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  小熊座・月刊


   鬼房の秀作を読む (151)    2023.vol.39 no.455



         梅林の夜陰に紛る鈴の音

                              鬼房

                        『何處へ』(昭和五十九年刊)


  鬼房氏とは一度だけお会いしたことがある。とある会館のロビーでお話を伺ったの

 は四十分ほど。拙く直截な私の質問に、テーブルに置かれた真っ白い砂糖壺をじっと

 見据えながら受け答えてくれた。その眼光の鋭さに一瞬たじろいだのだが、いま振り

 返ればその瞳はこの世を見つめているものでもなければ、あの世のものでもなかっ

 た。敢えて言うなら、異界の深い闇のなかを息を潜めながらさ迷う美しい生き物のよう

 に思えてくるのだ。

  掲句はその時の鬼房の眼差しを想起させる。甘く酸っぱくむせ返るような梅の香、梅

 の花さえ朧にしてしまう深い深い夜のくらやみ。ついさっきまで鮮明にリンリンと鳴り

 続けていた鈴の音が微かな響きとなり、やがてはとりとめのない闇に隠れるように静

 寂を招き寄せる。「梅林」「夜陰」「鈴の音」の言葉を繋ぐのが「紛る」だ。そこに鬼

 房の抽象化された精神世界がある。この言葉たちにある種のエロスを感知するのは私

 だけではないだろう。こころとは身体の内部にあるものながら、常に外界に存在するも

 のたちと呼応する。であるなら、一句に秘めた鬼房のこころの希求しているものとは、

 果たして何なんだろう。「夜陰に紛る鈴の音」は凛としながらもしなやかに隠れ潜む女

 性のようでもある。それは、ひそやかにこころの叫びが封じ込まれた深淵なる虚無の

 世界に通じている。

                           (鳥居真里子「門」)



  梅は中国が原産で、古く日本に渡来した。平安時代以降、詩歌に詠まれる様になっ

 た。

  梅林に行ったことはないが、多分梅の香りが体中に染み渡るのだろう。日本三大梅

 林として、水戸偕楽園、越生梅林、曽我梅林が有名である。

  夜陰の梅林は梅の香りが充満し、小鳥たちは誘われるようにやって来るのだ。その

 都度、仕掛けられた鈴の音が鳴り響くのである。夜蔭に鳴る鈴の音が神秘的である。

  芭蕉の句に「梅が香にのっと日の出る山路かな」がある。少し大げさの様に思える

 が、それはそれで納得する。梅の香に日の出が出るとは、美しい様かどうかは、其其

 の感性によるので何とも言えないが、観賞力にもよる。

  「夜陰で鳴る鈴の音」は、静から動へと梅林が騒き、時間が動き出したのだ。鈴の音

 は夜陰を突き抜ける様である。「梅林の夜陰に粉る鈴の音」改めて詠むと、夜陰はた

 だ暗いのではなく、匂いや空間の重さや軽さを感じ取れる。春になったら何処かの梅

 林に行ってみようと思った。

  鬼房は何処の梅林に行ったのだろうか?岩手県の山田町の民家の庭に臥竜梅があ

 り、観光地として開放している。釜石に行く機会が有ったら訪問したいと思う。

                                (宮崎  哲)