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 小熊座・月刊

俳句時評

2025.vol.41 no.486

我らは何を戴くか

樫本 由貴

『俳句界』八月号が終戦日特集を組み、永田浩三氏が「著書を語る」の中で、『原爆と俳句』に言及していたのが目に留まった。

『原爆と俳句』にも書いていたが、永田氏は文中で、かつて『句集広島』を広島のアカデミイ書店で一万円で購入したという。だが『句集広島』というだけではこの値付けはあり得ないので、氏の記憶違いと思われる。というのも、『句集広島』は広島県内の大学図書館を含めた複数の図書館に蔵書があり、二〇〇五年に廻廊俳句会が再刊してもいる。今から一〇年前に学部生だった私は(つまり永田氏とほぼ同時期に)二~三〇〇〇円前後で買った記憶があるし、通販サイト「日本の古本屋」には、八月二七日時点で、アカデミイ書店が三〇〇〇円で出品している※。もし仮に永田氏の証言が本当なら、例えば編集委員の蔵書だったとか、書き込みがあるとか、付加価値があるのではないか。

ちなみに『原爆と俳句』は、原民喜の連作「原子爆弾」の数を二三句としているが(八二頁)、これは全集のレイアウトによる誤認である。この連作は芳賀書店版の『原民喜全集』の「自筆ノート」を底本にした二〇句であり、氏が取り上げている〈山近く空はり裂けず山近く〉の句は、山本健吉が「幻の花を追う人」(初出は『文学界』一九五五・九、『原民喜全集』第二巻に所収)で大正期の作と指摘している。この句は原爆と関連しない。この句は「杞憂」と号した原民喜の作家性を顕著に示す句で、原爆の存在はここにはない。筆者はすでに論文でこれを指摘している(『社会文学』第五六号に掲載)。

数年前に『句集広島』が編集委員の宅から見つかって以降、俳壇はこれをさも特別なものと扱っているが、原爆句集を「手が届かない本」と印象付けて何の意味があろう。『句集広島』は、平和と反核を願い、原爆の惨禍を残そうと企図されている。この句集は広く開かれているべきで、この句集そのものを権威化することには断固抗したい。『句集広島』は国会図書館デジタルコレクションに登録していれば『句集長崎』と合わせ、いつでも閲覧できる。

師系を重視する文芸である俳句を選んだ(あるいは俳句しか残っていなかった)我々は、〝何を戴くか〟を自らが定めて創作に向かう。時には、メディアや賞やコミュニティといった権威の醸造所から情報を収集し、時には、雷に打たれるように、または濫読の果てに戴くべき人や作品に出会う。俳句を選んだ人間たちは、常に、戴くべきものと、その先を示してくれる誰かを渇望している。これが、高浜虚子をはじめとする巨星たちである。

筆者は三月号の時評「文章博士たちへ」で、文芸とは審美であり、それが俳句になるという判断自体が肝要だと主張した。これは、『天の川銀河発電所』(二〇一七)で上田信治が高山れおなを評して「言語的才能っていうのは要するに、その人が選んだ言葉がそう配列されると、あるはずのなかった豊饒さが現れる」と述べたことと軌を一にする。高山の新刊『百題稽古』(現代短歌社)は、王朝和歌をリファレンスした三百句からなる。参照先が明らかであるために、〈朝風に柳を春の文かざりかな〉(題「柳」)や、〈姿煮や夏潮深く恋せしが〉(題「寄海恋」)など、型に覚えがあり、言葉を味わうことに集中できそうな俳句でさえ、言葉の出所を夢想する余地はない。

岩田奎は『俳句』八月号で「高橋睦郎を彷彿とさせるきまじめな酔狂」と本書を評している。筆者も同様に高橋睦郎の『稽古飲食』(一九八八)を想起した。句集『稽古』と歌集『飲食』からなる句歌集『稽古飲食』は、成立過程が興味深い。高橋は、俳諧の風狂を支えた連衆の概念が厳密な意味で存在し得ない今日、「俳の稽古とはつまるところ佯( つく) りもの狂いの稽古」と定め、師・安東流火(次男)に原稿を預け、句稿は三回、歌稿は七回の「検閲」を受けたという。高橋の実践は古いにしえに稽かんがえる、字義通りの稽古である。一方、高山は『百題稽古』を作るにあたり、独ひとり稽古を選んだ。高山が戴くに値する作家はもはや現世にいないのだろう(あるいは攝津幸彦が存命ならと思ってしまう)。『百題稽古』の「稽古」が字義通りでないと理解できれば、二〇一〇年代にアンソロジストとして後進を育てようとした形跡のある高山の句集を別に意味づけることもできる。つまり、『百題稽古』は俳壇への挑発――そも、『天の川銀河』の佐藤文香の言葉を借りれば「王様」である名人の稽古風景など若手への挑発以外に見せる意義があろうか――とも受け取れる。この時、ほかならぬ岩田が高山を「シェフ」に例え、この句集に「舌を巻いて楽しめばよい」と言うのは、なにやら悲しくもある。

筆者もまた恥をさらして言えば表現論にあまり興味がない。最後に、高山の句の読者の問題を考えたい。この関心から論じようとするとき、思い起こされるのは〈秋簾撥かかげ見るべし降るあめりか〉(『荒東雑詩』二〇〇五)である。この句は、〇一年のアメリカ同時多発テロと『枕草子』、そして遊女の和歌を題材にとる。この参照先の自在さ、そして句自体の質の高さは、ともすれば、九・一一という出来事を弄しているように見せる。今に至るまで継続する〝戦争〟の大きな端緒となったこの出来事は、言語遊戯に変換できるものだっただろうかと。しかしこれは、当事者性という言葉で句の作者にのみ責任を負わせるものでもある。むしろこの句は、この句の読解に九・一一という出来事を奉仕3 3 させ、あまつさえ読解できることに悦ぶ読者を照射していると読みたい。高山の圧倒的な表現美、その立役者が王朝和歌にすり替わったとて、同じことである。高山が王朝和歌を戴いたことを、その空虚さであるとか、現代における有効性の面から論じるのは容易にすぎ、これを高山が見越していないわけがない。むしろ、いま述べたような王朝和歌を奉戴することの意味を理解し、その上で、高山の王朝和歌の戴き方そのものをどう批評するかを俟たれていると解したい。

ところで太宰治『走れメロス』のディオニスは、自身を暴君たらしめたのは「おまえたち」だとメロスに慟哭し、最後には自身を決して戴かないメロスとセリヌンティウスの友情によって賢帝へと改心する。高山に正しく相対する、高山を戴かない書き手を、「シェフ」もとい「王様」もとい高山は、暴君ともならず待っているのかもしれない。その孤独たるや……。

※九月一四日時点で、日本の古本屋HPからは在庫がなくなっていた。だが、待っていればまた出会えるだろう。
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