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  小熊座・月刊


   鬼房の秀作を読む (153)    2023.vol.39 no.457



         梅雨微光言葉は肚にためて置く

                              鬼房

                        『海 溝』(昭和三十九年刊)


  まず、「梅雨微光」という漢字四文字の導入に立ち止まる。「梅雨」と言えば降る雨

 と共に、どんよりと暗く重たい雲が垂れ込める空を思い描く。「梅雨晴れ」もあるが、

 本格的な夏の訪れを前に射す陽射しは微光というよりギラリと強く照り返す体感だ。

 とすれば、「微光」は実景というより詠者が感得した心象に近いものだろう。「梅雨」

 の語と「微光」の語の間にちいさな屈折がある。

  この伏線の後、作家の矜持を思わせるずしりと重い十二音が現れる。「言葉は肚

 にためて置く」の「肚」が何とも鬼房らしい。たくましい詩魂を宿らせる場所が見え

 る。「ためて」は「溜めて」が最もしっくりくるが、「貯めて」「矯めて」のニュアン

 スを重ねて読んでもいいだろう。

  中七以下の措辞からふたたび「梅雨微光」へ戻ると、この「微光」が芭蕉の言う「物

 の見えたるひかり」にも思えてくる。文芸に迷う自身の時空にかかった分厚い雲を突

 き抜けて届いた、頼りなくも確かなひかり。

  ただ、鬼房はこの光を捉えて「打座即刻を命とす」という俳句の作り方はしない。

 肚の中で相応の時間をかけて熟成させ、質量を増した強靭な言葉を十七音の器にど

 っしりと据えていく、そんな俳句を目指したいという創作態度が見て取れる。初期の

 代表句「切株があり愚直の斧があり」ともどこか共鳴する、武骨でありながら繊細な

 詩世界だ。

                      (瀬戸優理子「ペガサス」「豈」)



  〈梅雨微光〉なんと美しい言葉でしょう。梅雨というと重く湿った空や降り続く雨

 に、憂鬱な思いを抱いてしまう。しかしその憂鬱さを覆すようなこの美しい言葉で、梅

 雨のイメージが清々しく明るくなってくる。

  掲句は、昭和五十一年刊第三句集『海溝』のチリ地震津波八句に続いて収められ

 ている。昭和三十五年五月、世界最大級の津波がチリ沖で発生。日本を含む環太

 平洋沿岸に大きな被害をもたらした。特に三陸リアス海岸を含む岩手県では53名

 の貴い命が犠牲となる惨事を生んだ。釜石を父郷とされる鬼房先生は、さぞかし胸

 の裂ける思いであられたに違いない。

  〈夜は罠の静けさで潮湿る街〉〈死者に星咲いて潮蒸す船溜〉〈潮やけの滞貨の荷

 より揚羽たつ〉―そして続くように置かれた〈梅雨微光言葉は肚にためて置く〉津波

 八句から数句を抽いてみた。ここには凄まじい津波の状景も災禍の様子も詠まれて

 いない。きっと、それらの言葉は〈肚にためて〉詩語として昇華する日を待っておられ

 たに違いない。東日本大震災の折、多くの俳人は圧倒的な自然の破壊力の前に言

 葉を失い、そして無力感におそわれた。その答えが鬼房先生の震災詠にあったので

 はなかろうか。

  間もなくこのみちのくに田植が始まり、やがて梅雨の季節がやってくる。私もこの

 目で梅雨微光を見て触れてみたい。              (日下 節子)