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 小熊座・月刊 
  


   2011 VOL.27  NO.313   俳句時評



          大震災に想う

                             渡 辺 誠一郎

  三月十一日に発生したマグニチュード9・0の巨大地震と、その後の大津波によって、死

 者、行方不明者は2万人を
超えた。

  塩竈に住む私はその時、築55年の建物の三階の一室で会議中であった。地震の揺れ

 が収まった時には、建物を支え
る柱の数本が断裂していた。その建物は耐震工事が二週

 間
前に丁度終わっていたばかりであった。

  あっという間に、4m を超す大津波が沿岸部を襲った。たちまち遊覧船や漁船が市街地

 まで押し上げられ、市街地
を走っていた車は流され商店のショーウインドーを突き破った。

 市街地の中心部は4メートルの津波に呑まれた。
湾内の離島、桂島、野々島、寒風沢島

 の家屋の半数は流失・
全壊した。市内の死者は21人。ほかの三陸沿岸の町に比べれば

 少ないほうだ。湾内に浮かぶ島々が津波の力を減らす
役割を果たしたためとも言われて

 いる。

  隣の多賀城市の死者は180人を超える。中心市街地から直接海が見えないこともあり、

 津波から逃げ遅れた人が
多かったといわれる。やはり隣の漁業の町、七ヶ浜町の沿岸の

 集落は壊滅的被害を受けた。仙台平野の沿岸を走る県
道からは見えなかった海が見渡

 せる。大津波によって防砂
林や家屋がなぎ倒されたせいだ。春はいつも絵のように美しく

 広がっていた仙台平野の田畑は、一抱えもある防砂林の松の木が瓦礫とともに根ごと流さ

 れ、当たり一面散乱
し、凄惨な光景だ。津波の威力の凄まじさをまざまざと見せつけられ

 る。ここで多くの命が失われた。

  そんななかで震災の特集を組んだ俳句雑誌を手にした。『俳句』では緊急特集として「東

 日本大震災 被災地にエー
ルを!」と題して「励ましの一句」を組んでいる。掲載は年齢順

 で、金子兜太から神野紗希までの140名。

   津波のあとに老女生きてあり死なぬ       金子 兜太

   大津波引きたる沼や蘆の角            有馬 朗人

   春寒の灯を消す思ってます思ってます      池田 澄子

   ひとつぶの種播く地平あるかぎり         行方 克巳

   生れし子よかの日の瓦礫より芽吹く       対馬 康子

   にはとりの怒りて花をふぶかせり         和田耕三郎

   みちのくの空ゆるぎなし初櫻           山田 佳乃

   暁・鴉・睡魔・マイクロシーベルト         神野 紗希

  俳句による「励まし」とは直截的だが、俳句にはそれぞれ言葉を添えている。震災に俳句

 は非力とする考えや、俳
句を詠むことの大切さ、俳句にできることの可能性を述べるなど、

 今回の震災に向き合い方は様々である。いずれも
被災者の現実の痛みを、そして己の胸

 の中で、俳句の言葉
にかえて思いを昇華しようとする姿勢が伝わってくる。

  私は、震災の衝撃もあり、言葉が震災によって胸奥に開いた得体のしれない空白を埋め

 られないでいる。近頃は、
震災の体験を見聞きするたびに、わけもなく涙がこぼれてくるよ

 うになった。


  文政の三条大地震の時に、かの良寛は、〈うちつけに死なば死なずて永らへてかかる憂

 き目を見るがわびしさ〉と
詠んだ。現在はその心境に近いが、山田杜皐宛の手紙にある、

 「災難に逢時節には、災難に逢がよく候。死ぬ時節には、
死ぬがよく候。是ハこれ災難を

 のがるゝ妙法にて候」のよ
うな達観した気持ちにはなれそうにない。

  私の身近で毎日のように聞く、九死に一生を得た被災者の語る圧倒的な言葉を前に、わ

 れわれの俳句をはじめ、言
葉の力が、他者の胸奥は達するのだろうかと思うと、複雑な気

 持ちになっているのが正直なところだ。


  津波に呑まれる人を目の当たりにした子は、その光景がいまだに脳裏から消えない話を

 聞くと、悲惨な現実の敷居
を言葉が越えられないような気がしてくる。塩竈の寒風沢島の

 私の友人の奥さんは津波に呑まれ、しばらく行方不明
であった。一人で海岸を何日もかか

 って捜索し、やっと見
つけ出した。彼は泥まみれになった妻の髪と顔を真水で優しく洗い流

 してやったという。その話を聞いた時には言葉
を失った。

  「頑張れ」なるスローガンもそうだが、「東日本大震災」なる大括りな名称も、どこか空疎さ

 を感じる。また、中世
の時代から、芭蕉も同じようにその幻想から離れられなかった「東北

 辺境観」による、東北人の〈忍耐強さ〉など
の、陳腐で薄っぺらな言いぐさには辟易する。こ

 れらも言
葉である。

  そして、原発事故。科学技術の頂点にある原子力エネルギーの持つ、反自然的な「異和

 感」。 しかし、それもいつか
人類は原子力を制御してしまうのではないかとも妄想してしま

 う。こう思うこと自体が、科学的合理性の世界のなか
に納得している、〈悲しさ〉を、我々は

 体内深く刷り込ま
れてしまったのかも知れない。放射能を無化する科学技術! しかし、そ

 の時に、また人類は制御できない新たな「異
物」を作り出しているだろうとの妄想が裏側か

 ら顔を出す。

  しかし、この問題は放射能の半減期を考えると、1万年単位で考えざるを得ない現実を

 言葉が引き受けられるかと
いうことを意味する。

  他の生き物と違って、意識を持ってしまった人間こそ、生まれながらにして十字架を背負

 っている存在である。今
は原罪の認識と言ってしまえばそれまでだが、そこまで意識や言

 葉をさかのぼらざるを得ないと思っている。思考を
止めることは言葉を発することをやめる

 ことに他ならな
い。新しい言葉が欲しいといったら、今までの言葉は敗北したことになるの

 だろうか。

  この頃、敗戦後、戦争に協力したことで、自責の念に駆られて、東北花巻に隠棲した高

 村光太郎が気になっている。
「自分を語り明かすことなく 原初からの因果律を思う

                                                光太郎」



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