雫する花    鈴木 慶子

   雫する花  鈴木慶子 第二句集

    跋に代えて 高野ムツオ

「生死の境をさまよい何度目かの敵機の編隊をやり過ごし、これで助かった、と思ったのも束の間、空を圧し淀川の河口を堂々と遡ってくる、最後の編隊が爆撃を開始、空気を切るザッザーっと凄まじい爆弾の落下音を身近に聞いたのと、足を負傷した男の人に“危ない、伏せ”と言われ堤防の石垣に身を伏せたのと、一瞬のことで、烈しい衝撃が体に伝わり、キューンと身が縮まったのと同時にぷっつりと意識の糸が切れて終った」

                      鈴木慶子手記「私の戦争と平和」より

 

冒頭からの引用だが、これが本句集の著者鈴木慶子さんが、以後三十年に及ぶベッド生活とその後現在に至るまで車椅子の生活を送らねばならなくなった、その始まりの一節である。昭和二十年六月一日午前十時過ぎ、著者十四歳、のちに第二回大阪大空襲と呼ばれる、その歴史的事実の一場面である。

 

 蹇(あしなへ)の吾が名慶子や草の花

 

そして、彼女はその日から、想像を絶する苦痛のなか、生死の極限をさまよいながらも、強靭な生命力と精神力で今日まで生き抜いてきたのだ。俳句は、そうした生の支えとして、かたわらにいつもあった。第一句集『晩祷』の略歴によれば、昭和三十年からの作句だが、俳句が彼女にとってどんな存在であったか。それは、何の苦難も味わうことなく凡々と生きてきた私などの想像が及ぶところではない。私は、ただ杉本雷造氏に倣って<私にとって俳句とは祈りである>という本人の言葉を紹介するだけにとどめておこうと思う。

 私は、小熊座創刊まもなくより、鈴木慶子さんと俳句の研鑽をともにしてきたが、今まで一度もお目にかかったことはない。何度か電話で話をしたのみである。初めて電話をしたのは、いつだったか、これも定かではないのだが、その時の予想外の弾むような声を、今でも生き生きと思い起こすことができる。遠く離れ住んでいて、初めて言葉を交わす、その高揚感ゆえとはいえ、車椅子という不遇の生活を強いられている人とは思えない張りのある声に私は圧倒され気味であった。そして、話をしているうちに、しだいに私は私の先入観の浅薄さに気づかされたのである。なぜなら、こうした明るく健康的な声と心の持ち主であったからこそ、これまでの不遇に打ち克つことができたのであり、不遇を超えて生きてきた強さそのものが、明るく弾むような声を育んだのであるからだ。

 

  車椅子の靴縫ふことも花明かり

  涅槃図に侍りて猫と車椅子

  露けさのわが車椅子天翔けよ

 

 俳句を私小説と言ったのは石田波郷だが、それは俳句文芸の特殊性を指摘したのであって、けっして、私的生活の如何が、その人の俳句の価値を左右するということではない。俳句はあくまで独立した詩型であって、その内実にのみ詩としての価値があるのはいうまでもないことだ。しかし、その人の生きてきた軌跡が、作品世界をより豊饒なものにするということは否定できない事実だ。それは堅牢に組まれた言葉と言葉の岩の間を割ってにじみ出る滴りのようなものだ。車椅子がわが肉体とわかちがたく存在する生活があって、初めて掲句のような世界が生れるのである。

  人体は光に乏しさくらの夜

  青水無月われに吐く糸なけれども

  そよぐものばかり吊るして星祭る

 これらの句の発想にも同様のことがいえるだろう。作者は、ただ感ずるままを率直に十七音に乗せただけというかもしれない。しかし、満開の桜のほのかな光に満ちる夜、体の奥底にも同様の光を追い求め、山野に光と緑あふれる青水無月、蝶になるために繭籠る蛹を夢見る姿は、それが、ついに叶うはずのない渇仰であるだけに、句のもっとも深いところで、作者のあふれるばかりの悲しみと出会ってしまうのである。星祭りの夜に吊るされるのは、当然、願事に満ちた短冊だが、それはただ風にそよぐだけで、永遠に夜空を飛ぶことはないのである。

 しかし、こうした抑制の効いた、希求やまない暗く深い情念の表現にこそ、私は鈴木慶子さんのポエジーの本領があると指摘したい。不自由であるものの自由希求の思いは、自由であるものの自由の実感をはるか凌駕するのだ。そして、その自由希求が生み出す想像力は、次のような作品の創造をも可能にする。

 

  霜天の化鳥となりて存へむ

  遺影へと桜の闇を行きつきぬ

  沖に出て空へ漕ぎだす雛かな

 私は、これらの作品に言葉の力の不思議といったものさえ感じるのである。

 最後に、集中他に紛れることのない珠玉のいくつかを掲げ、あわせて鈴木慶子さんの益々の御加餐を祈り、蕪辞の締めとさせて頂くことにしたい。

  あぢさゐは雫する花被爆の日

  羽抜鶏こつんと夕日つきあたる

  海猫暮れて幼霊こぞる野水仙

  われは鴎空喪ひし八月の

  晩年に入る弾創も白梅も

  死に水は天からのもの蛍ぶくろ

  生れるも死ぬるも水の晩夏光

  草の根に雨ゆきわたる原爆忌

  稲光り眉間割れなば夜叉となる

  真葛原死後晩鐘を打ち鳴らす

  今も在る遅日の杖とベレー帽

  衣更へて多佳子の怒濤見にゆきぬ

  鬼房亡し畳に蟻の来てをりぬ 





表紙へ戻る    インデックスへ戻る

角川書店刊(平成16年8月20日発行) 定価3,150円

著者略歴  大阪生まれ
      現在「小熊座」「頂点」同人、現代俳句協会会員