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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (16)      2012.vol.28 no.320



        吐瀉のたび身内をミカドアゲハ過ぐ         鬼房

                                『鳥 食』(昭和五十二年刊)


  掲句は第五句集『鳥食』のものであるが、第三句集『海溝』、第四句集『地楡』の時代あ

 たりから、それまでの貧窮や社会的なテーマを扱った作よりも〈風の紐炎え幻の花一環〉

 〈風説の泥流に羽化わが羽音〉など、内面世界における抽象的な思念を一句に定着させ

 ようとする作品傾向が徐々に強くなり始める。

  こういった傾向は、時代の流れと共に社会全体が経済的に豊かになり、現実における社

 会的な諸問題が表面的には消失してゆく過程と無関係ではないであろう。そして、おそらく

 このことは結果として自己の存在の稀薄化を齎すものでもあったのではないだろうか。『地

 楡』に〈夜明路地落書のごと生きのこり〉〈よるべなき俺は何者牡丹の木〉、『鳥食』に〈渚ゆ

 く後頭われかひとか雪〉が見られ、このあたりから鬼房の自己存在の模索が始まる。

  自己の確認のため投入されたのは肉体性である。『地楡』に〈(ほと)()る麦尊

 けれ青山河〉〈ひばり野に父なる額うちわられ〉、『鳥食』に〈耳傷に山の陽山の深みどり〉

 〈鳥食(とりばみ)のわが呼吸音油照り〉〈赤梨の舌にざらつく土着性〉がある。またここから

はアニミズムの要素も見出せよう。この要素は物語性と深い結びつきを有している。

  掲句もまたこういった作品傾向の流れの内に見出すことができるのかもしれない。抽象

 性と「吐瀉」の肉体性。そして、ただの揚羽ではなく「ミカドアゲハ」の存在。この「ミカド」とい

 う厳めしい名ゆえの聖性を感じさせる揚羽は、鬼房の自己の存在そのものに対する自恃

 と矜持をそのまま表象しているように思われる。

                                             (冨田 拓也)



  これは鬼房先生の中でも私の偏愛の句のひとつだから、書く機会を与えられて嬉しい。

 俳句の中に比較的稀な蝶の名前が出ている。しかも「吐瀉」と「ミカドアゲハ」を併置するの

 は、敢えて言えば幼児性と言うか、超絶技巧と言うのか、非凡な魅力である。先生の年譜

 を見るとこの時代、大病の記録が連続する。前年に肺気腫の疑い、この句の年、昭和五

 十年に過労のため心臓衰弱入院。またその前には胆嚢の切除、その後の胃切除、続い

 て膵臓手術、脾臓の除去…とは、ただ事ではない。この句は生死の境にあって食道を込

 み上げてくる酸性の胃液の感覚に黄緑色の斑紋を持つ美しく飛翔の迅速な蝶の擦過を見

 たのだ。壮絶であると共に、吐瀉の苦痛はミカドアゲハのイメージとの対置によって異化さ

 れ、超克されたのである。

  ミカドアゲハは南方系の蝶で東南アジアに広く分布するけれど、いま日本では愛知県が

 北限らしい。幼虫の食樹がモクレン科のオガタマノキで、この木が植えてある古い神社、宮

 崎神宮や伊勢神宮でよく見られた。和名をミカド(帝)と名づけられたのもこんな関係であろ

 う。天然記念物とする地方もある。同じGraphium 属でも近似種のアオスジアゲハなら塩竈

 でも見られたであろう。しかし句の音韻上でも、ここは本種でなければならなかった。

                                         (増田 陽一)



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