

 さんが三番目に取っていただいた〈みちのくは底知れぬ国大熊生く〉。この句につい

 て、この「みちのく」という難解なテーマを含めて。

 田中

  はい。ちょっとこの句に行く前によろしいでしょうか。今、佐藤鬼房という作家は風土

 性に終わる作家ではないとか、「みちのく」って強調することはかえって佐藤鬼房の句を

 痩
せさせてしまうんじゃないかっていうような議論が出てきたと思うんですが、私もかな

 り
その通りだなとは思うんです。思うんですけれども、だけどやっぱり、私はやはり鬼房

 は
みちのくを体現している作家であるんじゃないかなという問題提起をあえてしてみた

 いと
思います。なぜかというと、これは非常に単純なことで、神田秀夫さんが鬼房に「み

 ちの
く」っていうものを見出している訳ですよね。作者ではなく、読者が、「みちのく」を

 じている訳です。神野紗希さんが出した、〈青年へ愛なき冬木日曇る〉っていう句につ

 いてもやはり、同じように、「みちのく」を感じる読者がいます。これはたまたま私が、こ

 この中では『海程』という別の結社から来ているんで、金子兜太の話をあえてしますが、

 金子兜太はこの〈日曇る〉というところにまさに、みちのくというか東北の人の訥弁を感

 じると、と言っています。〈日曇る〉というように、「日が曇る」じゃなくて、あえて字足らず

 にしたところに、東北の人たちの訥々とした訥弁を感じ、「みちのく」の風土性を感じる

 と激賞しているのです。一人の作家が「みちのく」的であるという時には、単に地理的な

 特異性を言っている場合と、そこに息づく人々の思いをこめた風土性を言っている場

 合の両方があると思います。風土性っていうのは人間性を介している。だから震災とい

 うことがあってから、「みちのく」っていうことを逆に意識するようになったっていうさきほ

 どの関根かなさんの言葉にはっとしました。人間が死ぬとか人間が生きるとかそういっ

 た根源的な問題に関わったときに初めてその土地っていうものが見えてくるものではな

 いでしょうか。「みちのく」っていう地名がただのレッテルじゃなくて、風土として心の中に

 感じられるんじゃないのかなと思います。だから鬼房さんは、俺がみちのくだよ、と自分

 から売り込んだ作家なのではなくて、人がそこにみちのくを感じてしまう作家なんです。

 鬼房さんはみちのくを意識して作っている訳じゃないけど、人々がみちのくに見出すも

 のの原型みたいなもの、憧れみたいなものが鬼房の句の中にはあるんじゃないかって

 いう感じがします。そういった意味でこの〈みちのくは底知れぬ国大熊生く〉は重要な句

 だ
と思います。正直俳句をやっている人間から言うと、みちのくと言わずにみちのくらし

 い
句を選ぼうかなと思ったんですけれども、最終的にやっぱりこの句っていうのは、佐

 藤鬼
房とみちのくっていうところで外せない句なんじゃないかなと思いました。この句は

 〈み
ちのくは〉って言いながらみちのくに答えを与えてないですよね。みちのく=底知れ

 ぬ国
だっていうことで、自分では分からないんだよ、底が知れないんだよ、混沌なんだ

 よって
言っています。ただそれだけだったら観念で終わっちゃうんでしょうけれども、こ

 こで
やっぱり傑作なのが〈大熊生く〉の具象感ですよね。北海道と東北の違う所っていう

 の
は、クマで言えばヒグマかツキノワグマかの違いだと思うんです。ヒグマはすごく肉が

 好
きで強暴ですが、ツキノワグマは蜂蜜食べたりどんぐり食べたりとか、紳士的で人間

 襲う
わけではない。わりあい親しみやすい感じの熊です。山の中なんかに入ると熊に会

 った時
にはどうするかっていうと、「慌てず、騒がず、後ずさり」すると助かると聞いたこ

 とが
ありますが、この〈大熊〉っていうのもなんかちょっとそういう人間に似た親しいもの

 の
感じですよね。おやじがちょっと来たとか、おやじがちょっと怒ってるなとかおやじに

 な
んか殴られそうとかって、そういう時には慌てず、騒がず、後ずさりしたりするのでは

 な
いか。あるいはおやじさんちょっと頑張って、っていうような感じで、ツキノワグマに

 びかけているような、畏敬の念を持って呼
びかけているような感じもします。

 大場

  この〈大熊〉ということは、鬼房は何を言おうとしてるんですか。この〈大熊〉というのは

 鬼房自身のことなんでしょうか。

 田中

  私は鬼房自身のことだとは思わないですね。もっと生きとし生けるものに呼びかけて

 いるようなスケールの大きい句です。動物に対してもアニミズムっていうんですか、対等

 な感じで、お前さんも生きているんだね、っていう感じで呼びかけているのではないで

 ょうか。もちろん、生きているものの中に
は人間も含まれますから、最終的に自分も含

 まれるかもしれないけれども、もうちょっと大きな意味でみちのくっていうものに対する、

 みちのくっていうものを成している、人
間とか生命全体への呼びかけみたいな句かな

 私は思います。

 大場

  大雪さんが仰っている、やっぱりそこに鬼房の普遍性が具体化されているという言い

 方
をされますか。

 田中

  そうです、ええ。

 大場

  〈底知れぬ国〉っていった時のさっきの「わが王国」。大雪さん、この「国」の違いって

 いうのは何か感じるものですか。

 矢本

  〈底知れぬ国〉という時は、多分これはもう地理的なみちのくっていうものがはっきり

 意識されているだろうなと思いますね。で、「王国」といった時には、多分いろんな解釈

 ができると思うんですよ。やっぱり私は俳句であったりとか、それから蝦夷(えみし)の

 血が流れている私の生きる場所であったりとか、それから、私の生活全てを「王国」と

 例
えて、ということだってできると思うし。ただし、ちょっと控え目くらいに「王国」というふ

 うにして、自負心は持っているけれど
も、その、俺がすごいんだよということで「王国」と

 して使っているわけじゃないというこ
とですよね。そこがさっき言った「わが王国」じゃなく

 て「王国はわが胸の中に」。地吹雪
はですから、見せてはいないですよ。皆に胸を割っ

 て私の王国を見てくれよ、とかって
言ってるわけじゃない。自慢してるわけじゃない、と

 いうふうに思います。それとですね、
ちょっと指摘しておくと、今回皆さんが取ってくれた

 句は、非常に共通性があるという
か、キーワードがだぶっているんですよね。

 大場

  そうですね。

 矢本

  ええ。王国の「国」というのがあの、〈みちのくは底知れぬ国〉もありますし。それか

 極端に言うと、宇井十間さんが取ってる〈伊
弉冉の死霊が炎だつ〉という、この伊弉冉

 の
国というのも死霊の国ですよね、黄泉の国のことですよね。それから「わが」というの

 が
共通していくつかありますよね。〈わが胸の 中に〉〈わが?蝦夷〉とか。それから……。

 大場

  「胸」もそう。

 矢本

  「胸」もそうなんです。だから、こういう共通性、これがひとつの、鬼房にとってはちょ

 っとキーワードみたいになる。で、実に
ね、鬼房は「わが」という言葉を非常によく使って

 るんですよ。「胸」も使ってますけれ
ども。「わが」と使ってる句は、百五十二句あるんで

 す。鬼房の句全部で。ただしその他に
ですね、平仮名のこれ「わが」ですよね。その他

 に「我(わが)」という、「我(われ)」
というのもありますよね。それから、その他に「吾子

 (あこ)」という時の「吾(われ)」。吾
子の吾のほうは四十一句ぐらい。吾子は外してです

 ね。全部でやっていくとですね、かな
り……ちょっと待って下さいね、今資料がめちゃく

 ちゃになっちゃってますんで。

 大場

  なんか小熊座のデータベースみたいな方ですね。

 矢本

  いえいえ。あんまり大したこと言えないので、こういうことでもちゃんと勉強していかな

 いと、皆さんの前に立つ意味がない
と思って勉強してきてるだけであってですね。ちょっ

 と待って下さいね。「我が」とか
「我」とかそれから「己」とか。「俺」という言葉も含めて、

 全句集は約五千二百余句ある
んですけれども、それのうちの二百八十四句あるんで

 すよ。ほんとの「われ」とか自分を
意識した句というのがですね。これは五パーセントぐ

 らいに当たります。結構多いだろう
と思いますし、ここに鬼房の特徴はあるんだろうなと

 思います。で、先ほどの風土性のこ
とに絡めて言いますと、あえて鬼房の作品を風土

 性ということに狭小して捉える必要はな
いんです。鬼房が風土を纏ってるのは当り前の

 ことなんですよ。鬼房は自分で
〈切株があり愚直の斧があり〉という宣言をしたときに

 ですね、僕は宣言の句だと思うんですけれども。これとあの夏草に糞まるここに家た

 て
んか〉というのも宣言で、私は塩竈で生きていくぞと、いう決意の表明、宣言の句だ

 と思
うんです。私はですね。それを書いたときから鬼房にとって風土性というのは当り

 前のこ
とであって、何も風土に媚びていく必要がないわけですよ。だから、鬼房が土俗

 のことを
書きなさいよというのは、私はそうしてきたからあんたたちもそうするべきだよ

 とか、そ
うなんだろうね当然、というふうに言ってるわけですけれども、我々が受け取る

 時には、
風土性、じゃ、青森だったらねぶたのこと書かなけりゃいけない、とか、桜のこ

 と、弘前
では桜を書かなきゃいけない、みんなこういうふうになっちゃうわけですよね。

 それを鬼
房は「観光俳句だ」とかって言って、切り捨てちゃうわけですよ。だから、そん

 な風習と
かですね、身についているものがちゃんとそこに土着してればあるんだから、

 何もそうい
う言葉でおもねって書くんじゃなくて、堂々と自分の句を書いていけば風土性

 というのは
おのずから出るんだと思うんです。大きな意味でね。そういうことでいけば鬼

 房は風土作
家だと言えるんです。でもあえて小さくして、みちのくにいたから鬼房の句

 はできたん
だよ、なんて言うと鬼房が怒るわけですよ。やはりそういうこと言われると、

 私はもっと
アナーキーなんだよと、ということで怒るわけですから。怒るというよりも悲し

 むという
ことでしょうね。お前らよく分かっちゃいないなということでね。みんな鬼房を過

 大に評
価したくないわけですよ。特に鬼房は都と相容れなくて塩竈に来たんじゃなくて、

 都を拒
んだわけですから。ですから、〈愚直の斧があり〉というふうに宣言して、こちらに

 み
ちのくに住んだ。だからあえてみちのくを詠わなくてよかったのは当り前のことなんで

 す
よ。それを、洒落っ気がありますから、神田秀夫さんが「みちのくの鬼房だ」と言われ

 る
と、ちょっとみちのく書いてみようかなというふうになるんじゃないかな。茶目っ気があ

 る人だなと僕は思いますね。

 大場

  ありがとうございます。会場に歌人の佐藤通雅さんがお見えだそうですが、ここまでの

 ところで何かコメントを頂けたらと思うんですが。

 佐藤通雅

  佐藤と申します。突然指名いただきまして、ありがとうと言ったらいいのか恥かしい

 言ったらいいのか。今日のパネラーの皆さ
んのほとんどは生の鬼房を御存じない方で

 す
よね。私は生の鬼房さんとだいぶお付き合いさせていただきました。で、少しだけヒ

 ント
になるかなと思うところをお話いたしますと、まずは鬼房さんの大きな特徴というの

 は、やっぱりひとつは「逃げない」ということだと思うんです。逃げない。たまたま、この

 みちのくに住んだわけなんですけどね。「逃
げない」っていうことは特にこの東北のこう

 いった所に住む者は、惨めに生きざるを得なことがいっぱいあるわけです。それを彼

 は
全身で背負ったということですよね。それから、それに関連しまして、逃げなくて惨め

 に
ずっと生きてきたというところから、低い者への、なんて言ったらいいか、眼差しって

 言ったらいいでしょうかね。

                
                                                 ▲佐藤通雄氏
 大場

  低い者?

 佐藤

  はい、低い。高い者じゃなくて低い者への眼差しっていうのはかなり徹底していたと思

 います。それからあの、やっぱりシャイですね、恥ずかしがり屋って言ったらいいでしょ

 うか。これ、大変強かったと思います。それらが総合して一口で言えばやっぱり、彼は

 ア
テルイの精神を生きたのじゃないかという気がします。鬼房さんのお母様は胆沢、岩

 手県
の胆沢にお住まいで、鬼房さんも岩手の地に小さい時は住んでおられました。私

 も岩手の
水沢の出身なんですけどね。私の地区は水沢の跡呂井(あとるい) というとこ

 ろなんで
す。跡呂井というのはこれアテルイから来ている言葉で、ちょうど私の住んで

 いる地区と
いうのは多賀城の分家みたいな胆沢城がありまして、これはあの、中央政

 権の根城ですよ
ね。それから私のすぐ近くにはアテルイの像があるんです。アテルイは

 最後には滅ぼされ
るんですが、水沢地区の人たちはアテルイというのは英雄と思って

 おりました。多賀城と
反対に英雄と思っていまして、それは惨めに最後に負けたという

 こともあるんですけど
ね。その惨めに生きていたっていうことの精神がやっぱり鬼房さ

 んにはあったのじゃない
かと。それでもう少し具体的なことでお話ししますと、まず彼は

 身を低くしていつも生き
てこられた方なので、引き際をよく心得ていということですね。

 とにかく短歌の世界で
も俳句の世界でもそうなんですけども、偉くなってきて年を重ねて

 くると、特に主宰なん
かなると、その座を去りたくないという気持ちが出てくるものなんで

 すね。そういった高
い位、名誉欲っていうふうなものが知らず知らずに身に付くもので

 すから。それを鬼房さ
んはね、大変分かっておられて、引き際を心得ておりました。自

 分が病気になった時に
は、潔く地元の河北新報の選者を辞めるというふうに仰いまし

 た。この世界では、辞める
なんて絶対仰らないで、よぼよぼになって、半ば頭脳が壊れ

 るまで頑張る方が多いのが実
情なんです。鬼房さんはきっぱりともう辞めると、仰いま

 した。その時に、これ既によく
知られた話なので公表していいかと思うんですけども、選

 者が辞める時には、自分の結社
の弟子を推薦するものですが、鬼房さんは、次の選者

 を推薦する時に自分の結社の方を推
薦なさいませんでした。その場に私は生々しく立

 ち会っていました。推薦してくれたのが
高野ムツオじゃないということをはっきり分かっ

 ていたのでね。ああこれはと、こちらが
慌てて、説得に走りました。ここで真意を聞きた

 いと。そしたら、こういう世界というの
は、とにかく俳句の結社のそういった繋がりを大事

 にするもんだ。鬼房さんはそうじゃな
くて後任を公平に選びたいんだという精神でした。

 つまりそれも考え合わせますとね、彼
は人間の一番低いところに絶えず生きていた

 だなと強く思いました。最後までそうやっ
て生きておられたんだなという気持ちがいた

 ます。そういう意味では彼は、確かにこの
みちのくに住み、生き、亡くなりましたけども、

 やっぱりこの〈大熊生く〉っていうのはね、おそらく、〈大熊〉っていうのはもともと熊のこと

 を言うんですけども、それを超えて、おそらくこの、やっぱりアテルイの精神というのをど

 こかで意識されていたんだな
と、そういうふうに感じてまいりました。皆さんのヒントにな

 るかどうか分かりませんけ
ど、生の鬼房さんと付き合ってきた者として、そういう感想を

 持ちましたので、一言お
話いたしました。ありがとうございます。

 大場

  ありがとうございました。今の佐藤通雅さんのお話を伺って、改めて鬼房に連なる中

 に
いられて喜びを実感しております。神野さん、全体の句について一つ一つ扱えてなく

 て
申し訳ないんですが、お出しになった句の中で、このことに触れたいっていうことがあ

 っ
たら。

 神野

  そうですね、今のお話にまさにそうだなというところは、私もこの〈みちのくは底知れ

 国〉の句を、もし他の方出してないなら、
入れて下さい、もしそうでなければ〈?蝦夷〉の

 句にというふうにお願いしていたので
すが、この句がやっぱり、みちのく鬼房と言えばこ

 れだろうという感じがします。やっぱ
りもちろん熊としての〈大熊〉、そこから自分の父親

 だけではなくて、やはり父祖の地っ
ていうんですかね。みちのくは父祖の地である。自

 分たちの父祖であるというところが、
非常に色濃く出てて、そこに繋がる私でありながら

 その遙かな血の果て、血を遡っていっ
た果てまで遡るとやはり底知れない、ということ

 かなと思います。そういう意味では私の挙げた二句目もそういうところがあって、
〈父た

 ちの夏寒む寒むと火蛇(サマンドラ)〉
、サラマンドラっていうのは火から生まれて火

 を
食べて生きる蛇で再生、フェニックスのような、そういうイメージを持たされた、西洋

 の
詩でよく出てくる精霊なんですが、ここで「父」ではなく〈父たち〉っていうふうに言っ

 るわけですよね。やっぱり自分の父の夏が
寒む寒む、ではなくて〈父たちの夏〉ってい

 のはやはり、ここと〈大熊(おやじ)〉が
響いてくるのかなと。で、〈大熊〉という言葉を別の

 言い方で言えばそれは「父」ではな
く〈父たち〉になる。そしてそれはただの夏ではなく、

 やはり〈寒む寒む〉、〈夏寒む寒む〉
である。ここのところですね。しかしサラマンドラのよ

 うに、死んでは常に復活し、ずっ
とこう、冷たい、寒い、と暑い夏。寒い、霜夜の霜と火、

 というように、熱いものと冷た
いもの、そういう相反するものを全部飲み込みながら、父

 たちは生きてきたんだと。それ
が自分にとってのひとつのみちのく、というふうに捉えて

 いるような気がこういう句を見
てるとしました。

 大場

  なるほど、ありがとうございます。関根かなさん、三句挙げていただいて、まだこのこ

 と
に触れてませんが、ぜひここで、ひとつ触れたいとしたらどれでしょう。

 関根

  先ほどの、通雅さんのお話にちょっと胸が熱くなってしまいましたが。「逃げない」「全

 身で背負った」「低い者へのまなざし」というあたりの精神が宿る一句なのかと思うのが

 私が二句目に挙げた
〈やませ来るいたちのやうにしなやかに〉です。『瀬頭』所収の

 一句なんですが、『瀬頭』ではこの句の前後に、「やませ」を詠んだ十三句の連作があ

 りまして、〈やませ入りこむ内陸へ内臓へ〉
いう感覚にも惹かれたのですが、また他

 の具
体的な言葉でやませの恐ろしさを表現している句もあったのですが、やはり、この

 
〈やませ来るいたちのやうにしなやかに〉の官能的ともいえる無比の表現に最も、み

 ちのくの魅力
を感じました。ご存知のように「やませ」は東北地方に、梅雨明けの六月

 から七月頃に吹
く冷たく湿った風のことで、作物などに酷い冷害をもたらします。みちの

 くが大きな打撃
を受ける異常気象です。「いたち」もまた小柄な体格ながらも非常に強

 暴な肉食獣で、小
型の鳥類はもとより、自分の体よりも大きな鶏や兎なども、単独で捕

 食したりします。し
かしその細長い体と動きは非常に俊敏でまさしく「しなやか」といえま

 す。その「いた
ち」の獲物に忍び寄る動きをみちのくに入り込み、湿った冷たさをもたら

 す「やませ」に
近づけて、みちのくの地に立ち、しなやかに対峙している姿が、みちのく

 を体現している
のではないかと思いましてこの句を選びました。冷害をもたらし憎むべ

 き「やませ」とみ
ちのくに根付いている鬼房、みちのくに根付こうとした鬼房は微動だに

 せずしなやかに向
き合っている。みちのくの秘めたる力も感じました。みちのくにいなけ

 れば冷たさを感じ
られない「やませ」をこの句においては否定も肯定も受容もせず、み

 ちのくにおいて特化
される異常気象をしなやかに句材として用いています。流麗で稀有

 な、みちのくを詠んだ
一句だと思いました。またこの、一文字だけの「来る」という漢字、

 「やませ」の到来を
しなやかに意識している部分に繋がってくると思いました。『鬼房と

 みちのく』というテー
マを与えられた中で真っ先に浮かんだ一句です。

 大場

  ありがとうございました。田中さんが一句目に挙げていただいた〈虹消えて〉という句

 は、『名もなき日夜』という句集に入っていますね。

 田中

  これは初期の句です。先ほど私も、佐藤さんのお話を伺ってちょっと胸が熱くなりまし

 た。鬼房さんの思い出と言うと本当にもう晩年だったと思うんですが、東北大会で一緒

 に
なったときに、俳句を始めたばっかりの私に「兜太なんてやめてうちに来ない?」み

 た
いなことをおっしゃって下さったことが印象に残っています。本当は行っちゃえば良か

 っ
たのかも知れません(笑)。兜太はいつも句会で鬼房さんのことを「オロナミンCが大

 好
きだった」とかってしょっちゅう話してますし、改めて深いつながりを感じます。で、こ

 の句をなぜ選んだのかっていうのは、この
〈暗い尾鰭が〉っていうところで、東北の塩

 の湾の青黒い海流みたいなものが思い浮か
んだということもあります。同時に先ほど

 神
野さんが言われておりました、『俳句の風土性に触れて』という文章について思い出

 しま
した。この文章の中の鬼房さんの言葉で忘れられないのは、自分が一番風土って

 いうのを
意識したものは終戦一年を経て、焦土の日本に帰ってきたときだという言葉で

 す。焦土の
日本で目に触れるものは外国の軍隊や闇屋で、まさしく植民地であったとき

 に、日本っ
ていうことや、風土っていうことを私は最も感じたっていう一文に非常に感じ

 入りまし
た。できれば初期の句から選びたいなということで、この句はみちのくを全面に

 は出して
ませんし、具体的に何がっていうことではないんですが、〈暗い尾鰭が疾走す

 る〉という
ところに、冷たい海流が見えてくる、情熱のようなものが見えてくる、いうことで

 選びま
した。

 大場

  ありがとうございます。大雪さん、ぜひこれは言っておかねば青森に帰れないという何

 か……。

 矢本

  そんな贅沢なことは全然ないですけれども。あの、答えの出ないことをちょっとこう、

 皆さんにも提示しておきたいなと思うんですが。例えば、私の取った
〈蝦夷の裔にて木

 枯をふりかぶる〉
。「ふりかぶる」というのは普通の辞書には、たとえばピッチャー振り

 かぶって、というふうな使い方しかないんです。でもこれ、普通に、多分木枯らしを身に

 被るということで使ってるんじゃないかなと思ったんですけれども、もしかすると、鬼房

 のことだから本当に木枯らしを鷲掴みにして
振りかぶってるのかな、と思わせるところ

 が
あるんですね。こういう魅力がある。それから、関根かなさんが取ってくれた〈あても

 な
く雪形の蝶探しに行く〉いい句だなと思うんですけども、よくよく考えてみると、蝶形

 の
雪を探しに行くんだったら理屈としてはストンと落ちるんですよね。雪形って皆さんど

 ん
なものを想像しますか。雪なんて形がこう、あって降ってくるようなもんじゃない。蝶は

 だいたい羽をこう描けばですね、形ってのが見えるんですけれども。「雪形の蝶を探し

 に行く」という言い方っていうのが、表現ですね。だから、既存のものに媚びないで、鬼

 房は自分で言葉を作るっていうか、まあ作り過ぎるところもあるんでしょうけれども、表

 現を求めていってる。こういうところも私は武蔵だと思うんです。宮本武蔵であって、人

 に理解されなくても我が道を行くんだ、という。ただ、後輩のために、ここはこういうふ

 にして、正眼に構えてこうこう振りかぶっ
て、突っ込んでいけば、剣道の体系としては

 来上がるんだよ、俳句の体系としては出来
上がるんだよということは念頭に置いてない

 んですよね。それでも親切に皆に一生懸命に指導していくというところがあるんであっ

 て。この皆さんの取られた句の中でこう見ていっても、本当に
〈地吹雪や王国はわが

 胸の中に〉
の〈に〉を入れるのかとか〈ふりかぶる〉であるとか、それから、宇井十間さ

 んのね、〈伊弉冉の死霊が炎だつ白鳥湖〉であっ
たりとか。全く普通の発想の中から

 は出てこ
ない。また、発想が何とかできたとしても言葉がついていかない。こういうとこ

 ろが、全
句を通じてあると思いますので皆さん探してみて下さい。そういう鬼房の魅力っ

 ていうの
は、敵わないな、と思いながらやっぱり好きだなあと思って。だから会いたかっ

 たなとも
思うけれども、会ったら叱られるだろうなあと思いながらね。まあ会わなくて私

 はよかっ
たのかもしれませんけれども。高野ムツオさんについていきますんで。で、ム

 ツオさんに
ついて行きながら、あの、佐藤先生の、やっぱり鬼房さんの俳句も勉強した

 いなと思って
いきます。

 大場

  ありがとうございます。今回のシンポジウム、十分なお話にはならなかったかと思いま

 すが、また来年も機会を頂ければ、また勉強して参りたいと思いますので、どうぞ宜しく

 お願い致します。今日はありがとうございました。



 ※パネラー予定だった宇井十間さんは、急な事情で帰国出来ず欠席となりました。


  ○パネラーが選んだ佐藤鬼房作品三句

  田中亜美

    虹消えて暗い尾鰭が疾走する    (名もなき日夜)

    地吹雪や王国はわが胸の中に   (半跏坐)

    みちのくは底知れぬ国大熊(おやぢ)生く(瀬頭)

  神野紗希

    青年へ愛なき冬木日曇る       (夜の崖)

    父たちの夏寒む寒むと火蛇(サラマンドラ)(半跏坐)

    霜夜なり胸の火のわが?蝦夷(あらえみし)(霜の聲)

  矢本大雪

    蝦夷の裔にて木枯をふりかぶる   (地楡)

    水無月のたとへば北に病める葦  (鳥食)

    地吹雪や王国はわが胸の中に   (半跏坐)

  関根かな

    胸に扉がいくつもありて土用浪   (半跏坐)

    やませ来るいたちのやうにしなやかに(瀬頭)

    あてもなく雪形の蝶探しに行く(枯峠)

  宇井十間(欠席)

    海嶺はわが栖なり霜の聲      (霜の聲)

    弉冉の死霊が炎だつ白鳥湖   (霜の聲)

    綾取の橋が崩れる雪催       (何處へ)




 
パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
  copyright(C) kogumaza All rights reserved