句  集 高山れおなウルトラ



  
句集「ウルトラ」
高山れおな 

沖積舎
03−3291−5891
定価 3000円



    

高山れおな  たかやま・れおな

略歴

昭和43年7月7日  茨城県日立市生
早稲田大学政治経済学部政治学科卒
平成5年より、同人誌「豈」に参加
第一句集「ウルトラ」 平成10年 沖積舎刊
平成11年、同句集によりスエーデン賞受賞
第二句集「荒東雑詩」 平成17年刊  沖積舎



 
   『帯』多田道太郎

  涙のやうに少年泳ぐ近江かな

 涙を流しつつ「少年」が泳いでいるのかな。それとも「近江」の琵琶湖は人や人魚の魚の涙がたまりにたまってできたものなのかな。ま、ともかく少年時代のぼく、始めて泳いだのは近江舞子でした。


  夏痩せて京より海の見ゆるかな

 いくら山が夏痩せしてもまさか京から海は見えませんよ。高層ビルの
屋上から試してごらん。見えるのはまぼろしの光の海。



   高山れおな句集 ウルトラ 『栞』

俳句への馳走    池田澄子

  七生(しちしやう)の母へ馳走の火事明り

  日の春をさすがいづこも野は厠

 高山れおなは、私の最も若い友人である。自序句「七生の」で、既に私は年齢の差を忘れてしまった。「七生の母」には驚かないけれど、「馳走の火事明り」に降参した。
「日の春を」は巻頭の句。この「日」の光をいただいた野の明るさ、なつかしさ。男ならでは書けない晴れ晴れしさ。「さすが」とは、こういう場面のためにあったのである。「さすがに鶴の歩み哉」が、十四歳で芭蕉の門に入ったという其角の何歳の作であるか、今、私は知らないが、それ以上に「さすが」が流石に思われる。風雅を俗へ引き寄せたパロディーでありながら、俗がなんと、おおらかに上品に詠われていることか。
 読者は、片仮名の句集名に惑わされて、若書きの生々しさや抒情を期待すると驚かされることになる。集名の由来は後記に記されることであろうが、ふてぶてしいまでの、彼の書くことの意味がそこに知れる筈である。「草の戸にわれは蓼(たで)くふほたる哉 其角」を「序」として戴いたのは、無用をこそ佳しとする覚悟であって、社会的にも有能と想像される好青年・高山れおなが、あたら若き日を、<言葉>を選ぶことで遊び尽くそう、堕ち尽くそうとする目出度さを祝ってよいものやら、友人として心配と戸惑いがなくはない。
 ともあれ、「危所に遊ぶ」ことで芭蕉をして「門人に其角・嵐雪あり」と言わしめた其角の一句を序に戴いた心意気、『ウルトラ』によって、高山れおなは二十歳代を締め括った。
 第一句集、三百十三句は、やや緩選と見る向きもあろうけれど、二十歳そこそこの頃の我が句への愛着も亦、分かるというものだ。

 博識を活かした其角さながら、ここには古句はもとより、多くの東西の神話、説話、史話、故事成語などが、それとなく沈殿し、時に、それらしく流れていることを誰もが直ぐに感じとるだろう。

  極楽へ葱売りにゆく静かきよ

 には、「夢の世に葱を作りて寂しさよ」の故・耕衣翁、慌てて葱を掘りに戻られるかも。このような、挨拶もしくはパロディーだけでなく、古人や故事に彼は触発される。それを食べてしまう。食べたものは彼自身になる。人は一人では生きられないと誰もが思っているだろうけれど、この人にとっての他者は見事に数知れず多い。なにしろ「薔薇贈る六道輪廻のとある日に」なのだから、挨拶を交わすべき知人が多いのである。
 人が人と共に生きるということは、文化を受け継ぎ共有すること。古人を呼び込む遊びが、更に次の人々に、呼び込む遊びを与えることになったら嬉しい。そのことが、時空を往き来して漂う言霊への挨拶ということになろうか。

  離陸するどの窓も貌(かほ)実朝忌

  白息の巣となる肉や空也の忌

 忌日を取合わせた句である。「実朝」の渡宋の企てが、作らせた船の進水失敗によって果たせなかったことを思い重ねると、上旬が(「どの恋も貌」の表現は少々こなれが悪いように私は思うけれど)、やにわに不吉なものに思われてくる。二旬日の「空也忌」は陰暦十一月十三日。息の白くなる季節。六波羅蜜寺にある空也上
人像が、白息ならぬ六体の小さな仏を、口からポポポと吐いていることを思うと愉快である。逆に言えば空也は仏の巣であったことになる。

   京洛(けいらく)や明るきは火事または加持

のとぼけた語呂合わせは、天災人災はたまた呪詛への怯えを抱いてはらはらと生きる人々の暮らしの哀れと健気を見せるという具合である。

  芭蕉けふは女なりけり春怒涛

 この句、集中取り立てて佳句という訳ではない。初見は『豈』の句会で、「けふは女」は男色のことかと話が弾んだ。作者は、詩心とは究極的に女性的なものではないかと考えているという。生きるために猟をし産し、実利を稼ぐ前向きの姿勢を雄々しさとすれば、あぁかこうかと重箱の隅をつつき、時に淫らに妄想逞しくし、生活の役に立たなければ立
たないほど純粋に詩であるとする誇りと後めたさ。それを知る彼を私は信用する。各句への私見を述べたくなるけれど、わが愛しき(れおな俳句) の一部を列記する。

  まぼろしの大河を前の御慶かな

  桜鯛のやうに食ほれてみたきかな

  水貝や知人の愛のおそろしき

  手花火の君は地球の女なり

  駅前の蚯蚓(みみず)鳴くこと市史にあり

  幾人のわれもて埋めむ秋の湖(うみ)

  渡るべき海の昏さよ秋燕

  神は旅にわれは鰈をうらがへす

  墨東に絵の餅を焼く絵の火かな

  陽の裏の光いづこへ浮寝鳥

  曲学し阿世し下痢し冬帽子

  主上御謀(しゆじやうごむほん)のごとくに冬の虹

  短夜は極楽からの電話鳴る

「序」として其角の句と並べ置かれた「糸電話古人の秋につながりぬ」の故・撮津幸彦からの、第一句集開板を祝う電話が鳴っているのだろう。『ウルトラ』の序文あるいは栞を書けなかったことの、詫びの電話かもしれない。
                         
                                                     六月七日



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