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 小熊座・月刊 
  


   2010 VOL.26  NO.303   俳句時評



          受賞者の言葉         大場 鬼奴多

  眼下に広がる皇居外苑の緑が雨に煙っていた。去る六月十八日、東京會舘で行われ

 た第四十四回蛇笏賞・
迢空賞贈呈式に伺った。蛇笏賞を受賞した眞鍋呉夫(天魚)先生

 から、「いさよひ連句会」の連衆のひとりとしてご招
待をいただいた。


  受賞作『
月魄(つきしろ)』(邑書林)については、本誌六月号で渡辺編集長がすでに触

 れられたので、ここでは当日の受賞者
の言葉を中心に伝えられたらいいと思っている。


    月魄や出入りはげしきけものみち


  月魄とは「月の精」のこと。それは「この極大の宇宙の魂の光」でもあるという。眞鍋呉夫

 は一九二〇年、福岡県
で生まれ、まもなく中国に渡る。その後、父天門の影響で俳句を

 作りはじめる。四一年、文化学院文学部に入学、佐
藤春夫の謦咳に接す。遺書のつもり

 で句集『花火』を刊行。
その翌年に陸軍に召集され、佐賀県沖の無人島に駐屯し、そのま

 ま敗戦を迎える。戦艦大和の最後の出撃をこの島か
ら見送った。復員後は作家檀一雄

 に三十年間にわたって兄
事し、小説執筆に力を注いだ。小説集『天命』『飛ぶ男』『黄金伝

 説』評伝『檀一雄』、エッセイ集『露のきらめき』『夢
みる力』、句集『雪女』で歴程賞・読売

 文学賞。

  主催者挨拶、表彰。雨音が強くなった。

  ほどなく、司会者に促されて、ゆっくりと中央の壇に立った天魚師が、一瞬中空に目を遣

 ったようにも見えた。そ
れからゆっくりと一語一語、語りはじめた。


   長く生きているといいこともあるものですね(笑)。ただ蛇笏賞をいただくなどとは

   夢にも思いませんでした。檀さんが亡くなったとき(一九七六年一月)には、本当

   に落胆して、それから俳句もほとんど作らなくなってしまいました。


    茎の石さびしや天馬空を行き

    露の戸を突き出てさびし釘の先


   
数年後、友人に誘われて、ボツボツ作り出した句が、角川の『俳句』(八十年五

   月号)に載って、ほかならぬ蛇笏の後継者龍太氏から「鋭い感覚をそれと認識し

   ないで生み出した句にちがいない。仮死状態から目を覚ましたのだ。思いがけな

   い人の作品。俳句の勘所をおさえて、したたか」という過分の評価をいただきま

   した。


  『月魄』は第四句集。今回の選考では戦死者たちを鎮魂
する句群が特に高い評価を受

 けたという。選考委員の金子
兜太は「戦争を詠むとき、私だと訴える調子ですぐ叫んで

 まうが、眞鍋さんの作品は昇華している。象徴という世
界を求めている」と讃え、同じく宇

 多喜代子は「心中にあ
る見えない何かをものに託した句に作者固有の俳句がみられる。

 心中にある何かとは日の真下では見えないもの、光
芒のように読者にとどくものだ」と賛

 辞を呈する。



   私が戦争にこだわって俳句を作るのは、最も多くの戦死者を出した世代として

   彼らを供養していく責任があるからです。同時に、わが国における鎮魂の本義

   というものは、必ずしも生者が死者の魂を鎮め慰めることだけではなくて、むし

   ろ、生者が死者の大いなる魂を招いて、自分たちの衰弱した魂を奮い立たせ

   ることでした。長く生きていればいろいろなことができたであろう彼らの力をもら

   い、自分が生きていく励ましにするという両義的な面があります。

   『雪女』のときには有馬さんから評価をいただいて、勇気付けられた思い出が

   あります。まどかさんからは「花冷のちがふ乳房に逢ひにゆく」はセクハラの句

   だと叱られ(笑)、「いのち得て恋に死にゆく傀儡かな」の句はこれはいいと理

   解してもらいました。近代合理主義的な立場からは、「雪女」のような現在使わ

   れていない季語は歳時記から除くべきだとの議論がされてきましたが、こうした

   言葉を考えることこそが未来をつくるのだと思っています。


  
千葉皓史氏はかつて新聞の俳句月評で『月魄』を取り上げ、これを「感情の様式化と、

 ある種の表現主義と、純粋写生とが一枚の皮膚のように境目なしに包む生命体としての

 呉夫作品」と評した。



   
現代俳句に変わり目が来ているかもしれません。俳句は写生の域にとどまる

   のではなく、象徴に至らなくてはならない。文学も詩も俳句も、世に合うもので

   はありません。また合わせるものでもありません。突き出たり、曲がったりする

   のは当然であります。私は芭蕉の「さびしさをあるじなるべし」という言葉を詩歌

   の核になると常々考えてきました。一人で生きて一人で死んでいく寂しさを自覚

   することが、詩歌の根本だと思っています。


    わが秋の旅は雲なき空につづく   天門


   
私の父はこういう一句を詠んで亡くなりました。私もせめてもう一句か二句、いい

   句を詠んで、その後を追うことになると思います。ありがとうございました。



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