増田陽一句集「フアーブルの机」
  
                         



                   



    ふらんす堂刊(2005年1月22日発行)
     目 次
     第T章     
     第U章    
     跋 高野ムツオ
     あとがき



自選10句

子兎に歯の生えかかる春の闇

日蝕や鶯のふと生臭き

昔日の塩粒粗し麦の秋

夏の宿題バオバブと象の相違点

新涼やミイラが函を出入りする

珊瑚海海戦在りし夜の蝉

地下鉄はや深みに走り星祭

初雪の蔵王を見しか兎の目

黒猫の尾に骨のありリルケの忌

コロナ見ゆるか冬日に翳すフライパン





 増田陽一の句集跋文の依頼を気軽に引き受けてしまってから、ずいぶんと時が経ってしまった。書けなかった理由を多忙のせいにしてはいたが、実は理由はそれだけではない。句集の草稿に目を通していくと、そこには、増田陽一のそれまでの印象を遥かに凌駕する広く多様な世界が展開されていて、狭い見識の持ち合わせしかない者には、その魅力に十分触れることができないのではないかと、逡巡していたからである。

 増田陽一が、国際的な評価を得ている著名な版画家で、蝶の収集家でもあるという程度のことは、もちろん承知していた。かつて増田さんの絵に文章を寄せられた仏文学者で日本昆虫協会会長の奥本大三郎氏に拠れば、人間は視覚型と聴覚型に分けられ、昆虫採集家と美術家はほとんど視覚型に分類されるのだそうだ。だから、両面を備えている増田さんは当然視覚型で、俳句もその鍛えられた美を発見する眼力の行き届いた世界であろうとは思っていた。だが、その眼力は、単なる視覚世界を超え、時空を超えて働くものであった。美術家の余技ぐらいに思っていたのが間違いで、それは、俳句という器への私の過小評価であったともいえよう。

 増田さんが、俳句を始めたきっかけは、偶々知人宅で句会の席をともにしたことにある。たしかに、最初は、これも持ち前の好奇心で始めたことには違いないが、ほどなく、この詩形の力というものの一端を感知したのである。

 例えば

千年の冬霧を吸ふ都かな

という句がある。俳句を始めてまもなく「暖流」に投句をするようになってからまとめた「トルコ周遊紀行」と題した三十句の中の作品。「首都アンカラ」という前書きがあるように、アンカラを眼にしながら、古代に思いをいたしている句だ。いわば、属目の句なのだが、俳句形式が持つ想像喚起力は、眼前に広がる風景に「千年」という時間意識を一つ取り入れるだけで、その千年の時間の壁を取り払い、現在只今の近代都市と古代のローマ都市としての「アンギュリ」を重層世界として、十七音の中に見事に立ち上げているのである。私の勝手な想像に過ぎないのだが、この句を成したとき、増田さんは俳句形式の力というものを、身を以て味わったに相違ない。

 かつて、空襲警報のさなか、畑の畝に身を伏せながらも、光を曳いて飛ぶ螢に眼を凝らし、防空壕を掘るついでに見つけた熊蝉の飼育に夢中になった貪欲な好奇心は、おそらく、同じような蠱惑的な魅力を、言葉に、そして、俳句という器に感じ取ったともいえよう。

貝寄風や触手あるもの抗へり

春塵や裾ひろげたるユーラシア

初期の作品からの抽出だが、ここにはさまざまな天然事象との交感から出発しながら、想像力を縦横に展開している作者の姿が見える。一句目は貝寄風のやわらかな感触からの連想だろうか。海底のさまざまな無脊椎動物たちの、ひたすらの生が見え、二句目からは、まるで宇宙船からの俯瞰でもあるかのような広大なユーラシア大陸が見える。見えたのは春塵の一瞬の隙だというのも諧謔味十分だ。

 かくて増田陽一は、その優しそうな眼をますます細めながら、言葉の形象力が備えている不可視のものを可視とする力に、蝶を採集する少年と同じように胸をときめかせ続けたのである。

羽根折れし鳥のかたちに夏の沼

七夕や背中にさはる銀河系

宵闇のうすきところに象のゐる

馬追や闇の映りし道路鏡

始祖鳥の埋まる砂漠春の闇

 これらにも、そうした言葉で「見る」ことの面白さを発見した画家の姿がある。

 増田さんの版画の魅力は、私などの理解の範囲を超えるものだが、挿絵にもあるように、コンパスで無数に刻みつけられた同心円の波動が、さまざまな形象を生み出し、そこに蝶や花や人体の一部とおぼしきものたちが、無限に踊り、歌い、交歓しあっている世界のように私には感じられる。無機質の抽象が、命の原初的な姿を生み出している世界なのである。そこには、

春寒のメートル原器思ひをり

の句と同じく、いかに複雑怪奇な物象であっても、すべて、単純な曲線や直線に帰すものであり、一本の線が、あらゆる形象の始原であるとの思いが籠められているように思われる。

春逝くと平面の猫通りけり

晴天の稲妻曲る皿の上

早稲の田の渦巻き倒れ海遠し

密室に滝の垂直想ひをり

翔び来てはすぐ骨となる冬の鷺

などの句は、そうした抽象と具象のせめぎ合いの中で新しい形象を生み出す感覚的修練を長年積み上げた人でなければ創造できない独自の俳句世界といっていい。

神棚の一枚板や冬怒濤

新涼や皮膚一枚の象麒麟

 この二句は、その最も顕著な現れ方の好例。前者には直線の、後者には曲線の、本質的な一つの在り方が具現されているのではないか。

 ここまで、著者増田陽一の作品の特質を、画家としての氏のもう一つの面を交えながら述べてきたが、句集『ファーブルの机』の魅力は、これだけに尽きるものではない。例えば画家として、蝶収集家として世界を飛び回った、グローバルで多彩な美の世界やさまざまな昆虫たちへの愛に溢れた世界も展開されている。それらは私が駄文を弄するより、この句集を手に取る人が、直に味わうべきだろう。私は終尾に、この五感と時空の美術館ともいえる句集から、私好みの珠玉をいくつか取り出し陳列して、筆を置くことにしたい。

わが秋の動物園に出口なし

伊良湖岬に集中せよと秋の声

彗星の大氷塊や桜の夜

沖の手蔓縺と夏の海戦記

アウシュビッツに入る廃線や昼の虫

寒星のうち幾つかは機械なり

ひと死して風景は在り朝曇

親指を飛び越えてゆく夏兎

胸中に蜻?のめぐる薄闇あり

首都は迷路菊戴も連雀も

 

  平成十六年霜月                       高野ムツオ







あとがき

句集の題名にした「ファーブルの机」は、『昆虫記』の中でファーブルが愛措をこめて書いている小さい古机です。忘れがたい一章なので、敢えて拙句集の題名にさせていただきました。

ある夏のはじめ、旧知の齋藤嘉久氏のうちへ遊びに行ったら丁度句会をやっていて、混じってやってみたのが縁で瀧春一主宰の「暖流」に投句するようになりました。瀧先生が亡くなり「暖流」が解散になってから、以前から私淑していた佐藤鬼房主宰の「小熊座」に入り、鬼房先生の指導を頂きました。

「小熊座」の高野ムツオ主宰には御多忙の中で選句をお願いし、また身に余る跋文を頂きました。また常々「雷魚」でご教示を頂く八田木枯氏に栞を書いて頂きました。ともに有難く御礼申し上げます。

 
  

平成十六年十月                         増田陽一 


  



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 栞 (極光のごとく)― 八田木枯 著者略歴

 1930年、大阪市生まれ。父母の地は和歌山県日高郡

 俳句誌「小熊座」「雷魚」同人。現代俳句協会会員。

 国画会会員

 日本蝶類学会・日本昆虫協会会員