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 小熊座・月刊


   2024 VOL.40  NO.469   俳句時評


    雑 感
                         
渡 辺 誠一郎


  先日小生が俳句の講師を務める仙台のカルチャーセンターが、この九月に閉鎖

 されることが明らかになった。その閉鎖の理由は、会員減少に伴う経営的な事情で

 あるらしい。

  カルチャーセンターのみならず、現在は、戦後の社会教育、文化の「かたち」が少

 しずつ変容を余儀なくされつつあるような気がする。その原因は、何より参加者の

 高齢化である。

  俳句の結社もカルチャーセンターと同じように、戦後社会において、重要な表現

 の場、学習の機会を提供してきた。俳人が急増した時期は、新たな結社が興り、

 「結社の時代」とも言われた。しかし今や結社の高齢化率が止まらず、会員減少は

 明らかだ。俳句の全国組織(現代俳句協会、俳人協会、日本伝統俳句協会)の会

 員数の減少傾向も同様に止まらない。平均年齢がすでに七十五歳を超えていると

 言われる。

  この様な危機的な状況の中で、現代俳句協会は昨年に法人化を進め、新たな時

 代への取り組みを始めた。法人化は組織の社会的信用度を高めるためとのことで

 ある。今回の総会では、新たな役員体制も示され、若返りが図られた。しかし今年

 の総会でも明らかにされたことであるが、若手会員の獲得や地方自治への俳句講

 師の派遣等、様々な会員増への取り組みにもかかわらず、明らかな会員増にはつ

 ながってはいない。かつては九千八百名の会員の時代があったが、近頃は四千名

 台である、組織的な危機の状況にあるのは変わりない。新しい会長に就任した高野

 ムツオは、機関誌「現代俳句」5月号に、「俳句の未来は現代俳句協会が創造する」

 との文章を次の様に寄せている。

  「現代俳句協会は何より表現の自由を標ぼうする団体である。有季定型も無季定

 型も自由律も俳句である。季題もまた重要な発想方法の一つ。文語仮名遣い、口

 語仮名遣い、一行、多行、分ち書き、など、どの表記も認め合う。日本語以外の言

 語による俳句また俳句なのだ。結社の主宰者も誌友も無所属も同じ現代俳句協会

 の平等の一会員なのである。そう認めあった上で俳句を作り、同時に俳句はどうあ

 ればよいか、これもまた自由に主張し論じ合う。この言葉の饗宴にこそ俳句の魅力

 がある。互いに現在只今の俳句を楽しみながら、俳句をこれからの若い世代に伝え

 ていく手立てを探るのだ。」と。

  幅の広い俳句観が示されている。他の全国組織へのメッセージとも読める。全国

 組織の三者統合の布石なのかは不明だが、それを裏図けるように、従来まで現代

 俳句協会の会員?役員でなかった、日本伝統俳句協会に所属し、鎌倉虚子立子

 記念館館長を務める星野高士が副会長に就任したのには驚いた。

  一方、国際的な動きをみても、今や外国でも「俳句」が詠まれる時代。自ずと幅広

 い懐の深い俳句の考え方が求められる。掘田季何によると、俳句人口は、国内より

 も外国の愛好者を合わせた数の方が多いという。この現実に、幅広い俳句観、受け

 入れるための体制が必要ともいえる。すでに国際化の言葉で安易に捉えられないよ

 うな現実があるのだ。小生も先日フランスのテレビ局のスタッフを塩竈と松島に案内

 したが、その時のスタッフの俳句や芭蕉についての知識、認識の高さに驚いたもの

 だ。我々が想像する以上に、俳句についての関心が高いことに身をもって体験した。

  三協会統合のハードルの高さは、様々あるが、一つは俳句観である。日本伝統

 俳句協会の定款を見ると、虚子の俳句観を踏まえて、「有季定型の花鳥諷詠詩で

 ある伝統俳句を継承・普及するとともに、その精神を深め、もって我が国の文化の

 向上に寄与することを目的とする」とある。俳人協会定款の目的を読むと、「俳句文

 芸の創造的発展とその普及を図り、もってわが国文化の向上に寄与する」とあり、

 実際どうかはわからないが、俳句観は伝統俳句協会よりも広いようだ。

  この様な中で、全国組織の統合論の話が聞こえてきた。統合論は、今までも俳壇

 では時々話題になってきた。

  これに関連して、近頃目にしたのは、昨年末に上梓された筑紫磐井が著した『戦

 後俳句史 nuveau 1945-2023-三協会統合論』である。

  本書は、第一部「第二芸術論・社会性・ポスト社会性」、第二部「戦後の俳句

 史」、まとめとして、「おわりに・三協会統合論」の編成で、付録に「戦後俳句史略

 年表」が付いている。すなわち、戦後俳句史における俳句と俳壇の動きを繙き、全

 国三協会の統合のための道筋・展望を提起しているのである。そのための戦略の

 大切さを説く。本書の様々な分析のうち、一つだけふれる。ここでは、統合論の中

 で「やっかい」な扱いとなる「花鳥諷詠」について、次の様に書いている。

  虚子の「題詠句会」から生まれ出た類想句は、近代俳句の典型、いわば標準世界

 を成し、「歳時記」の世界に収まることになるが、これを筑紫は「本質的類句」とし

 ているとした上で、虚子が「ホトトギス」誌上の俳句とは異なるいわゆる戦後俳句に

 ふれた事実があることを例に挙げている。「ホトトギス」の新人会作家が企画した

 「研究座談会」で、戦後の代表的作家の俳句を虚子が選をしたことである。この時

 虚子は、戦後俳句の中から、(〈葛咲くや嬬恋村の字いくつ 波郷〉〈友ら護岸の岩

 組む午前スターリン死す 鬼房〉など三十五名の戦後の俳人の作品を選んでいる。

 ここで筑紫は虚子が、無季俳句すら選んだことに注目している。このことから、「虚

 子が排斥したのは不熟な表現であった」点こそが重要であったとし、虚子にとって、

 花鳥諷詠派の作品が必ずしも絶対ではないことを明らかにしていると結論づけるの

 である。つまり表現のスタイルは様々でも、優れた表現であるかが選の基準だと。

 そして、少なくとも、これは「三協会統合論を考えるために重要」な視点であると筑

 紫は述べるのである。もちろん三協会の統合だけで、俳句の未来は保証されるわけ

 ではない。虚子の姿勢は、統合のためのステップするための力にはなるのは確かで

 あろう。同時にあくまで作品本位であることを、再認識する契機にもなる事でもある

 のだ。少し視野が広がった。




 
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