春の虹 大森知子 槐書房 平成16年5月刊
序に代えて 高野ムツオ/跋 大木孝子
序に代えて 高野ムツオ
穏やかに広がる海原をまぶしみながら、目を瞑ると、松籟に乗って縄文の人々の漁りの声が聞こえくる。句集『春の虹』の著者大森知子さんがお住まいの奥松島は、みちのくの暗いイメージとはかけ離れた、大らかな古代の息吹が今に残っているところである。
足島の三里のあたり蜃気楼
そこは浅海に小さな島々が点在し、背後には低山が連なる。今でも雪はほとんど降らないが、気温が数度高かった縄文時代には、温暖で自然の恵み豊かな、まさに古代のユートピアであったにちがいない。生まれも、このみちのくの同じ海沿いである大森さんの詩心はそうした穏やかで平和的な風土の中で育まれた。初期の
衣擦れの音見上ぐれば冬鴎
の音感のよろしさや
紅型の藍さながらに色鳥来
の句の色彩感覚は、その証左といっていい。そうした大森さんが俳句形式と出会い、自然と語らい、言葉の不可思議な力を体得してゆくうちに、おそらくは無意識のうちなのであろうが、いつしかその発想にも縄文的なアニミズム性を身につけ始めるのである。
海上の見えざるものへ朝焚火
たとえば、貝塚が単なるゴミ捨て場から次第に自然の恵みに感謝し、命
あったものたちへの再生の願いと鎮魂の聖なる場として存在していったように、何もないはずの海の果てが、祖霊の魂の行き着く場として意識されてくるのだ。
大森さんは日常の立ち居振る舞いも湾内の漣のように実に控えめな人。だが、その奥に秘めた思いが風土と一体化するとき、次のような純度の高い佳句として結晶するのである。
涙袋のやうな一湾冬すみれ
火の鳥となるまで歩く初渚
つれづれの春の指に富士壺が
わが柩シホカラトンボに擔がせむ
壺に鶴首われに乳房や夜の秋
海彦の頬杖が見ゆ霜の照
虹の根に紛れて母を待つとせむ
ことに亡き師や亡き母への追悼の思い濃い終盤部はしたたかな読み応えがあるといえよう。
蕪辞を連ねただけになってしまったが、春の虹の先に大森知子の俳句世界がさらに闊達に展開されることを期待して筆を置きたい。
20句
相濡るる貝塚島と春の虹
月下美人睡魔に射られたる人と
ブーメラン弘法麦に紛れこむ
釜臥山長命髭の氷柱なり
顎痒き赤子をなだむ夕牡丹
船蟲を追ふとき銀河崩れだす
陽炎の黒衣なりけり傘貝島
眩ゆさの花種蒔けり娘は母に
暮れぎはの水子のゆくへ青杏
短夜の星に濡れたり羅針盤
白魚火や花魁島を近うせり
大木孝子氏と室浜に宿りて
秋深めつつ湯晒しのこゑ二つ
うすうすと牡蠣肥りゆく潜浦
晒し飴のやうな雪客降り来たり
雪客=白鷺
母の忌やにんじん花のやうに煮る
海底の蝦蛄誘ひだす手風琴
強地震を抜けん花魁草を抱き
印度カレーに蕎麦付いてくる漱石忌
遠雪嶺父の箴言ほろ苦し
鬼房のベレーを捜せ冬鴎
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