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 小熊座・月刊 
  


   2013 VOL.29  NO.333   俳句時評



          北上で考えたこと

                              渡辺 誠一郎

  東日本大震災から早や二年目を迎えようとしている。しかし、今なお行方不明者が見つ

 からないことや復興がなか
なか進まないこともあり、いまだにわれわれの胸の支えは取れ

 そうにない。一方大津波の災禍や原発禍の風化が少し
ずつ進んでいるようにも思える。

  先日、岩手県の北上市に足を運んだ。全国で唯一の詩歌専門の総合文学館である日本

 詩歌文学館において開催され
ている「未来からの声が聴こえる 2011・3・11と詩歌」

 観るためだ。「未曽有の大きな災害において、詩歌は何
をどのように切り取り、語り、描い

 たか。こうした事態に詩歌はいかにあり得るのか」と開催趣旨にある。この企画には、五十

 六名の詩人、歌人、俳人、柳人が東日本大震災
詠を揮毫した作品を寄せている。

  特別作品として、小学生や高校生、海外の詩人の作品も並ぶ。〈夏雲や生き残るとは生

 きること 黒沢尻北高校佐々
木達也〉〈東北の空に天使はうずくまる「翼があっても奇跡は

 起きない」 気仙沼高校山内夏帆〉。


  さらに明治三陸地震や関東大震災を詠んだ、正岡子規を
はじめ、佐々木信綱、與謝野

 晶子、荻原井泉水、臼田亜浪
などの作品も併せて展示されている。

   〈人すがる屋根は浮巣のたぐひかな 子規〉

   〈荒磯(ありそ)べをさまよふ童あはれなり親もなくして家もなくして 信綱〉

  これら明治三陸地震を詠んだ子規や信綱の作品は、新聞や雑誌などを見て作ったのだ

 ろうか。今回の震災を詠んだ
光景と変わることない。

  出品された俳人たちの作品のなから、特に目にとまったものを抽く。

   〈涅槃図のどこかに津波来てないか 白濱一羊〉〈双子な
ら同じ死顔桃の花 照井翠〉

 〈流されてもうないはずの橋
朧 永瀬十悟〉〈陥没の底にも咲けりいぬふぐり 今瀬剛一〉 

 〈それでも微笑む被災の人たちに飛雪 金子兜太〉〈春寒の灯を消す思ってます思ってます

 池田澄子〉〈言の葉
の非力なれども花便り 西村和子〉〈瓦礫みな人間のもの犬ふぐり 高

 野ムツオ〉。


  多くの作品は総合雑誌などで目にはしていたものだが、
揮毫された作品を前にすると、

 あらためて印象を深くする。

  この企画の良さは、現存の作家の作品を通して生きた作家の「肉声」にふれることがで

 きことだ。観る者は、同時
代の空気を共有しながら、作品に向き合うことができる。えてし

 て多くの文学館などの企画は評価の定まった作家に
なりがちだ。いわゆる博物館的に過

 去の作家を取り上げる
企画が多い。今回の企画は、それぞれの作家が揮毫の作品を寄

 せていることもあり、観る者と同じ空気のなかで、作家の一点一点に込めた想いが親しく迫

 ってくる。

  東日本大震災という衝撃的な出来事を様々な場所で体験、あるいは見聞きして、同時代

 を生きる詩人、歌人、俳人、
柳人がそれぞれの表現世界のなかでどのように詠ったのか

 は誰しもが興味のあるところに違いない。だが、今回の東日本大震災のような未曽有の震

 禍の前では、詠えない、詠
わないことだってあり得る。震災時のある種の興奮したような状

 況で詠われた世界もあれば、醒めた目で詠われた世
界もある。しかしそれも時間が経過

 すればまた違った詠い
方になっていくのだろう。それゆえ、その時その時の表現の大切さ

 があるのかも知れない。しかし、やはり、深い沈黙
から抜け出せないことだってあり得るの

 だ。いずれその沈
黙すらも姿を変えて胸奥に沈潜するように変容していくのだろうと思う。

  詠わないということでは、この企画にエッセイを寄せた俳人の片山由美子が白濱、照井、

 高野らの被災地の俳人た
ちの作品を挙げながら次のように述べている。

  「こうした作品を前にすると現場を見ていない人間は口を噤まざるを得ない。表現とは想

 像力を発揮することだと
言う人もいる。だが私は想像をはたらかせてまで今回の大震災を

 詠む気持ちにはなれなかった。
被災し、あるいは被災地に立ち、どうしても詠まずにはいら

 れなかった人たちがいる。その作品ひとつひとつを心
に刻みたい。耐え難い現実を直視し

 た俳句は、言葉が、そ
して季語が、決して無力ではないことを教えてくれる。そのことに私

 は救われたのだった。」

  直接に被災地にいて被災の光景を見て作るのが震災詠とばかりは言えないが、一方被

 災地にあっても作品にできな
かった俳人がいたのも事実だろう。

  当時の自分自身のことを思い出しても、容易に俳句の世
界に震災を持ち込むことはでき

 なかった。路上に車が散乱
し、破壊された家屋などの瓦礫が一面拡がり、異臭が漂う震災

 の場にあっては、なかなか筆を執る気分には到底なら
なかった。この光景と自身の気持を

 言葉は掬いきれないと
思えた。今もあまり変わりない。俳句と向き合えるようになったのは

 気持ちに一定の落ち着きがでて、俳句という
表現がすべて引き受ける必要はないとの多

 少の断念する想
いになってきた時だ。

  詩人の城戸朱理はこの企画のエッセイに次の言葉を寄せている。

  「なぜ、三月十一日だったのか。なぜ、午後二時四十六分だったのか。なぜ、三陸地方

 だったのか。ある人は生き
延び、ある人は死なねばならなかったのか。何が起こったのか

 が分かっていても、こうした疑問は、ついに消えるこ
とがない。だから、真の震災詩というも

 のがあるとしたら、
それは、鎮魂歌でも、追悼篇でもなく、そうした疑問を生き抜く、無究の

 問いにほかならないのではないだろうか。」


  まさに問いが続く限りわれわれは詠い続けるし、詠わな
くても問い続けていくことが大切

 だと思う。


  展示を観終わった後、このことを反芻し、雪道に足をた
られながら文学館を後にした。

  (展示は3月10日まで。引き続き「明日から吹いてくる風―2011.3.11と詩歌、その後〉が3月12日からはじまる。)






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