俳句時評
2025.vol.41 no.479
AIが俳句に及ぼす影響と展望
及川 真梨子
以前もAIと俳句といった内容を書いた気がするのですが、現在の考えをまとめておきたいと思い書くものです。どうぞお付き合いください。
近頃は、ChatGPTに代表されるAIが手軽に使えるようになりました。ChatGPTも4.0から4o(フォーオー)、o1(オーワン)とどんどん進化しています。AIは使った事がないという方でも、インターネットの検索に自動的にAIの回答が表示されたり、AIが作成した画像をSNSやテレビのCMで見たりと、触れ合う機会が多くなってきました。
文章に関するニュースで驚いたのは、5%をAIで書いた「東京都同情塔」という小説で芥川賞を取った作家の九段理江さんが、今度は95%をAIで書いた小説を発表したことです。また、SFショートの星新一賞に、入賞はしないものの、AIでほとんど書いた作品が最終選考に残ったという話も聞きました。
AI(人工知能)を使って、文章、絵、音楽を作成する活動は活発になっています。個人情報の問題は大きく横たわっていますが、自分が使う、使わないに関わらず、AI一方で、「AIを使えば一瞬で作品ができる、AIはそのためのものだ」というのは、目的が異なってきます。そこにあるのは、手順を省略して成果物を得たいという別の目的です。もちろんそれが必要な場もありますが、残念ながら創作の場では、決定的に相性の悪い部分があるように感じます。それは、作者自身の能力を成長させる機会が大きく減るということです。
AIの創作において人間のする仕事は、成果物の点検とブラッシュアップです。それには、いるものといらないものを見抜いて削り、必要によって加筆する能力が必要になります。それが出来るのは、すでに作家として十分な能力がある人です。作家の能力が初期段階にあるうちにAIを使うと肉体や思考へのフィードバックが限りなく減り、勉強の機会は確実に減少します。
簡単にいえば、AIを使って絵を描いても、人間の画力が上がるわけではありません。そして、画力の無い人間が、AIの絵に精度の高い点検をすることは難しく、適切な加筆も出来ないでしょう。
そして、その能力があるならば、自分で作品を作った方が楽、ということもあります。
俳句においては、もう少し違う問題があります。
俳句は短い単語によって、イメージの衝突や響き合いを楽しむところがあります。また、「月並み」という批評の言葉があるように、誰でも思いつくような平均値の作品は元から忌避されています。
つまり、大量のデータを分析して平均値を出すAIの能力は、つまらない俳句を作ることが最も得意です。その上でよい俳句をAIで作ろうとするならば、AIのパラメータの調整が必要になってきますが、それが出来るのは、前述の通り、確かな審美眼を持った俳人に限られるでしょう。
パラメータをいじり、作品の感性までクオリティを上げていく、そこまでの「なみならぬ努力」を注げるならば、創作行為と相違ありません。もはや「AIを使えば一瞬で作品ができて楽ちん」という思想とはかけ離れています。
逆を言えば、「AIを使えば一瞬で作品ができて楽ちん」と考える人は、質の悪い作品を別の目的の為に垂れ流し続けるだけの人です。今すでに、Amazonの電子書籍などでAIを使った営利目的の本が数多く出ています。
「AIを使用しただけの質の悪い作品」が簡単に作れる世の中になったとしたら、それを見抜く読者としての力量が問題となってきます。しかし、読者の力量とはどこで育つでしょうか。
AIのディープラーニングは元々、人の思考回路をまねして作られています。大量の知識を取り入れ、分析し、平均値を割り出す。AIはその平均値を成果物として出力しますが、人間はその平均値を基準として、優れた作品を見抜く能力としています。さらに、その鑑賞力に自分の性格や好みを加味して、自分の価値観というものを作っているのです。
そう考えると、鑑賞力をのばし、価値観を豊かにするには、自分の可能な範囲のディープラーニングを省略することは出来ません。それをAIによって代替することは、個人の能力の拡大における大きな損失と言えるでしょう。
面白いことに、令和の世の中では技術の発達によって、その人の心がけが行為の成否を決める世界になってきたのかもしれません。