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 小熊座・月刊 
  


   鬼房の秀作を読む (3)      2010.12.vol.26 no.307



     齡来て娶るや寒き夜の崖        鬼房

                                  『夜の崖』(昭和30年刊)

  昭和三十年刊の『夜の崖』所収の一句で、昭和二十九年ごろの作である。年譜によれ

 ば、「昭和二十一年十一月早坂ふじゑと結婚」とあるので、この句は、結婚当初よりかなり

 の年月を経ての回想作ということになろうか。

  十七歳にして俳句を志した文学少年鬼房は、二十一歳で招集され戦地におもむいた。

 転戦ののち病を得、昭和二十一年、病院船にてスンバワ島より敗戦直後の郷里に復員

 する。二十七歳の時であった。その年の暮に早くも結婚するのである。実生活の上でも、

 俳句の上でも、また健康上からも、まだ何の方途も立っていない。楽しかるべき新婚生活

 に、鬼房は大きな不安を抱えていたことであろう。

  「齡来て娶る」には、結婚する齢になったので仕方なく…というニュアンスがあり、鬱屈し

 た感情が籠っている。つづく「寒き夜の崖」によって、それは更に暗影を帯びる。日の当ら

 ぬ崖下に新居を構えたのであろうか。或いは、新婚の身で寒く暗い夜の崖を眺めている

 のだろうか。いずれにしても、これは作者の心象風景であろう。ただ、妻を得たというその

 ことのみが、暗い崖の上にぽっと点る小さな灯のように見えていたに違いない。

  鬼房は、このころサルトルの実存主義に影響を受けたと自ら語っている。自虐的な感情

 のまつわる作風には、それが影を落としているのだろうか。同時期の作に「青年へ愛なき

 冬木日曇る」「寒夜の川逆流れ満ち夫婦の刻」もある。

                                         (遠山 陽子) 



  年表を見ると、掲句は鬼房三十五歳のときの作品。鬼房自身はこの九年前(昭和二十

 一年)五月に復員、帰郷。十一月、二十七歳で早坂ふじゑと結婚した。

  娶るとは、「妻(め)取る」、妻として迎えるという意味である。「齡来て」とは、ごく普通のこ

 と。ただこの普通のことを明らかに言ったところに、鬼房のこだわり・心情があるのだと思

 う。「齢」は、年齢的なひとつの区切りというだけではなく、鬼房にとって、とりわけ感慨深い

 ものであったに違いない。中国南京からジャワ島バンドンへと苛酷な戦場に赴き、生と死

 の分かれ目に立たされ、そしてその戦場から生きて戻ったのだ。

  妻となる人が家に来ることになった。狭い貧しいわが家での簡素な婚礼だ。壁一枚をへ

 だてて、寒い冬の夜に、山ぎわに沿って崖が立ちはだかって存在する。鬼房の棲んだ塩

 竈は、海の近くまで凝灰岩の山が迫っている地形で、その山を切り開いて住宅地が造成

 されたと聞く。 

  鬼房のやさしい心が、寒夜の崖の荒漠たる風景に嫁取りという人の温もりを与えようとし

 たのかもしれない。それは単なるヒューマニズムではない、慈愛と慰藉に溢れた独白であ

 ったという気がしてならない。「寒夕焼荒馬街を出てゆけり」 「寡婦そのほか禱はじまる夜

 の崖」 「寒むや崖暁の貧しき火をつける」 「馬の目に雪ふり湾をひたぬらす」等も、人を

 惹きつけて止まない初期作品中の貴石だ。

                                         (大場鬼奴多)



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