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  小熊座・月刊


   鬼房の秀作を読む (152)    2023.vol.39 no.456



         火山弾(かばね)なきわが遠流の日

                              鬼房

                        『地 楡』(昭和五十年刊)


  季語はないが、「火山弾」、「遠流」、「姓」が強さの順に、キーワードとして機能

 している。そのうち、火山弾の意味だけが解りやすく、火口放出の本質物質が空中ま

 たは着地時に冷却され、形成される一定サイズ以上の岩塊、端的に言えば、飛ばされ

 た溶岩の固まったものである。遠流は、古代の律に定めた三流の中で(環境面や京か

 らの距離面で)最も厳しい流刑であるが、政権の支配と連動して、陸奥も遠流の地に

 追加されている。姓を「かばね」と訓むが、それは現代の姓でなく、古代の治天下大王

 ないし天皇が氏族に与えた、氏の体裁・性格を示す称号のことであろう。遠流とも時

 代背景が合う。姓がないというのは、氏族でない平民を指す。

  鬼房は現代の人間ではあるし、(流されたわけでなく)最初から陸奥の人間である

 が、「姓なきわが遠流の日」とは、古より今に至るまで、中央政権に虐げられてきた、

 遠流の地でもある陸奥の平民としての鬼房の人生を象徴する表現であることは、論を俟

 たない。その上、そういう陸奥の平民こそが気高き「まつろわぬ民」、遠くに飛ば

 (流)されても、倒れても、「火山弾」のように熱量も破壊力もあるものだ、中央よ、

 我々をナメるな、と言いたかったのであろう。鬼房の矜持の句だ。「姓」は「尸」と

 も書かれ、火山弾を溶岩の尸だと思えば、火山弾との取合せは一層意味深い。

                            (堀田 季何「楽園」)



  掲句は、鬼房56才、昭和50年11月刊第四句集『地楡』に拠る。この年、9月に

 鬼房は疲労による心臓衰弱のため入院を余儀なくされた。

  この句は、無季の句で「火山弾」「姓なき」そして「遠流の日」と、苛酷な現実をと

 らえている。火山弾は、人間の力を超えた予知不可能な脅威である。また古代の律令

 制に我が身を置き、支配下の中で生きる非力な民として、刑罰での極刑とも言うべき

 遠流を使い、今の自分を表現しているように思う。その辛い境遇にあれば、人力では

 抗えない巨大な暗雲をどうしたらよいのか、病魔とはそういうものだったと思う。生死

 を分ける心臓のそれであれば、なおさらである。絶望の悲しみが胸を打つ。

  鬼房の句の魅力は、厳しい現実の中の苦しみや悲しみはもちろんだが、同時に句中

 に添えられた、純粋なまでの詩魂も見過ごせない。野のさもない花、また誰もが聞いて

 いる小鳥の囀りなど、相反する組合わせが、不思議な浄化作用を醸し出し、より高質

 な調べを生んでいるように思う。この純粋な詩魂に私はいつも脱帽させられてしまう。

 67才、第八句集「何處へ」に

   アテルイはわが誇りなり未草

  私はなぜか安堵したものである。               (丹和 裕子)