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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (27)      2012.vol.28 no.331



         秘仏とは女体なるべし稲の花            鬼房

                                      霜の聲』(平成七年刊)

  作者は秘佛を見たことがないのでしょう。数年或は数十年に一度開帳されることがありま

 すが、その時も作者は見
ていないのだと推察されます。見たことがないから想像がふくら

 み、それは妄想ともいうべきものにまで発展する。
「女体なるべし」 ―女体であるにちがい

 ない― とは言って
も、この女体は血の通った本当の女性の肉体という意味ではありませ

 ん。佛の身体は本来男とも女ともつかないもの
です。至高のものであるからには、やはり

 男でも女でもな
いものであって欲しいと凡百の信徒は願うでしょう。しかし私たちは知ってい

 ます。限りなく男性を思わせるたくま
しい佛像があり、はたまたなよやかで、女性以上に女

 らし
い、女体としかいいようのない佛像もある。

  作者は考える。女体に似せて作られた佛像しか秘佛には
ならないのではないかと。或は

 秘佛として人の目から遠ざ
けられている佛像は女体をもっているにちがいないと。

  けしからぬところへ行きそうな妄想を辛うじておさえているのは「稲の花」である。目立た

 ず、小さく、色も匂い
もあるかなきかの稲の花。しかしそれは豊穣な実りを暗示するもので

 もある。稲以外の花は〝女体をもつ秘佛〞をお
としめる。稲の花は、花であって花ではな

 い。豊穣へのかけ
はし。赦しにも似ている。この稲の花が無ければ作者佐藤鬼房の妄想

 は祝福されることもない。

                                        (橋本七尾子「円錐」)
 



  第一印象は豊饒への祈りであった。でも、それだけなのだろうかという思いが頭から離れ

 なかった。


  そんな折、所属している真言宗豊山派布教研究所の研究
員十名にこの句の印象を聞く

 ことができた。この研究所は
難解な仏教用語を平易な言葉に置き換えるという研究もし

 いる。

  それぞれは、「秘仏」「女体」「稲の花」にどんな意味が隠されているのか論じてくれた。そ

 の多くは私の第一印象
と同じであったが、なかには一年に一度しか咲かない「稲の花」の

 生命の尊さが「秘仏」「女体(女性器)」への畏敬
と相まって、創造力と生命力を讃えている

 のだという意見
も出てた。

  私は考える。山川草木悉有仏性と考えたとき、女体より出てた我ら全ての命は仏であり、

 秘仏なのだ。だからこそ、
秘仏を生み出す「女体」そのものが「秘仏」であり畏敬は極まる。

 これは昨年、吉本宣子氏が本誌で述べたところに
近い部分であろう。

  しかし、「なるべし」という語に、そうあって欲しいという願望の匂いを、さらには「稲の花」

 にこれから先も無
事に実って欲しいという切実な思いを見ると、そこには母体回帰をもって

 しても拭えきれない、忍び寄る死への不安があるように見える。

                                         (吉野 秀彦)







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