小 熊 座 2016  高野ムツオ  (小熊座掲載中)
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     2016年 12月    草の露     高 野 ムツオ


    万物に初物のあり原爆忌

    蟻の眼も暗黒宇宙の一つなり

    沈む桃浮かべる桃も山廬水

    わが全句よりも重たし桃一個

    微風またよけれ後山の秋風は

    後山より秋日千貫背に戻る

    黒葡萄火照りもろとも夜に入る

    秋の蜂一光塵として墓前

    うしろから筋骨拡げ黒揚羽

    富士山の消えたるあたり月見草

    虚空より秋の風鈴また一鈴

    連山を飛び越え来しか捨団扇

    銀河その一端として山廬あり

    秋風や塔婆もビルも天目指し

    画面全面人を呑みたる秋出水

    呻吟の見舞に来たり秋の蠅

    朝露を砦となせり女郎蜘蛛

    ちらめくは魔心なるべし草の露

    芒の翁萩の媼を抱き寄せて

    振り向けば千草の声の他になし



     2016年 11月    
熊 蟬     高 野 ムツオ



    夏の雨その裏側の水族館

    夏灯最期の胸に飾るなら

    夜の驟雨脳天を抜け爪先へ

    刀折れ矢尽きし羽蟻明日へ発つ

    放射能浴びて生き生き梅雨茸

    閻王の慟哭であり熊蟬は

    原爆忌まず鳩が来て雀来て

    何もせぬ原爆の日の腕二本

    足音が足音を生む爆心地



     2016年 10月    
鳥 舞     高 野 ムツオ


    噴水に黒曜石の夜が来る

    向日葵のすべてを蟻は知っている

    死に際の夢は金色夜の蟻

    火盗蛾の一匹として傘畳む

    北限の枇杷北限の詩を産めり

    鳥舞のここより夏の山幾重

    夏神楽うしろの山も動き出す

    縄文の墓石今日も雷を呼ぶ

    遠野とは沼底の町夏霞

    肉喰えば我も魑魅や夏の果

    巨石墓群その全量も梅雨の底

    梅雨夕焼我もおそらく墓帰り

    一瞥をせしのみ梅雨の蓮台野

    鉛筆はちびる他なし梅雨の月

    夏の星坩堝をなせり飢餓の国

    神々も二体一対天の川

    眼力は視力にあらず胡瓜揉

    壁もまた死後の景なり汗引けば

    おおかみの舌より晩夏光無限




     2016年 9月    蓴 菜     高 野 ムツオ


    世界とは何処も果や夏蓬

    麦秋の夕日ごくりと呑むならば

    短夜の舟にて不易流行論

    梅雨の闇モハメド・アリの目が動く

    擦る墨の香も梅雨じめり炎天寺

    白河以北すべて森なり梅雨に入る

    更けてより月光の縄梅雨の川

    七十年生きてようやく梅雨茸

    大脳に未踏の森がありて梅雨

    乾坤の我も一人と毛虫来る

    風音はその奥にあり稲の花

    白波は亡き人の声渡御の湾

    目無魚たちの耳にも祭笛

    土饅頭並びしあたり遠花火

    捕らえれば瑠璃の怒りの瑠璃蜥蜴

    蓴菜や闇より澄めるものはなし

    朝顔は空を向く花神田川

    夢に立つ棄てし句屑も蚊の精も

    自転しており露草がきらめけり




     2016年 8月    蟻の道     高 野 ムツオ


         帰還困難区域
    春
の月除染袋の山の端に

    汚染土は雪解富士より高く盛れ

    溶融の炉心みどりの夜の奥

    練雲雀練るのみ請戸小学校

    うららかに地獄を待てり牧の牛

    白河以北すべて森なり梅雨に入る

    夏雲や牛の眼にある被曝以後

    原子炉も弥勒菩薩も梅雨の闇

    竈火があり夕焼がありし頃

    絮蒲公英耳打ちをして海原へ

    木が揺れる五月の光根に届き

    蚕豆を三粒その後の浮遊感

    緑夜とは巨いなる肺息づけり

    休みたる翼幾枚日焼岩

    あってなきものに血脈やませ吹く

    乾坤の我も一人と毛虫這う

    熱砂その一粒として眠り墜つ

    太陽を目指しておりぬ蟻の道




     2016年 7月    茅 花      高 野 ムツオ


    白河の関の茅花がわが叛旗

    春宵は一刻とんかつは厚切

    永き旅なら自由席子猫連れ

       ( 悼 西山健臣)
    荼毘の火となりても生きよ桜満つ

    骨となる炎立ちたり花の奥

    冥銭にせよと花片三枚

    揺れざるは一枝もなし大桜

    飛べねども翼軋ませ大桜

    踏まれては滲み出すもの花片に

    仏飯として花の山地震の国

    雪形の馬よ胸板駆けて来い

    卵抱く雲雀を思え雨の夜は

    夜ことに白雲を生む代田あり

    山桜とは炎なり雨に冷え

    皐月闇弥勒菩薩の頭中こそ

    一枚の横隔膜として植田

    日高見の陰毛となり蘆戦ぐ

    蠅の翅これから虹に化すところ

    澎湃と若葉熊襲の地も然り



     2016年 6月    堅香子     高 野 ムツオ


    せりなずなごぎょうはこべら放射能

    笹鳴は六道輪廻する火花

    人影の影のみ過ぎぬ春の昼

    見えぬ壁ありて初蝶上りゆく

    初音のたび眼が開く水の中

    白梅の蘂が見え出す昼の酒

    生死に損ねなどなし梅の花

    浅蜊吐くこれも津波の砂なりと

    慟哭がここにありしと踊子草

    隆隆と和布蕪三月十一日

    桜餅津波のごとき舌をもて

    堅香子の花顕ちたるは土の精

    堅香子の花消えたるは水の精

    踏むたびに眥裂きて犬ふぐり

    ブランコの少女たちまち一華燭

    ビルにぶつかり胸にぶつかり春疾風

    春の夜の炉心溶融しては夢死

    波という波は怒髪や春の暮

    起上がり小法師沖より春の夜

    帰還困難区域天国雲雀の巣

    今頃は月光杯ぞ雲雀の巣

    野面その頬骨にあり雲雀の巣

    末黒野に永遠に遅れし如く立つ

    異界とは人界なりき朧月

    骨が炎となるは束の間春の雨

    指させば夕星生れし頃ありき

    カ ーテンが引かれ此の世の春燈

    われ知らぬわが胸の底春霙



     2016年 5月    夜の野火     高 野 ムツオ



    送り出す心臓ありて雪解水

    父母兄弟父にあらざり蕗の薹

    臘梅や攫われて今戻りしと

    耳ありて傾ぐ大福春の夜

    冥婚の果の明滅春の星

    人間に翼なけれど春日影

    寒潮に乗り来し巫女か島椿

    腐爛する途中の快楽落椿


    
   菅原鬨也
    父に会うため立春の野火となる

    残生は元よりあらず夜の野火

      
松本笹枝
    吊るしたる喪服に春日翼なす

    霾や瓦礫に立つは詩の神か

    瓦礫にも上げたき拳あり黄砂

    雛眠る帰還困難区域にも

    生者こそ行方不明や野のすみれ

    原子炉は直立土筆達斜め

    原子炉は寂しい女陰春の雨

    眼が疼くかの三月の雪刺さり

    見上げたる我も蛟龍春の月




     2016年 4月    夜の雪     高 野 ムツオ


    これ終の姿と鶴が羽根ひらく

    白寿などとうに超えしと鶴の声

    争える鶴が望遠鏡の中

    鶴万羽数えて人も滅ぶなり

    鶴は直線雁は曲線無辺より

    白鳥の声や一日が夕映える

    白鳥の泥中模索の嘴思え

    白鳥の声人の世の永からず

    狼の背に乗り嬉々と草虱

    巣の鷺の顱頂も雪積む頃か

    凍裂の木となり土方巽待つ

    生還は日常の些事寒雀

    上げるため顔はあるなり夜の雪

    戦争や葱いっせいに匂い出す

    産声か阿修羅の声か虎落笛

    全身をたましいとして蛇眠る

    銀杏の木これは凍れる罔象女

    臍の緒へ続く山道風花す

    風花はのけぞり受けよ大口で

    弟のぎょろ目も老いぬ又雪か

    鳰鳥も夕日も潜りたるままに

    冬の虹この世もとより虫のもの

    原子炉と眠れる億の虫の息

    いつの世の小鬼か炭がまた跳ねる

    詩は怒り以て作れと寒月光

    また戦火あり寒星が瞬けり

    星雲も下水の渦も冬深し

    流氷来マキリが骨を砕くとき




     2016年 3月    微 笑     高 野 ムツオ


    紅玉や色も光もまつろわず

    電球の温み林檎の芯にあり

    空爆や冬青空が疼き出す

    夜空その一枚であり熊の皮

    襤褸着より埃と冬日無尽蔵

    雪暗や雀百羽の眼の中も

    冬晴や五臓六腑の隅々へ


    おにぎりの中の梅干冬日和

    木枯やまた光り出す鯛の骨

    子に踏まれ即ち散華初氷

    鎌切の卵嚢が核雪しまき

    転げても落葉に帰るところなし

    桃の木の薄くれないに凍てて立つ

    骨壺へ納まるごとし冬没日

    人よりも人影巨大牡丹鍋

    歳晩や土鍋を包む火の色も

    訪えば霜を鎧いて父の墓

    極月の緞帳として空青し

    お降りや仮設長屋に原子炉に

    放射能降る国なれど芹薺

    蘆原の雀の国もお元日

    水洟のわが尸童の御慶かな

    どんど火の跡黒々と五欲あり

    土中こそ声あふれおり福寿草

    雪晴やこれが私と吾妻山

    老母の微笑恐ろし雪の夜

    冬眠の蟻の頭中も一宇宙

    こちこちとこちこちこちと寒の星

    わが墓標なり凍裂の岳樺




     2016年 2月    片 翅     高 野 ムツオ


      栃木・室の八嶋三句
    大鯉が頭を突き出せり神の留守

    大物主命を招く鵯の声

    水琴窟あり秋天のどん底に

         宇和島・吉田町七句
    何処より転げて来たる青蜜柑

    わが裏山蜜柑を剥くと風騒ぐ

    蜜柑山より産道のごとく道

    朝は鵯夜は猪のもの蜜柑山

    蜜柑箱の中の一個や我未だ

    地より湧き天へあふれる亥の子唄

    潮の匂い夢の匂いや亥の子唄


    木枯を聞くなら土管膝抱え

    老境にも襞奥のあり帰り花

    刻まれていよいよ海鼠銀河色

    アテルイの心臓はどれ冬の星

    子に踏まれ即ち散華初氷

    汚染土も帰るべき土霜の花

    福島は蝶の片翅霜の夜

    大根漬噛む音墓の中からも

    地震津波あれども楽土落葉渦




     2016年 1月    轍     高 野 ムツオ


    日高見や片目片足片葉の蘆

    秋風は奥歯に沁みる死後もまた

    秋草に津波の記憶あり揺れる

    秋天やこの世に鍵の穴幾つ

    海底も地底も見えて来る良夜

    龍の尾のごとく野分の残りおり

    星燃える音が聞こえる焼秋刀魚

    原子炉を今日も秋日が包む頃

    轍すら残らぬ時代鳥渡る

    ことごとく蝦夷の心臓なり通草

    天米沢にてに棘向けて五加木は冬に入る

    蕎麦の実や盆地の雲は綺羅をなし

    饑餓ありし日の色であり蓼の花

    米沢琉球紬の端切れ雪を呼ぶ

    木枯老人軽トラックで降臨す

    草木塔落葉の他は寄せつけず

    置賜の落葉の音がわが土産

    転げても落葉に帰るところなし

    楢山はいずれも子宮雪を待つ





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