高野ムツオ      句集『陽炎の家』 
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2007年10月、俳人協会で講演
中の高野ムツオ


 
  邑書林・セレクション俳人 高野ムツオ
  定価(本体1,300円+税)

  邑書林ホームページ



  句集『陽炎の家』 
 

 『陽炎の家』は1987年7月1日「処女句集シリーズ5.23」として
 牧羊社刊





 帯より   佐藤鬼房

 たとえば、この句集に多く見られる白鳥や鴎が、湖沼・海岸の白の点景
を超え作者の心象として在ること。それに、少年的な感触がまじりあって意
識の流れは澱もなく軽快。しかも、空間的造形の爽やかさを保っている。ま
た、作品の多くには暗愁の翳りが見えるが、湿っぽくはない。それはダイナ
ミックな小宇宙を内蔵しているからだ。



 

  マッチ擦れば発火するはるかな白鳥も


  雨の奥羽に妻も一枚の葉であるか


  夜は聾するほど硝子戸に春の魂


  陽炎の中わあわあとわれの家


  潮騒なり午前一時のコスモスは

 




  序文 

 
 一春の魂一  金子 兜太



  眠る少年たとえば雨期鎌一丁

  危機もなければ少年逆立つ夏来たり

  少年抱けば陽をだく思い逝く夏の

 高野ムツオが大学を卒業したとき、学友の大塚青繭から、なにか一と言
励ます言葉を書けといわれて、かれらの俳句誌に一文を寄せたことがあっ
た。早いもので、あれから十年は過ぎている。

 そのとき私は、高野には励ましの言葉は必要ないと思う、この男は、素朴
で、なかなかにしっかりしていて、表現者の(というよりは表現者たること
を選んだことについての)性根らしいものを掴みはじめているように思える
から、と書いたことを覚えている。そして、これから高野がどういう表現形
式を最終的に選びとるかは分らないが、できることなら短詩形に身を入れて、
珠玉を残してもらいたい、とまで注文をつけたことも思い出す。
勝手な言い分で、たいした根拠があるわけでもないのにこんなことまで書い
てしまったことを、後(あと)で多少は気にしないでもなかったが、どこか
に、高野は短詩形に向いている男だと思い定めているところがあったのだ。

 たしかに、その時期の(そして今でもそうだが)高野は、いっしょに私た
ちの俳句会に現われる学生仲間のなかで、いちばん地味で大人びている印象
だった。俯きがちに低声で話す句への批評も堅実で、あまり直感的な物言い
はしていなかった。それでいて、その批評の端端(はしばし)にも、高野自
身の句作品にも、みずみずしい感応があったから、しっかりというよりは早
熟といったほうがよかったのかもしれない。手をひろげて走りまわるタイプ
ではない。じっくりと型をつくってゆくタイプだ、と私はどこかで思っても
いた。
 その頃の作品を「少年の記」としてまとめているが、(自分という少年)
を直接法で提示している場合もあれば、少年に自分を投影するかたちをとっ
て、間接的に自分を少年に託している場合もある。双方をこだわりなく書き
だして、なかなかに生理的であり、ときに官能的ですらあって、私は高野ム
ツオの青春を感じてやまない。しかし、それだけに終らない頼もしさがあると
思えるのは、どの句にも、程度の差はむろんあるが、メンタルな指向を宿し
ているところがある。意思のみずみずしさといいたい。生理のなまなましさ
以上に、といえるほどに、この男の意思がいつもみずみずしく働いていたの
だ。

 虹を一瞥もどれば妻の黒瞳あり

 闇の花菜目をみひらきて産月へ

 地の骨か銀河明かりに畑みえ

 誕生や夜の水田を白布とし

 学窓を出た高野は、東北は宮城の地で教職に就き、やがて結婚し子供の
誕生を迎えた。
そして俳句にいっそう腰がはいってきた。私の予期した通りの、堅実で意思
的な日常と、その日常に立っての句作の姿勢を固めていったのである。高野
らしいと私は思っていた。
 その頃の作品を「奥羽残花」の小題のもとにまとめているが、その言葉を
盛り込んだ、「奥羽残花わが生加速しっつあり」からも、学窓から実生活へ
の変化を確実に果して、さて、と思い直したときの、かるい充足感のような
ものが受けとれるのである。ときには、「輪ゴム水清く冬の一つの漂着なり」
とわが身のさすらいを詠嘆することもあるが、このほうには大人びた高野の
一面が見えすぎて、したり顔が気になる。やはり、そうではなくて、「加速
しつつあり」と「生」を諸手で受けとめている充足の気息がこの時のもので、
それだから、新婚の妻への想いも、その妻が産月を迎えたときの包むような
いたわりも、吾子生誕への、これも高野らしいといいたくなるような静かな
歓びも、みな活気がある。

どこかに哀韻を宿しっつ、生き生きと息づいている。そして見えはじめてい
る。
<物>の実質への感応が、この男らしくはかの青年たちよりすこし早目に訪
れているように思える。私は「地の骨」の句が好きなのだが、生理や官能の
抒情のなかで親しんでいた言葉の、その底を支えている<物>が見えはじめ
たということは、高野の言葉が深度を加えたということであり、描写の確度
を高めてゆくことでもある。<見る>ということの迫力を体得しはじめたと
いってもよく、その視力のなかに、当然のように、宮城の現実といぅものも
取りこまれはじめていたのだ。

 夜は聾するほど硝子戸に春の魂

 眠れば部屋へ夜の紅葉の大きな手

 冬だ真夜の喉にもしんと青空が

この「黄は急流」の時期、高野は東北の各地を歩いて句を得ている。たとえ
ば、「雨の岩手のシロツメクサはその瞳孔」、「われは秋燕陸前原ノ町過ぎ
て」。東北の現実がますます高野に近づいているような気がする。そこに根
をおろして妻子を得たときから、高野のメンタルな資質は、意識して、と
いってもよいくらいに、その土壌の天然と社会と思想に自分を密着させよう
としていたようだ。だから、現実、さらにその奥の風土のほうも近づ いて
こようというもの。

 これらの句の「春の魂」を、ただ単に春の季節の魂と受けとることはどう
にもできまい。むしろ、言葉は大袈裟だが、<春の東北の魂>といいたい。
「紅葉の大きな手」にも、単なる感覚では処理できないものがある。たまた
ま高野がこの句を得たとき私も同席していたのだが、場所は福島県の吾妻山
腹の古い温泉宿だった。足下の黙深く、紅葉の樹林の上に吾妻、安達太良の
山山が連なっていた。そんなところでないと、「紅葉の大きな手」の実質感
はあり得ないだろう。

 「青空」だってそうだ。この「青空」をいかにも東北のものと受けとる私
の胸中に、その「青空」から渉みでるように、高野の感傷と意思が伝わる。
感傷のなかで意思をますます集約するところが高野らしいのだが、その状態
が「青空」と溶け合っているのだ。

 林檎畑に母が転ぶはみずみずし

 電車ごうごう白鳥行方不明なり

 春碁の専どれもきみしき弾丸か

 高野が季語や最短詩形そのものへの関心を募らせていることも、そうした
経緯と高野の資質から見て当然のことと思われてならない。高野の青春の抒
情が、東北は宮城の地に現実を得、風土をも体感しっつリアリティに具象性
を加えてゆくとき、俳句の<古き艮き資質>をも取り込もうとする意思が生
れてくることに態とらしさがないからである。高野はじっくりとここまでき
た。これからもじっくりとゆけ。




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