小 熊 座 俳誌 小熊座
高野ムツオ 佐藤鬼房 俳誌・小熊座 句集銀河星雲  小熊座行事 お知らせ リンク TOPへ
 

 小熊座・月刊

俳句時評

2025.vol.41 no.487

同質性の影 ― 満映と満洲俳句の構造

小田島 渚

四方田犬彦『日本映画史一一〇年』を読んでいると、ひとつの断層が口を開く。昭和初期の映画史は、国家がいかに映像を支配し、夢の形をも徴用したかを示す負の脈動で満ちている。「満州映画協会」(満映)は、その暗部がもっとも凝縮した場所だった。日本の外に作られた傀儡国家・満州国(1932-45)は、映画を満州人への教化と宣伝のために整備し、一見夢を供給する装置に仕立て上げた。その夢を組織したのが甘粕正彦である。

甘粕といえば、大正十二年の甘粕事件で悪名を残した人物だ。関東大震災の混乱のさなか、大杉栄と伊藤野枝、そして甥の橘宗一を殺害した憲兵大尉。アナキズムの旗手を潰した暴力は、思想の未来そのものを抹消しようとしたかのようだった。後年、軍法会議での証言と死因鑑定書の齟齬が取り沙汰され、甘粕が軍の隠れ蓑とされた可能性も指摘されているが、その甘粕がのちに満州国に渡り、映画人として君臨し、満映の理事長に収まった。国家の殺戮と虚構、暴力と夢。両極を一身に引き受けた生涯である。

伊藤野枝の生涯は、先ごろNHK・BSドラマ「風よあらしよ」で鮮やかに甦った。吉高由里子が演じた伊藤は、『青鞜』を足掛かりに言葉と行為を全身で生き、女性解放と自由恋愛を貫いた。だがその奔放さを時代は許さず、最期は甘粕の手によって断たれる。

映画「ラストエンペラー」にも坂本龍一が扮する甘粕が登場する。清朝最後の皇帝溥儀の生涯を描いたこの作品は、世界的に知られる名作となった。ベルトルッチは溥儀の波乱に満ちた人生を重厚な映像美に彩り、ラストシーンでは紫禁城の玉座に消えてゆく元皇帝を映す。その半生の一部には、満州国皇帝としての歳月が挟まれている。虚構と現実のあわいに存在した国家。その夢を支えたのが映画であり、そして甘粕だった。

私が通勤で通る仙台市中心部にある北三番丁は甘粕の出生地である。ただそれだけのことなのだが、この日常の地続きに、満州国、日本の加害の歴史が今も生々しく繋がっているように思う。「満映」は明確に国策として組織されたことから、日本映画史ではタブー視される存在でもある。しかし『幻のキネマ 満映』の著者山口猛は、その闇を指摘しつつも、満映は芸術性と無縁ではなく、人脈や技術は戦後の東映へと引き継がれていったと功罪を語る。その山口もまた仙台出身のフリーライターである。

映画と同様に、満州国における俳句史は長い間、俳句史から黙殺されてきた。山口誓子は、句集名を満州国国旗である『黄旗』(1935)とし、昭和九年満州朝鮮への出張での俳句〈映画見て毛皮脱ぐことなき人等〉など約二百句を連ねた。そこには、理想郷の幻想に惑わされず現実に向き合う誓子の姿勢が感じられるものの、満州俳壇そのものは見えてこない。高屋窓秋は、昭和十三年から終戦まで満州電話電信会社新京放送局勤務となり、『俳句満州』の事務局長となったがむしろ満州を語らない。その沈黙は、語ることの困難そのものを体現していたかのようである。この空白に光を当てたのが、西田もとつぐ『満洲俳句 須臾の光芒』である。

第三章「キメラの国の俳句―中国東北部(旧満洲国)俳句史序論―」は、満州俳壇の概略とともに、その成立事情を鋭く示す。西田は「俳句の場合にはその詩形の特殊性と言語的な隔壁のために現地人の参加の痕跡は見られず、満州俳句界はまさに日本俳壇の縮図の様相を示していた」と述べる。詩形の形式性が日本語話者の共同体を強固にし、結果として他者を排除する構造を内包していたことが分かる。また「一般の日本人はコロニーを形成していた…ほとんど日本人は現地人と隔離した社会で生活していた」という生活実態は「王道楽土・五族協和」を掲げながら、他者との共生よりも、同質性の維持が優先されていることを示す。国家が映画を夢の媒体として用いたように、俳句もまた言葉によってその夢を支えていたのである。俳句は「日本人のための日本的詩形」として、矛盾を孕む異郷の地で再び「日本」を作り直す装置となった。

満州における思想統制は内地の日本文学報国会設立に先立って始まった。そのなかで、西田が指摘するように自由律俳句は「古典古格を尊重し自由律を排除する傾向が強まっていた」。一九二〇年代より大連を中心に河東碧梧桐による自由律俳句派が展開していたが、この統制の高まりのなかで衰退を余儀なくされる。一方、高浜虚子来遊を機に創刊された、『ホトトギス』の海外僚誌『平原』(1929‐ 41)は、内地の著名同人を選者とし、広域から投句を受けながら一四三号まで続いた。その後、俳誌統合のため『鶉』に合併されるが、その投句欄には無季俳句もわずかながら許容されている。満州の自由な気風によるものか、僅かでも多様性が姿を保っていたことに慰められる。

今日の無記名句会は属性を不問にするが、そこにはすでに「日本語であること」が前提として静かに組み込まれている。満州での「言葉の障壁」は現地人と日本人のあいだに自然に立ち上がったものではなく、むしろ都合のよい線引きとして利用された側面を持つ。表現の自由を縛るものは戦時の外圧だけではない。内部から働く同調の力こそ、より深く静かに人の言葉を統制してきたのではないか。

四方田は、一九二〇年代後半と六〇年代を「世界の文化が時を同じくして前衛的なもの、実験的なものに躍動していた時代」と述べながら、二〇年代を滅ぼしたのがファシズムであり、六〇年代を滅ぼしたのは「高度に組織化された消費社会」であったとする。消費社会とは、私たち自身の合意によって立ち上がった社会である。つまり、私たちの無意識の行為は、ファシズムと同じ構造の暴力性を帯びうるのである。

これが「正しい俳句」であるという思い込みが、無批判に「伝統」と結びつくとき、それは権力の斧となって振り下ろされる。十月号時評で私は「私たちであること」がレジスタンスになり得ると書いた。しかし、その「私たち」はまた独裁的な私たちにもなり得る。現代に振り下ろされる斧は、もはや独裁者ではなく、私たち自身によって握られている。言葉を誰が所有するのか。その問いは、俳句もまた逃れ得ぬ現在の問題なのである。

                    パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
                copyright(C) kogumaza All rights reserved